第二十三話 異世界の国事情②

「ふむ。そうじゃな。香織のようにとばっちりを食った者が本当に哀れじゃ。呉陽国の王もそう思し召したのか、芭帝国からの避難民は受け入れよとの寛容な仰せでな。だから、避難民だとどこかで知られたところで咎められることはない。その辺は安心しなされ」

「はい、ありがとうございます」

「まあ、避難民を受けれれば、芭帝国へ流れてしまっている物資もこちらへ流れやすくなるのでは、と大貴族五家の一、範家が進言したからであろうがな」

「範家?」

「大貴族五家のうち、交易や商いを手広く扱っている家だよ。華老師が範家の御隠居の往診に行ってるから、その辺のことを耳にしたんだ」

 華老師は蔡家へもこっそり薬を渡しいていることといい、医師として評判がいいらしい。なぜか香織は自分のことのように誇らしく思った。

「商いの範家、学問の李家と何家、武門の楊家、そして呪術の蔡家。これ呉陽国王家を支える五つの家じゃ。この国は、王以外のこうした貴族が能力と富を持っているが故に、均衡を保ってうまくやっているんじゃよ」

「なるほど……」


 帝国、というくらいだから芭帝国は皇帝がすべての権力を握る政治の仕組みなのだろう。だから皇位継承問題で内乱も起きる。


「芭帝国で内乱が起きていて、そちらに塩や物資が流れているから、呉陽国へ東峰国からの物資が滞っている、でも避難民を受け入れて、その中に商人とかもいれば、東峰国から物資が来ない状況が少しは改善される、ということですね」

「さよう。現状、呉陽国へは昆布や塩をはじめ、生活に必要な品物が東峰国からほとんど入ってこない。かつお節や海藻を食わんでもべつに死なないが、塩は困るでのう」


 塩、と聞いて香織は青ざめる思いがした。


(うっかりしてたわ……!)


 この世界の食事情が前世とそんなに変わらないので、周辺環境のことを考えなかった。

 食事情が変わらねど、食環境は変わるだろう。見たところ電気はないし、車も走ってないし、スマホで商品管理しているわけじゃない。


 ということは、いたって前近代的な交易が行われているということ。

 戦争や疫病が流行れば交易が行われなくなったり、物資が滞ったりする、遠い昔に歴史の授業で学んだ世界史や日本史の世界だということ。


 香織が生きていた世界のように、いつでもスーパーやコンビニに行けばなんでも手に入るわけじゃないのだ。


「す、すみません、事情を知らず、昆布とかかつお節とか、塩も……使ってしまいました……」

「ふぉっふぉっふぉ、よいよい。食べ物じゃからな、食わねば腐ってしまう。気にせず、食べればよい」

「でも……」


 香織が使うということは、食堂で使うということで、それは華老師と小英二人の分よりもはるかに多くの量の塩を使うことになる。

 食材持ち寄りとはいっても、人々は塩を持ってきてくれるわけじゃないだろう。調理する分の塩は華家の台所から出ていくのだ。塵も積もれば、こんなことを続けていてはそのうち華家の台所のストックが無くなってしまう。


 元・主婦だけに、そのあたりのことが気になりだすと止まらない。


 華老師は気にするなと言ってくれるが、人間にとって塩がなくなるのは死活問題。

 そして、交易が滞っているということは、塩の値段はものすごく高いはず。

 決して裕福そうには見えない近所の人々に、塩を持ってきてくれとは言えない。


(よし)

 香織は決めた。迷いはなかった。


「私、働きます!」

 突然立ち上がった香織に、華老師と小英は目を丸くしている。

「まあまあ、落ち着きなされ」

「働くっていつどこでだよ。そんな細くちゃ野良仕事とか土木仕事は雇ってもらえないだろうし、香織、老師と俺が往診に行っている間、ここで食堂やるんだろ?」

「うん。だから、夜働くわ」


 華老師と小英はあんぐりと口を開けて、それから各々の反応をした。


「香織よ、そなたは軽傷とはいえ馬車に轢かれておったし、何か事情もありそうゆえ、そんなにがんばって働こうとせんでもよいのではないか」

 と心配そうな華老師。

「早まるな香織っ。た、たしかにっ、香織の容姿ならきっとその……遊郭とかだって雇ってくれるだろうけどっ。でもダメだっ、遊郭って……その、男が女の人にいやらしいことをする場所なんだろ?」

 顔を真っ赤にして止める小英。


 二人の反応に香織は微笑んだ。


「ありがとうございます、華老師。でもあたし、こちらに置いていただく以上、何かお役に立ちたいんです。それに、食堂で使う塩なんだから、食堂をやる私が調達してくるのが筋でしょう。小英もありがとう。大丈夫よ、いやらしいことされないように働いてみるから」




「えっ……なんか新宿みたい」

 建安の都の夜は明るかった。

 文化水準が前近代レベルだと思っていたので本当に遊郭しかないかと覚悟をしてきたのだが、意外や意外、飲食店や服飾店など、露店が多いが店は出ていて、人通りも多い。店主も気の好さそうな者が多い。

「よかった。本当に遊郭に行かなきゃダメかなって思ったけど、これなら仕事見つかりそう!」


 ほくほくで職探しを始めた香織だが。


「お願いします! ここで働かせてください!」


 並んでいるお店を片っ端から当たってみたが、相手にされない。

「人手は間に合ってるよ」

「物が入らねえんだ。売り子が増えたってしょうがねえだろ」

 


 断られ続けて気が付けば、店の立ち並ぶ大通りの辻まで来ていた。


 辻の先にも店が並ぶが、その手前にある朱塗りの巨大な門がとても気になる。


「なんだろう、あのすごく豪華絢爛な感じ……すごく気になるわ」


 遠い昔に行った横浜中華街を彷彿とさせる朱塗りの巨大な門にはたくさんの提灯のような物が掲げられ、 金色の装飾がその光を弾いてキラキラと光っている。


「中華街で働いたら、まかないも中華が出てきてレシピが覚えられるかな」


 ここは異世界であって、この朱塗りの巨大な門も中華街のシンボルではないのだが――。


 香織は大きなかんちがいの元に、うきうきと手招きされるまま煌めく光の下をくぐった。






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