第百十七話 想いあふれて
一方、耀藍もじりじりと考えていた。
(まずい……このまま一緒にいては、オレは自分を抑えきれる自信がない)
この前の夜も、つい抱きしめてしまった。
(あのときもせめて手を握るだけ、と思っていたのに……っ)
華老師の家だったから辛うじて抱きしめるところで止まったが、二人きりで夜道をずっと歩いたら何をしでかしてしまうか。
自分が怖い。
(かと言って、胡蝶の話では香織は具合が悪いようだったし放って一人で帰らせるのも不安だ。術を使うか? いやいや、それではせっかく香織とまた会えたというのに一緒にいられる時間がもったいない……ってオレはどうしたいのだ!!)
もう自分でも何がなんだかわからず耀藍が混乱していると、
「ご準備は、もう終わったのですか?」
と香織が呟いた。
「じゅ、準備?!」
(いやいやいやまだだ! まだここから夜道を二人きりで歩く心の準備はっ)
「あの、入城の……」
「え? あ、ああ……」
耀藍は胸をなでおろした。なんだ、入城の準備か。
「ま、まあな。ほとんどは姉上に任せきりなのでな。ほんとうに自分の身の回りの物だけ整えればよいのだ」
「そうですか……」
応じた香織の声は消え入りそうだ。
(ど、どうしたのだろう。いつもの香織らしくないな。やはり具合が悪いのか?)
「か、香織、どうかしたのか。具合が――」
言いかけて、耀藍はぎょっとした。
香織は歩く足先をじっと見つめて、はらはらと涙を流している。
「こ、香織?! そんなに具合が悪いのか?!」
思わず香織の肩をつかむ。香織はふるふると首を振った。
「す、すみません、だいじょうぶですから……っ」
気丈に振舞おうとする姿がいじらしく愛しく、思わず抱きしめそうになる衝動をぐっとこらえる。
「大丈夫じゃないだろう! 顔色もよくない。よし、術を使使うぞ
(オレが香織と少しでも一緒にいたいという欲望など、この際どうでもよい!)
耀藍は花街大門近くの細い路地に急ぐ。そこには、耀藍が花街へ通うのに使っていた結界が残っていた。
(姉上へバレる前に消そうと思っていたが……残しておいてよかった!)
香織はだいじょうぶです、と言いつつも、ぐったりとしている。
その細い手を引いて、耀藍は懐から呪符を出し、ひと気のない路地で結界に立った。
♢
視界が真っ白になったのは一瞬、すぐに暗い夜道に出る。
見慣れた、華老師宅の家の近くだ。
「香織、だいじょうぶか? 着いたぞ。すぐに華老師に診てもらおう」
耀藍は本気で心配してくれている。
(避けているのに、どうしてそんなに優しくしてくださるの……!)
いっそもっと冷たくされれば諦められるのに。
そう思って、香織はハッとする。
(諦めるって、なにを……)
これまでのことが脳裏をよぎる。
耀藍と初めて会ったときのこと。
見張ると言われて、いつも一緒にいたこと。
イケメンなのにどこか抜けていて、でも肝心なときは必ず助けてくれて。
そして――香織の作った物を、誰よりもおいしいおいしいとたくさん食べてくれたこと。
(わたし……やっぱり、耀藍様のことが好きなんだ)
ずっと目を逸らし続けてきた、ほんとうの気持ち。
耀藍が入城して、会える機会が減ってしまうのなら、今ここで伝えたい。
香織は、耀藍が引いていた手をふりほどいた。
その手を、碧い首飾りにそっと当てる。
「香織?」
「耀藍様……どうしてわたしを避けるんですか?」
耀藍のアクアマリン瞳が大きく揺れた。
「さ、避けてなどおらぬ」
「ほんとうのことを言ってくださいっ。わたし、わたし……」
香織は大きく息を吸いこんだ。
「わたし、耀藍様のことが好きなんです」
時が止まったかのような沈黙が流れた。
耀藍は、すべての動きを止めてしまったかのように見える。
その中で、比類なき宝玉のような双眸だけが大きく見開かれた。
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