第百八話 マニ族の塩でむすんだおにぎり



 どうして、わたしはこの異世界に転生したんだろう。


 織田川香織おだがわかおりとして生きた十五年。主婦として必死に駆け抜けた十五年は、交通事故で突然に終わってしまった。そして、この華流ドラマのような風景の異世界に転生した。


 華老師かせんせい小英しょうえいにはじまり、明梓めいしたち近所の人々、吉兆楼の人々、羊剛ようごうのような商人たち。

 そして耀藍ようらん

 たくさんの人々との出会いの中で、香織こうしょくはいつも考えてきた。

 どうして、わたしはこの異世界に転生したんだろう、と。


「それは、わたしが人々のために料理をするためだわ」


 これが、考え続けたことの答えだ。


 おそうざい食堂を開き、吉兆楼で下ごしらえとまかないを作り、おにぎりや包子パオズを作ることにも挑戦する。

 この異世界でたくさんの料理を作り、美味しさで人々を笑顔にして、自分も笑顔になる。そのためにこれまで培ってきた主婦力をフル活用する。

 前世、つらいことはたくさんあったけれど、そのための修行だったと思えば、前世のことも今では懐かしい思い出だ。


 ところがここへきて、自分が麗月リーユエという名で芭帝国の後宮にいた記憶が蘇り、少し混乱していた。



「ううん……考えてもしょうがないけど考えちゃうな……もうこなったら料理しまくるしかない!」


 香織は炊きたての白飯を手早く木べらで混ぜ返し、湯気を少しだけ逃がす。

 そうして、まな板に準備した桃色、黄色、空色の塩を前にして、手を一度しっかりと洗った。


「よし、むすぶわ!」


 まずは桃色の塩から。塩を手に馴染ませ、くるっ、くるっ、と手のひらの中で白飯を転がす。すぐに周囲の音が聞こえなくなった。


 気持ちが揺らぐときは、手を動かす。無心になる。


 これは前世から香織が徹底していることだ。



 思い悩んでも解決しないものは解決しないし、けれども生活時間は待ったなしで無情に進む。

 だから悩みがあってもどんなに悲しくて打ちひしがれていても、手は動かす。



「……よし、できた」


 いつの間にか、ザルの上にはずらりとおにぎりが並んだ。

 羊剛からゆずってもらった、マニ族の塩で作ったおにぎりだ。


 小さく作ったものを口に入れて、香織は驚きに目を見開く。


「すごい……塩がちがうだけで、こんなにちがう味わいになるなんて!」


 淡い桃色の塩を使ったおにぎりは、柔らかい塩味の美味しさ。

 淡い黄色の塩を使ったオニギリは、わずかに胡椒がきいたような美味しさ。

 淡い空色の塩を使ったオニギリは、少量でもきりっとした塩味の美味しさ。


 共通しているのは、あとを引く旨味がとても強いこと。


「おにぎりを食べているのに、お出汁を飲んでいるみたいな旨味だわ」

 あっというまに試作を食べて、思わずザルに手が伸びかける。

「ううっだめだめ、これは吉兆楼と羊剛ようごうさんに持って行く分と、華老師かせんせい小英しょうえい青嵐せいらんと……耀藍ようらん様の分だから」


 耀藍は、来るだろうか。


 あの夜以来、耀藍は姿を見せない。

 あの夜、抱きしめられたときに香織は包みこんだ耀藍の芳香。優しく、けれど熱く口づけられた額。

「耀藍様……」

 額にそっと手をあてていると、


「香織、往診に行ってくるが、体調に変化があればすぐに休むのじゃぞ」


 華老師と小英が土間に降りてきたので、香織は慌てて振り向いた。




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