第十八話 大根と干し肉の汁物 大根葉と生姜の浅漬け
明梓も耀藍もいなくなり、一人になった香織は、たすきで袖をくくった。
「まずは大根の下ごしらえからね」
大根の葉と本体を切り分ける。
本体をもう一度よく洗って、上部、中部、下部に切り分ける。
「上は生でサラダかな。真ん中は煮物で……下を使おう」
下部を三つほどに切り分け、皮をむいていく。
香織は大根の皮を厚めにむく。
三ミリほどの厚さでむいて、皮もとっておく。
皮は人参や油揚げと一緒に、きんぴらにするのだ。
もともとはニンジンとゴボウが嫌いな智樹にきんぴらを食べさせるために考えた作戦だ。以来、香織のきんぴらといえば大根の皮とニンジンが具材となっている。
皮をむいた後の大根を、三センチ角に切る。
鍋にたっぷりの水と切った大根、干昆布を入れて火にかける。
「この世界にも昆布とかかつお節があってよかったわ」
出汁は大事だと香織は思っている。
「でも、昆布とかかつお節があるってことは、海があるってことよね」
異世界の海というのはどんなものか、見てみたい気もする。
そんなことを考えていると、もう一つの火の口にかけていた鍋が沸騰した。
そこに塩を一つまみ、大根の葉を投入し、沸騰した湯の中で良い色になるまで泳がせる。
美しい緑色になったら引き上げて、手早く水にさらす。
しぼったら刻む。このとき、生姜も一緒に刻む。
「生姜とかニンニクもあってよかったわ」
出汁と同じく、薬味も大事だ。前世でもネギやニンニクや生姜は、家計が苦しくてもなんとか手に入れるようにしていた。
華老師は生姜を薬作りにも使うようで、大量の生姜が薬を作る部屋で置いてあり、その一部を厨へ持ってきていた。
刻んだ大根葉と生姜を大きな器に入れ、そこに塩を大匙一杯ほど入れ、よく混ぜてよく揉む。
大根葉と生姜が混ざり合い、塩がなじんできたら――完成だ。
「大根葉と生姜の浅漬け、できあがり!」
香織は大根の鍋を見る。ふつふつと沸騰する直前の鍋から干し昆布を引き上げる。
「耀藍様があんなに佃煮を気に入るなんてねえ」
佃煮は日本人にしか通用しない食品かと思っていたので、ちょっとうれしい。
麗しい顔が幸せそうにほころんでいたのを思い出し、香織は干昆布の水気を丁寧に拭いて脇によけておいた。
沸騰した鍋の火加減を調整し、今度は細かく裂いた干し肉を入れる。
明梓から何の肉か聞かなかったが、ささみジャーキーに似ている。
鍋に入れたとたんに、とても良い香りが上がってきた。
「ははあ……お肉にたくさん香辛料が使ってあるのね」
胡椒の粒のような物はすぐ目に付いたが、他にも八角のような爽やかな香りが漂ってくる。
「すごく良い香りだわ。明梓さんに何を使っているのか今度ぜひ聞かなくちゃ」
もしかしたら異世界特有の未知の香辛料かもしれない。そう考えるとなんだかワクワクする。
「なんだかとてもいい匂いがしているぞ」
振り向くと耀藍が鼻をくんくんさせて立っていた。
「耀藍様!な、なんですか、その籠」
耀藍は大きな籠をぶら下げていた。こんもりと盛り上がった籠には布がかかっている。
「食材だ。実家の厨からもらってきた。これで何か作ってくれ」
アクアマリンの瞳がさらにきらめく。香織は布を取って、あっ、と声を上げた。
「卵じゃないですか。これ、鶏の卵ですか?」
「ああ、実家の敷地内に鶏を飼っているからな。そこから調達するらしい」
(うみたて卵だわ……!)
涎が出そうになる。うみたて卵といえばTKG――たまごかけご飯。
しかしこちらの世界の卵の衛生管理がわからないので、生食は避けよう。
(TKGがダメなら……)
そのとき、こんにちはーと可愛らしい声が重なった。
「こんにちは」
香織は入ってきた二人の子どもの前にしゃがむ。八歳くらいの男の子と、六歳くらいの女の子だ。男の子は守るように女の子の手を握っている。兄妹だろう。日に焼けた面差しが似ていた。
「母ちゃんに言われて来たんだ。今日はここでお昼食べな、って」
「明梓さんのお子さんなのね?」
二人は頷く。男の子はまっすぐ香織を見た。強い眼差しが明梓に似ている。
「おれは
「あたしはかお……コホン、
土間の縁に腰掛けさせると、二人はいくぶん緊張を解いたようだ。
そのとき、耀藍が上ずった声で叫んだ。
「お、おい、香織。鍋がっ、鍋がなんだかぶくぶくいってるぞ!」
「ああっ、いけないいけない」
急いで火加減をみる。ガスじゃないので火加減の調整がなかなか大変だ。
米を炊いている鍋が吹いていたのだ。
「あれっ、耀藍様だ」
勇史が目を丸くした。
「昼が朝だって言ってる耀藍様がこんな昼前の時間に出歩いているなんて、どうしたんだ?」
香織は苦笑した。やはり耀藍は朝が弱いらしい。昼が朝って……相当だ。
「うむ、オレも香織の作ったご飯を食べようと思ってな。もちろんタダ食いじゃないぞ。ちゃんと食材も持ってきた」
耀藍が指した籠をみて、兄妹は目を輝かせる。
「うわあ、卵だ!」
その二人の顔を見て、香織は卵で作るものを決めた。
(甘めの卵焼きに決まりね)
智樹と結衣、二人の小さい頃を思い出したのだ。
甘めの卵焼きは、二人はとても好きだった。目の前の勇史と鈴々のように目を輝かせていた。
――そういえば、二人はどうしているだろう。
ふ、とそんなことが脳裏をよぎった。
ちゃんとご飯を食べれているのだろうか。
「おいっ、香織! ま、また、な、鍋がっ、鍋がぶくぶくとっ」
「え?! ああはいはい!」
どうやらお米ももうすぐ炊ける。あとは火から下ろして蒸すだけだ。
耀藍の反応がおかしくて笑ってしまったのと鍋を火から下ろす作業でバタバタして、香織は脳裏によぎった暗い不安のことを忘れてしまった。
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