第百十五話 遠い昔の記憶


香織こうしょく、よく似合ってるわ!」

 胡蝶こちょうが歓声を上げた。

「やっぱり香織は白い衣装がよく似合う。胡蝶様、あたしの見立て通りだったでしょう?」

 杏々しんしんが得意げに言う。

「あら杏々姐さん、この銀錦の帯はあたしが見立てたんですよ。これこそ香織の可憐さを引き立たせる名小道具でしょう」

 と寧寧ねいねい。するとすかさず、梅林ばいりんがツッコむ。

「もぉ、杏々姐さんも寧寧もわかってないなぁ。香織の愛らしさを強調しているのはこの空色の紗上衣ですよぉ。香織の瞳の色にもすっごく合ってるんですからぁ」


 やいやいと言い合っている四人の後ろから香織がおそるおそる呟く。

「あのう……この衣装、わたしにはちょっと派手というか、もったいないというか、不釣り合いじゃないでしょうか……」


 とたんに、四人が香織を囲んだ。


「なに言ってるの! ぜんぜん派手なんかじゃないわよ! あたしの代理なんだからもっと派手にしてもいいくらいよ!」

「香織の器量を考えたらやっぱり白なの! そりゃ目立つけど、白を着こなせるほどの器量良しはめったにいないんだから!」

「これだけ似合ってれば派手でももったいなくても元は取れる!」

「不釣り合いなんてぇ、もっとぉ自信持って!」


 吉兆楼、衣装部屋。 

 明後日、術師入城の儀の余興のため、胡蝶と三姫は王城へ行く。

 そのときに香織は胡蝶の代理として座敷に出る。その衣装を四人が選んでいるのだった。


「わ、わかりました皆さん、落ち着いて、落ち着いて」

 四人の勢いにたじろぎつつ、香織は鏡の中にチラ、と目をやった。



 純白の吊帯長裙。

 それを銀色の絢爛な帯で締めて細いウエストを強調し、ふわりとした水色の紗上衣をまとっている。

 紗上衣から透ける細い腕、陶器のような肌。薄い琥珀色の髪を高く結い上げ、そのたぶさで銀の歩揺がしゃらりと揺れている。

 目鼻立ちの整った顔の中で、すみれ色の大きな双眸がじっとこちらを見ていた。


 文句のつけようがない可憐で愛らしい美少女が、不思議そうな顔でこちらをじっと見つめている。



(これが今の自分なんだっていうのが、どうしても慣れないなぁ……)


 前世、香織の容姿は十人並みで、だからメイクも洋服もいつも地味なものを選びがちだった。

 確かに、白い服というのは着るのに勇気がいるし、美人じゃないと似合わないのかもしれない。

 それが今の香織にはコワイくらいによく似合っている。


(わたし、本当に美少女に転生したんだな)

 地味な服装を選んで、厨に立つのでいつも前かけをして、メイクもアクセサリーも付けない。

 異世界にきても前世と同じように暮らしていたのですっかり忘れていた。


「よし、ちょうどいい。この衣装でちょいと舞ってみておくれよ」

 胡蝶は傍らに置いてあった二胡を手に取った。

 ゆっくりと二胡の上を弓が滑り、穏やかな川の流れを思わせる旋律が流れる。


「胡蝶様、『悠久哀河』ですね」

 杏々たちはうっとりと聞き入っている。

 しかしその美しい音色とともに、香織の心拍数はどんどん上がった。


(わたし……)


 その旋律に合わせて香織の手足が勝手に進みだした。


(わたし、この曲を知ってる!)


 手の返し方、足の運び方。

 それらの一つ一つを舞うたびに、脳裏に風景が流れていく。



 華やかな妃嬪がたくさん居並ぶ後宮の広間。その中心には、紅い龍の袍をまとった皇太子。

 その場のすべての人々が注目する広間の真ん中で、麗月リーユエは舞った。

 後宮の人々に見てもらうため。心に刻んでもらうため。

 母に教えてもらった芸のすべてを――。



「香織?!」

 急に座りこんだ香織に、杏々たちが駆け寄った。


「だいじょうぶかい? 顔色が真っ青だよ」

 胡蝶や杏々たちに心配をかけたくなくて、香織は辛うじて頷く。

「だいじょうぶ、だいじょうぶですから……」



 遠い昔の記憶だった。

 旅のさまざまな田園風景。野宿の焚火、いくつもの天幕。

 満天の星空の下、眠った日々。

 いつも愉快に街道を歩いた男たちや女たち。

 教えてくれた、踊りや二胡の数々。



 優しく厳しく美しい、母の記憶。



 それが稲妻のように脳裏に差しこんできた瞬間、鋭い頭痛が走ったのだ。




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