第五話:鋼鉄令嬢とお偉い様

鋼鉄令嬢とお偉い様 #1

 一月のうち二十五日も過ぎてくると、どこからか校内にソワソワとした空気が訪れる。誰も彼もが陰陽に浮つき始め、脳裏、あるいは各種手段にて段取りを組み始める。その原因は、この私でも承知していた。いや、皆に便乗して目を輝かせてさえもいた。


「もうすぐですね、外出日」

「ええ。マリーネさんはご予定は?」


 四の月二十七日、就寝前の自由時間。私は寮の自室で、レイラ嬢と語り合っていた。本日の議題は、外出日である。月末、三十日の休日には、月に一度の無条件外出が認められているのだ。


「そうですねえ……」

「あら。そんなに目を輝かせているのに、まだお決まりでないのです?」


 レイラ嬢の鋭い踏み込みに、私は顔を赤らめた。思わず手をブンブンしてしまいつつ、本当のところを打ち明ける。いかんせん、少々恥ずかしいのだ。


「いや、その。実は……恥ずかしながら、王都が魅力的に過ぎまして」

「ああ、なるほど! やりたいことが多すぎるのですね?」

「はい……」


 私はうなだれた。なにしろ私は、前世の分もまとめてこの手の自由行動に慣れていない。

 せっかく羽根を伸ばすいい機会だというのに、行きたい所が多すぎて決められない。みっともないさまを友人に晒していた。


「んー……。なら、一緒に回りませんか? 私、お芝居が見たくてですね。ちょうど、売り出し中の俳優がよりどりみどりでいらっしゃる舞台があるのですよ」


 レイラ嬢が、小首を傾げて提案する。しかしそれは、私にとっても渡りに船だった。

 上京の際、馬車越しに見た国立大劇場。その豪壮さに圧倒されていたからだ。正直な話、一度この足で入ってみたかった。


「お芝居! いいですね。国立大劇場でしょう? 入ってみたかったんですよ!」

「なら良かった! その後は東方街でお茶でもしまして、ゆっくり十六刻頃から帰りましょう! 乗り合いとはいえ馬車も許されていますし、ゆったりできますわよ?」


 レイラ嬢からの重ねての提案に、私は手を鳴らす。ヴェロニカ氏のサロンでごちそうになって以来、東方茶葉をどうにか手に入れられないか思案していたところだった。もしかしたら、ツテを作れるかもしれない。


「そうしましょう! 門限までに帰れば、寮監も怖くありませんからね!」


 門限破りには手厳しい、うねる金髪を持った寮監。彼女を思い出すと、私は身震いしてしまう。

 なぜか。社会科見学と偽って『デラミー新報』の撃滅作戦を指導していたことが、どういうわけかあっさりとバレていたからだ。

 なんとか外出禁止こそは免れたものの、今も朝の掃除は一人だけ倍量を課されている。期限は寮監が納得するまで。何とも言えない処分量であった。


「そうと決まれば、今日はもう寝ちゃいましょうか。後三日が待ち遠しいですからね」

「ええ、そうしましょう。おやすみなさいませ」

「おやすみなさい」


 ……と、約定を交わしたはずだったのに。当日、四の月三十日。私は一人、王都の城門で戸惑っていた。

 王都行きの者たちを乗せた乗合馬車から降ろされ、城の検問は通過した。しかしその先、どうしたら良いのか分からずにいた。


「レイラさんの裏切り者ぉ……」


 はっきり言えば、私は泣きそうだった。頼りにしていたはずの彼女が、またも実家からの呼び出しで帰宅することになってしまったのだ。

 彼女の実家は王都郊外にあるので、存外に帰宅は楽である。土地を預かる在地貴族と、国からの俸給を賜る王都貴族の違いがここにあった。我が家の土地は、馬車でも二日はかかるのだ。


「王都は、上京の際に一回りしましたけど……」


 私は周囲を見回す。どっちを見ても人だかり、少し顔を上げれば建造物の群れがそこにはあった。馬車越しに見るものとは迫力が違い、やはり私は尻込みする。俗に言う、『お上りさん』がここにいた。


