第二十五話 香織の提案


 魯達ろたつがやってきたのは、花街目抜き通りのつきあたり、ひと際大きな構えの店が立ち並ぶ一角にそびえる店だった。


 玄関口の両脇に立つ金剛力士像のような男たちが、魯達を見てさっと道を開ける。


「おう、じゃまするぜ」


 魯達が入った途端に、その場にずらりと居並んでいた美女が一斉にひれ伏した。


「いらっしゃいませ」


(こ、ここ玄関よね? 前世の我が家のリビングよりも広いんですけど……!)


 魯達に担がれたまま金色の装飾や磨かれた床や魯達一行をかいがいしく迎え入れる美女たちを観察していた香織は、ふと正面の階段脇の大きな額縁に目を向ける。


『吉兆楼』

と書かれているように見えた。


(吉兆って言えば料亭よね、やっぱり)

 いかにも高級店だなどと思っていると、正面階段から濃い紫色の衣装に髪を高く結い上げた女性が下りてきた。


 そのたたずまいといい、妖艶な笑みといい、蔡紅蘭と並ぶ極上の美女だ。


「おや、魯会長じゃありませんか。お早いお越しでうれしいですわ。おまけに、可愛らしい御客人をお連れですこと」


 魯達は美女を見るなり赤黒い顔をだらしなくゆるめる。

「おうおう、胡蝶じゃねえか。いつみても別嬪だなあ、おまえは」

「ふふ、ありがとうございます。ですが、そんなに可愛らしい御方がご一緒では、今宵はこの胡蝶の出番はございませんわね?」


 ちら、と扇子で隠した顔からのぞく視線が、なんとも蠱惑的だ。女の香織でさえもドキドキしてしまう。


「そんなこと言うな、胡蝶は別だ。たまには素人娘の酌も一興と思ってな。後で部屋へ来てくれよ」

「はいはい。承知いたしました。では、いつもの御部屋を御用意しますわ」


 そのとき、美女たちから声が上がった。


「胡蝶様、その子、足が汚れているわ」

「おや、そうねえ。ではこちらで足をきれいにしてもらって、それから部屋へおあがりいただきましょうか。魯会長、それでよろしいでしょうか」

「おう、じゃあ先に行くぜ」


 魯達一行は胡蝶に先導されてのしのしと上へ上がっていった。

 とたんに、空気が一変する。


(え、え、なんでなんで???)


 ものすごい殺気に囲まれる。玄関にいた美女たちが険しい目つきで香織を睨んだ。


「そんなボロを着て、どこから紛れこんできたドブネズミかしら」

 美女たちの中でも目立つ、大きな翡翠色の双眸に燃えるような赤い髪の遊女が香織の前に進み出た。


「いったいどんな姑息な手段を使って魯達様に取り入ったんだか」

「!」

 赤髪翆眼の少女は、濡れた手拭を香織に向かって投げつけた。美女たちがどっと笑った。

「建安一の妓楼『吉兆楼』に入るんだから、ちゃんと足をきれいにするのよ」

 とたんに回りの美女が口々に言う。

「近付かない方がいいわよ杏々しんしん、汚いのがうつるわよ」

「大丈夫よ。このドブネズミがちゃんと足を拭くところを見なくちゃ」

「それもそうねえ。魯達様に取り入ったドブネズミですもの、ズルするかもしれないものね」

「ほらドブネズミ、右足にまだ泥がついているわよ!」

「よく見なさいよドブネズミ、ちょっとでも汚れてたら承知しないわよ」


 美女たちに囲まれ、悪態を吐かれながら懸命に足を拭く香織だったが、頭の中では美女たちが思いもよらないことを考えていた。


(この子たち、ちゃんと食べてるのかしら)


 美女たちは皆、ガリガリに痩せている。ここは妓楼だし、痩身が美の条件であったりもするから仕方ないのかもしれないが、色とりどりの美しい帯でくびられた腰は折れそうなほど細い。


「拭けたんだったら、早く上がりなさいよ。魯達様をお待たせする気?」

 赤髪翠眼の美女、杏々に言われて香織はハッと我に返る。

「す、すみません」

「ドンくさいわね。早くしてよ」


 急いで草履を脱ぎ、磨き抜かれた床に上がった途端――香織は派手に転んだ。

「やだあ、見て、無様なかっこうねえ」

 美女たちは手を叩いて笑った。


 見れば、杏々の足が香織の歩いた場所に踏み出されている。

 足を引っかけられたのだとわかったが、香織の関心はそこではなかった。


(足、細っ)


 香織に引っかけられた足は信じられないくらい細い。


(この子たち、遊女だものね。きっと事情があって売られてきた子たちだもの、きっと小さい頃から食糧事情が悪くて、骨自体が細いんだわ。で、遊女だから生活リズムも不規則だし、食べ物にも気を使って……だからこんなに痩せているんだわ)


「ちょっと、なんであたしの足をじろじろ見てんのよ、気持ち悪いわね。早く起き上がんなさいよ」

 杏々の細い足が香織の肩を軽く蹴った。

「あ、はい、すみません」


 蹴られたことより杏々の足の細さが気になりながら香織は起き上がった。そんな香織を杏々は睨みつける。


「へ、ヘンな子ねっ。あたしが叱られるから早く歩いてよっ」

 すたすたと先を歩く細い背中に、香織はおとなしくついていった。


 階段は長いが、杏々は慣れているのかさっさと上っていく。

(前世だったら、とっくに息切れしてるわ)

 身体が若いっていい、と思いつつ、香織は前を歩く杏々に聞いてみた。


「あの、杏々さんはおいくつなんですか?」

 途端にキッと睨まれる。

「あんた、ほんとに礼儀知らずねっ。妓女に年齢聞くとか、正気?!」

「す、すみません」

「イラつくから話しかけないでっ」

「は、はい」

 仕方なく、後は黙々と階段を上った。


 五階ほど登ったところで階段が無くなった。他の階よりも静かなその階の、大輪の花が描かれた引き戸の前で杏々が立ち止まる。


「杏々です。魯達様の御客様をお連れしました」

「おう、入れ入れ」

「失礼します」


 す、と優雅に開けられた引き戸から、どん、と香織は背中を突き飛ばされて中へ転がりこんだ。


「いたた……」

 肩をさすりつつ振り返れば、もう引き戸は閉められている。杏々は一緒に来ないらしい。


「おう、なにそんなところで寝てんだよ。早くこっちに来て酒をつげ」


 部屋の奥で、魯達は上機嫌で酒を飲んでいた。

 香織は部屋をサッと見回す。


 おそらく貴賓室であろう二十畳はあろうかという畳敷きの部屋。魯達が座る上座をはじめ高級そうな調度品が揃っており、予想通り続きの部屋があり、少し開いた引き戸の隙間から白い布団が敷かれているのが見える。


(ひえええ、やっぱり!)


 妓楼である以上は当然だが、香織自身はなんとしてでもあの部屋へ連れ込まれるのを回避しなくてはならない。


 目の前の赤黒い魯達の顔と、痩せた遊女たちの姿を思い浮かべ、香織は酒瓶を手に取った。

「あの、魯達様。一つご提案があるのですが」

「提案だあ?」

 魯達が酒を一気にあおったのを見て、香織は畳に額をこすりつけるように頭を下げた。


「どうか私に、おつまみを作らせてくださいっ!」

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