第百六話 国境偵察②


「どうかなさいましたか?」

 鴻樹こうきが心配そうにのぞきこんできた。

「い、いや、べつに。なんでもない」

「そうですか? なにやらお悩みが深い顔をされていますが」


 耀藍ようらんはぎくりとする。


(鋭いな……さすが亮賢りょうけんが側近にしているだけある)


 亮賢はのらりくらりといい加減なように見えて、人を見る目はある。

 そして、見てないようで物事をよく見ている。

 国境偵察も亮賢が密かに提案したのだという。宮廷内には芭帝国のことには干渉すべきでない、という一派もいるらしく、そちらへの配慮からだろう。


 細やかな政治手腕を見せながら、しかし昔と変わらず耀藍にだけは遠慮も気遣いもない亮賢なのだが。


「亮賢がオレのメシのことを気遣うするようになったとはな。玉座に就いて、少しは大人になったらしい」

 ぼそっと耀藍が呟くと、鴻樹は笑った。

「王よりうかがった話では、幼馴染でいらっしゃるとか」

「まあな」


 物心ついたときから、耀藍の異能は覚醒していた。

 そのため、小さい頃から王城で術師としての訓練に励んだ。

 勉学の講義も訓練の一環。その際、同じ年頃の亮賢と共に机を並べて学んだのだった。


「オレが術師となることは決まっていたし、それが亮賢の治世に重なるのはわかっていたのでな。絆を深めるためとかで、何をするにも一緒にやらされた。亮賢は食べ物の好き嫌いが激しくてな。えらい偏食家で宮廷厨長をよく泣かせていた」

「今もでございますよ」

 鴻樹が笑う。

「亮賢様は御健康ですが、これから王としての激務に耐えるにはもっと身体を頑丈にしていただかなくてはなりません。臣下は、亮賢様のお口に合うものを探しては、お持ちして試している次第です。というわけで、今回の偵察でも山も民に何か、山の幸や美味を教えてもらえるといいのですが」

「うむ、それはいい。美味いものはオレも大歓迎だ。山の民と接触するのはオレも初めて……でもないか」


 熊のような大男が脳裏に浮かぶ。

(そういえば、羊剛は山の民だと言っていたな)


「え?」

「いや、なんでもない。――着いたのではないか?」


 そこは集落の入り口らしき場所だった。

 大きな木の柱が二本立っていて、それが集落の大門の役割をしているようだ。

 柱には、魔除けの印や恐ろし気な獅子の顔が、鮮やかな色彩で描かれていた。


「さあ、中へ入りましょう。ほら、あちらでもう、兵たちが煮炊きの準備をしてくれています」

「おお、確かに煙りが上がっているな。ん……なにやら良い匂いがする」

「そうですね……肉とも違うような」


 二人は匂いに誘われるように、木々の中の道を歩いていく。森林の中だが、物見櫓や鳥の巣がいくつもあり、ここはもう人の手の入った集落だとわかる。人家はまだ見えてこなかった。

 すぐに開けた場所に出て、一緒にきた兵たちが火を熾していた。


「お疲れ様でございます!」

 兵たちが敬礼した。

「さきほど、ここのマニ族の者たちより、珍しいものを分けてもらいまして、ただいま火にかけております!」

(マニ族? たしか羊剛の出身部族だったな)


 そんなことを思いつつ、鴻樹と一緒に鍋をのぞいた耀藍は、思わず歓声を上げた。


「おおっ、なんだ、これは!」


 鍋の中では、黄色がかった白いものが、ぐつぐつと煮えていた。


「スープか? スープにしては具がないな。それになにやらどろどろしている」

「は。これは乾酪かんらくの一種だそうです」

 兵のひとりが生真面目に答えた。

「ほう、これは乾酪なのか。我が呉陽国の乾酪とは少し違うな」

「は。正確には、乾酪と酒と塩を一緒に煮たてた物でございまして、これに小麦を練って焼いた物や、野菜や肉などを絡めて食べるのだそうで、たいへん美味で滋養がある食べ物なのだという話です」

「なんという食べ物なのだ」

「はあ、名など無いと笑われました」

「むう、あえて言うなら、乾酪火鍋かんらくひなべ、といったところか」

 首をひねる耀藍に、鴻樹が笑った。

「とりあえず、まあ食べてみましょうか」


 竹で作った串には、すでに茹でたニンジンやイモ、炙った肉などが刺さっている。

 それらは軽く塩胡椒がしてあり、焼きたて炙りたてのようで、まだ湯気を上げて温かい。


「これだけで食べても美味そうだがな」

「まあまあ耀藍様。ここはひとつ、この乾酪火鍋を試してみましょう」


 串の野菜でとろっとした乾酪をくるくるとからめとる。


「のびるっ、乾酪がのびるぞ!」

 耀藍は目を輝かせた。

「面白いな、見た目に面白い! 香織こうしょく、これは面白いぞ――」


 言いさして耀藍ようらんはハッとする。

(しまった!! この面白さを香織に伝えたくて、つい!!)



香織こうしょく?」

 耳ざとい鴻樹がすかさず聞き返してくる。

「誰です、香織って」

「な、ななんんでもないっ、ほらっ、食べるぞ!」


 伸びる乾酪の糸もからめとり、皿に受けて一口。


「こ、これは……」

「美味しいですね!」


 耀藍と鴻樹は顔を見合わせて、思わず笑った。


「初めて食べるぞ、これは」

「意外です。こんな美味しい物を食べているんですね、山の民は」


 茹でた野菜に絡む乾酪が、絶妙な塩気でものすごく合う。

 野菜を噛むたびにとろりとした乾酪の旨味も一緒になり、その旨味を貪るようにしてあっというまに一串を食べてしまった。


「これは肉もイケるな、きっと」


 耀藍は肉串に乾酪をからめる。

 白いとろりとした乾酪をまとった肉は、こうばしさと濃厚な旨味とが口の中で一緒になり、これまで食べたことのない美味しさだ。


「おまえたちも食べなさい」

 涎を垂らしそうに見ていた兵たちにも鴻樹が許したので、山盛り用意してあった野菜や肉の串はあっという間になくなった。


「なるほどな……。野菜嫌いの亮賢りょうけんに試す価値はある」

 すっかり空になった鍋を名残惜しくながめつつ、耀藍は唸った。

「これなら、野菜をいくらでも食べられるぞ」

「あ、耀藍ははやりご存じなのですね、王の野菜嫌いを」

「あいつの野菜嫌いは筋金入りだからな。だが、この乾酪火鍋ならイケるかもしれん」


(香織ならこれに一工夫して、もっともっと美味しくしてくれるであろうな……)


 乾酪さえ手に入れば、おそうざい食堂でも出しやすい料理ではなかろうか。


 国境偵察から帰ったら、さっそく乾酪を持って華老師宅へ行こうと、耀藍は考えていた。

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