第七十九話 解けたオニギリの謎
「こんにちは!」
吉兆楼の正面玄関をくぐると、数人の妓女たちが
「おはよう香織ー」
「今日のお昼の献立、なに?」
「わっち、きのうはお客さまにお酒いただきすぎたから、汁物だけでいいなあ」
香織の『お惣菜三品、おかわり三回OKシステム』はすっかり吉兆楼の妓女たちの定番となり、今では香織が出勤してくるのを数人の妓女が正面玄関で待ちかまえている風景があたりまえとなった。
「今日は、生姜をたくさん使った長芋のスープを作りますよ。二日酔いにも効きますから。でも、ぜんぜんお米を食べないのもよくないですね……お粥、作りましょうか」
「えっ、わっちのために、いいの?!」
実は妓女たちが香織を取り囲むのは、香織が妓女の要望を聞いてくれるから、という話が妓女たちの間で広まっているからだ。
体調や前日の飲酒などで、妓女たちの中にはこれが食べたい、という者もいる。
妓女たちの体調を気遣う香織は、「それならお粥を」とか「お醤油味じゃなくて塩味で」とか「お肉やお魚じゃなくて、お豆腐にしましょうか」など、ささやかながら個人的なカスタマイズをしている。
普段「自分だけ特別」というシチュエーションがあまり無い妓女にとって、これは密かにとてもうれしいことだった。
香織は、自分の話を親身になって聞いてくれる人――妓女たちの間で、香織はただの厨女ではない、頼れる存在になっていた。
「もちろんですよ。朝晩涼しくなってきたので、きっとほかにもお粥を食べたい人もいるでしょうし」
「ありがとう~、これだから
妓女が香織に甘えるように抱きつく。
「あはは、くすぐったいです」
香織と妓女たちが楽しく話していると、上からしとやかに階段を踏む音が下りてきた。
「
妓女たちは深く頭を下げる。
「おはよう。あんたたち、あんまり香織に無理言うんじゃないよ」
「へえ、すみません」
妓女たちはしゅん、とする。
「いいんですよ、杏々さん。わたし、できないことはやらないので」
香織がにこにこと言うと、杏々は呆れたように眉をあげる。
「あんたはあきれた働き者だよ。下町で『おそうざい食堂』っていう食堂もやってるんだって?」
「え、杏々さん、どうしてそれを」
「お客さんに聞いたんだよ。ていうかあんた、身体だいじょうぶなのかい」
香織の作るバイキング形式のお昼を食べるようになって、杏々はすっかり元の色艶をとりもどした。
組んだ腕から豊満な双丘の谷間がのぞき、吉兆楼三姫の筆頭にふさわしい艶やかさを放っている。
だが、その顔は心配に雲っていた。
「あんた、ちゃんと食べてるの?」
「え……」
「あんたはあたしたちに美味しいものを作ってくれるけど、その美味しいものをあんたはちゃんと食べてるの?」
「え? え? ひゃあっ、杏々さん?!」
杏々は遠慮のない手つきで香織の胸やら尻やらをがっちりと触る。
そうっとではなく、手のひらでわしわしと肉をもみつかむ。耀藍が見たらブチ切れていただろう。
「あんた、ガリガリじゃないか。もっと肉をつけないと」
「そういえば……」
このごろ、お風呂に入っているときに見るこの16歳美少女の身体が、ちょっとほっそりしたなあ、と思っていた。
「たしかに、わたし時間がないと、食べるのもそこそこで作業したり出かけたりしてるかも、です」
「そんなことだと思ったよ、まったく」
杏々の言い方が子どもを叱る母のようだったので思わず「ごめんなさい」と香織はあやまる。
「時間がなくても食べられるものか……そうだ!」
「そういえば少し前、あたしは道端で倒れたことがあってね。そのときに
うっとりと語る杏々に、香織はおそるおそる聞いてみる。
「あの……それ、おにぎりじゃありません?」
「あっ、そうそう、そんなこと禿が言っていた気がする。恵んでくださった方がオニギリと言っていたって」
妓女は遊郭から出られない。ということは、杏々が倒れたのはこの近く、そして昼間に遊郭の中でおにぎりを持参している人物といえば、耀藍しかいない。
「えーとそれ、わたしが作ったんです」
「な、なんだって?!」
「わたし、耀ら……じゃない、白龍様を待たせているので、白龍様の腹ごしらえ用におにぎりを作って持たせてあって」
「じゃあ、あの最高に美味しい食べ物を恵んでくださったのは白龍様で、作ったのは香織だったってこと?」
「はい、そうなるかと……」
杏々はぽかん、としてから、おかしそうに笑った。
「なんだ! 謎だと思ってたけど、こんな身近なことだったとはね! あたしったらバカだねぇ」
「杏々さん、おにぎり気に入ったんですか?」
杏々の翡翠の双眸がきらきらする。
「うん! あんなに美味しい食べ物は初めてだった!」
「じゃあ作りましょうか、おにぎり!」
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