第三十六話 ハズれた思惑
「ええっと、実は、ですね。数日前、わたし、馬車に
ウソは言ってない。
ぎこちなく微笑むが、
「ふうん。ま、お優しいからね、白龍様は。ていうか、耀藍様、っていうのが本当のお名前なのね。それをあたしより先にあんたが知っているっていうのがいまいましいけど、まあ馬車に轢かれたっていう事故のせいなら、仕方ないわよね」
誰に何を言い聞かせているのか、ぶつぶつと杏々は呟いている。香織にお
香織は胸をなでおろした。
(耀藍様にはちょっとだけ腹が立ったけど……でも上客っていうのが耀藍様でよかったかもしれない)
ぜんぜん知らない上客だったら、しょっぱい卵焼きがスタンダードなこの異世界で、香織の卵焼きは異端であり、大クレームになったかもしれない。
耀藍は白飯を三杯もたいらげ、最後の卵焼きの一切れを口に運ぶと、満足そうに箸を置いた。
「ごちそうさま。はあ、やっと生き返った」
すかさず杏々がサッとお茶を耀藍の前に置いて、上目遣いに微笑む。
「ようございましたわ。店の前で倒れそうになっていらしたときは、どうしようかと、杏々は心配いたしましたわ」
「もう大丈夫だ。
耀藍はすくっと立ち上がった。あわてて杏々が後を追いかける。
「あ、あの白龍様、もう少しごゆっくりされては」
「うむ。香織と約束しているからな。香織が仕事中は勤務先、つまり吉兆楼には近寄らないと。な、香織!」
「え、は、はあ……」
「お腹もいっぱいになったし、今度こそ香織の言いつけどおり、甘味を食べて待っているからな!」
そう言って、意気揚々と耀藍は座敷を出ていった。
「……あんた、覚えておきなさいよっ……」
杏々は鋭い目つきで香織を睨みつけて、耀藍を見送りに行ってしまった。
「な、なんで……???」
だだっぴろい座敷に残された香織は、杏々の態度とこの状況に頭を抱えた。
♢
妓女たちが、昼食の鍋を取りにくる時間だ。
昼食は、点心や麺類が多い。一つの鍋で作って、どーんと持っていってもらえるからだ。
「辛好さーん、お昼ちょうだーい」
「そこに鍋が置いてあるだろっ、とっとと持ってきなっ」
「はあい。あ、そういば辛好さん、今、白龍様帰ったよ。めっちゃ満足そうに、あの麗しい笑顔が戻ってたわ。辛好さん、さっすがねー」
妓女たちはいただきまーすと言いながら、鍋を運び出していく。
「満足そう、だって?」
あの白龍が、あの小娘の作ったものを気に入ったとでもいうのだろうか。
そのときちょうど、金細工の豪奢な御膳を持って、香織がもどってきた。
「ただいま戻りましたー……」
なぜかぐったりと疲れた様子で、顔がかげっている。
「おい、あんた」
「は、はい! あの、すみません遅くなって! わたしが料理を運ばなきゃいけなかったみたいでっ、その……」
しどろもどろ説明する香織の手の中の御膳は、きれいに空っぽになっている。
「白龍は、食べたのかい」
「え? あ、はい。あの……」
「もういいっ、作業に戻んなっ。言いつけた仕事、まだぜんぜん終わってないんだろうがっ」
「はいっ」
あわてて調理台に戻っていく香織の後ろ姿を見て、辛好は舌打ちする。
「どうなってんだいっ……。白龍が、あの娘の作ったものを、文句も言わずに食べただと?」
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