第十七話 耀藍の謎は心に引っかかる棘のように
「おはよう
「こ、これはこれは、耀藍様じゃありませんか」
明梓は助けを求めるように香織を見る。
「あ、明梓さん、おはようございます。ええと、耀藍様は……」
「オレは香織の見張り役なのだ。芭帝国からきたらしい香織が怪しい人物でないかを見張れと姉上が仰せでな」
横からあけすけに耀藍が言うと、明梓は明らかにムッとした。
「そんな。あやしいだなんて。香織は良い娘ですよ」
「オレもそう思う。美味い飯を作る者に悪い人間はいないからな」
にこにこと答える耀藍に明梓は言葉に詰まっている。けれど、その態度は香織の知っている明るい肝っ玉母ちゃん的な明梓ではなかった。じっと自分の足先を見つめ、ときおり窺うように耀藍に目をやっている。
(な、なんか空気が硬いな)
いたたまれなくなった香織は口早に言った。
「あのっ、明梓さん! 食堂、やっていいって言われましたよ! 往診の間の午前中、ここを使ってもいいって」
「あ、ああ、そうかい! そりゃよかった」
明梓は我に返ったように笑顔になるとよっこらしょ、と背負っていた籠を下ろす。
竹を編んだ大きな籠には、風呂敷に包んだ大きな荷物と、青々とした葉付きの立派な大根が入っていた。
「今朝、隣の
「うわ、立派な大根!」
明梓が洗ってくれたのだろう、大根はつるんと白く、上に行くほどほんのり緑になり、その緑が移ったような青々とした葉がふっさりと付いている。
「それと、これもね。干し肉。あたしが作ったんだ」
麻布に包まれたそれを受け取り、香織は思わず歓声を上げた。
「うれしい! あたし、干し肉のスープ好きなんです!」
「すーぷ? すーぷってなんだい?」
「あー……ええと、汁物です汁物」
香織はあわてて訂正する。
干し肉をつかったスープは、とてもよくダシが出るのだ。
前世、肉が安いときについ大量買いすると、干し肉を作った。クックパッドで調べて、自分なりにスパイスやハーブを加えて作った干し肉は、細かく裂いて入れるだけで他の出汁がいらないほど旨味が出た。
大根と干し肉のスープ。
今日の食堂メニューはこれでいこう。
「香織は食堂を営むのか?」
香織と明梓の間から、ひょっこり耀藍が顔を出す。
「いえ、営むなんてそんな大げさなものじゃなくて。近所の方々に食材を持参してもらうかわりに、あたしがここで調理してみなさんにここで食べてもらうんです」
「食材を持ってくれば、香織が何か作ってくれるのか?」
「え? ええ、まあ」
「そうか! ではオレも食材を持ってくるぞ」
「へ?」
言うなり耀藍は弾丸のように飛び出していってしまった。
「まるで遊びにいく子どもみたいね」
智樹や結衣の小さい頃を思い出してついくすりと笑うと、明梓が声を低めた。
「あの御仁には気を付けな、香織。あの美丈夫はね、妙な術を使う妖術師だって噂だよ」
「え……」
その『妙な術』なら、すでに香織も目の前で見たし体験した。蔡家屋敷付近から華老師の家の前までワープしたことを思い返す。
「そんなに危険な感じでもなかったですけど……」
「いんや、あの綺麗な外見に騙されちゃいけないよ。飄々として何を考えているかわからないしさ。貴族様が気さくにしてくれるなんて無いことだから、この辺りじゃあの御仁のことをちやほやする奴らもいるけどさ、あたしは正直いつも不気味だなって思ってるんだよ」
確かにあのワープは香織もびっくりしたし、耀藍が術師という称号を国王から与えられていることにも違和感を覚えたのは確かだ。
けれど、好感を持っている明梓が耀藍のことをそんなふうに思っているなんて……と悲しいような寂しいような複雑な気持ちになる。
「ま、とにかく、あんたがここで食堂してくれるのは助かるからね。あたしは都の中心の市までこれから古着を売りに行くんだ。行きがてら、ここの食堂のことを近所に声をかけて行くよ」
がっしりした腕を上げて手を振り、明梓は出かけて行った。
香織が知っている明梓に戻ったのでホッとしつつ、香織は首を傾げる。
「耀藍が妖術師だなんて……そんなはずないのに……」
王に称号を与えられた術師だということを、明梓や一般の民は知らないのかもしれない。
そこに何か事情ある気がして、香織の心に小さな棘となって引っかかった。
蔡家の術師とは、一体何なのだろう。
◇
「耀藍、なんだその格好は」
「姉上、よくオレが帰ってきたことわかりましたね」
「おまえが帰ると屋敷の女どもが浮足立つからな。ついでにおまえが
「はは、」
「バレちゃいましたね、じゃない。華老師の家へ差し入れもけっこうだが、我はそなたにあの異国の娘を見張れと言ったのだ。我に報告も無しで行くのか」
この建安の都で一、二を争う美女の威圧的な眼差しも、普通の男なら
「報告すべきことが特にないので」
「昨夜、華老師の家へ泊まったのであろう?」
「姉上が期待されるようなことは何もなかったですよ」
耀藍は微笑む。卵の入った籠を持って行こうとすると、ぴしり、と金色の扇子で肩を叩かれる。
「よもや我に嘘を吐くのではあるまいな?」
「まさか。そんな命知らずなことしませんよ」
「父上が伏せっている今、我が蔡家のいっさいを取り仕切っておるのだ。二十歳を待たず、おまえを今すぐにでも王の元へ遣わしてもよいのだぞ。わかっていると思うが、王城へ入れば術師は一生、王城から出られぬ。後宮の妃嬪と同じく、籠の中の鳥じゃ」
「……だから、噓なんかついてませんってば」
耀藍は少しだけうんざりした様子で言った。
「今のところあの娘に変わったことは何もありません。しいて言えば……料理が上手いことですかね」
「……は? なんと?」
「すみません、急ぐので失礼します。何かあれば必ずご報告に上がるのでご安心を」
紅蘭が呼び止めたが、耀藍は小走りに庭院を抜けていってしまった。
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