「と、とりあえず国立大劇場に……」


 私は、当初の予定を思い出す。非常に悔しそうにしていた、レイラ嬢の顔が浮かぶ。

 彼女のためにも、俳優のサイン一つでも持ち帰ったほうが良いのだろうか? それとも、土産話や物だけで満足するのか? 分からない。そもそも好みの俳優も分からない。

 なんてことだ。親愛なる友の、好み一つさえ分かっていないなんて。彼女のほうが、よっぽど観察眼があるじゃないか。


「あっ!」


 そんな雑事を考えながら歩いていたせいだろう。私の身体に、衝撃が走った。いかに鋼鉄の身体といっても、バランスが崩れればすんなり転ぶ。

 倒れた私が見上げたのは、鼻下から顎に髭を蓄えた偉丈夫だった。髭には若干白みが混じっていて、格好だけ見れば中年ぐらいの年かさだった。


「あ、あ! すみません!」


 私は慌てて謝罪した。『王都には、なにが住まうか分からない。各員相応、奮励注意せよ』。寮監かられっきとしたご注意を頂いていたのに、なんてざまだ。

 私は下を向く。悔しさのあまり、こみ上げるものがあった。しかし。


「いや失礼。こちらこそ前方不注意であった。ケガはないかね? デラミー校の、小さな淑女よ」

「え……あ、はい。大丈夫、です」


 偉丈夫からは、大きな右手が差し出されていた。私は一瞬呆けたものの、慌ててその手を取った。手を差し出されて受け取らぬのでは、殿方に恥をかかせてしまう。私は力強く、引き上げられた。


「む……」


 転げた時には巨人に見えた偉丈夫は、立ち上がってからもやはり頭一つ分は大きかった。身体をはたこうかというしぐさに、慌てて私は固辞した。自分ではたけるし、さすがに胴体を触られるのは怖かった。


「ふむ」


 偉丈夫が、髭をしごいて私を見た。私は身をよじり、強い目で彼を見上げる。いざとなれば、アイアン家流の戦闘術で――


「いや、本当に失礼した。詫びもしたいし、そこの茶屋で一杯どうかね。連れもいるが、気のいい男だ。許してくれる」

「へ? あ、えーと……はい……」


 意外な提案に拍子抜けした私は、いともあっさりとお誘いに乗ってしまった。


 ***


「おーい、トッさん。こっちこっち」

「おう、スーさん。待たせたな」


 茶屋に入ると、瞬く間に軽い調子の男から声がかかった。こちらは偉丈夫とは異なり、細身で髭も蓄えていない。ハンチング帽にスーツをまとった、初老っぽい、紳士風の男だった。

 ちなみに偉丈夫は、胸元をボタン一つ分開けたシャツ風の装束である。もっとも、筋肉ではち切れそうなのだが。


「おー? その制服はデラミー女子じゃないか。さては貴様、そういう趣味」

「バカモノ。いくらスーさんでも冗談がすぎるぞ。そこでぶつかっての。詫びに連れてきたんじゃ」

「貴様も老いたか。軍隊ではブイブイ言わせていたくせに」

「言ってろジジイ」


 軽口を叩き合いながら椅子に座る偉丈夫……もとい、トッさん。私も流されるまま、丸いテーブルの一角へと陣取る。周囲を見回せば、身なりのそこそこいい客が多かった。どうやら、客層はそう悪くないらしい。


「ワシらの選ぶ店だからのう。淑女に下衆の空気を味合わせる訳があるまいて。おっと、自己紹介が遅れたな。ワシのことはトッさんと呼ぶと良い」

「そうは言っても貴様のそのガタイじゃ、色々と疑われても仕方なかろう。失礼。我輩のことはスーさんと呼んでくれ」

「は、はあ……。あ……マリーネ・アイアンと申します、ハイ」


 初老めいた二人の勢いに圧倒されつつ、私も自己紹介をする。完全に気圧されていた私はこの時、二人の目の色がかすかに変わったことに気が付けなかった。

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