鋼鉄令嬢のとある一日 #4
「君はマリーネ・アイアンではない。そうだろう?」
そう言われた私は、どんな顔をしていたのだろうか。悲しいことに、自分では鏡を見ないと分からない。
ともかく私は、返事をしないことに焦点をおいた。「はい」と言ってしまえば事態は不明瞭になり、「いいえ」と答えようものなら大嘘になる。ならば、ノーコメントが賢明だった。……そのはずだった。
「その無言が、そっくりそのまま答えになるのだよ。見知らぬ人。名も知らぬ人」
「……」
核心を突かれても、私は応じなかった。表情を崩さなかった。それだけが、私にできるささやかな抵抗だった。
結果、息苦しくなるような沈黙が訪れた。機器の音だけが、ブンブンと鳴り響いている。そんな時間が、永遠のごとく続いた後。
「……まあ、無言は想定内だよ」
諦めたとも、元から分かっていたとも取れる口調で、ヴェロニカ氏は口を開いた。彼女もまた、一息に茶を飲み干して。
「そして私も、この事実をみだりに公表する気はない。本人が、肯定していないわけだしね」
「……」
ありがたいです、と言う言葉を押し込めて、私は無言に徹した。罠というわけではないだろうが、彼女ならばたやすく結論を見出してしまうだろう。結局は、罠と同等だ。
「まあ、なんだ。警戒心を刺激してしまっただけな気もするけどね。私は君を、興味深く見ているんだ。なんなら君の意思に反したその筋力を、調査してみたいとさえ思っている」
「……そのような言葉で、私が警戒を解くとでも?」
私は、努めて平静を心がける。だが、言葉の端々が荒くなっていた。我慢の限界が、近付いている。
「解かないだろうね。でも、私の立ち位置は示したい。私は君を受け入れる。サロンへの出入りも許可しよう。私は君を、個人的に気に入ってるんだ。味方でありたい。味方になりたい」
まただ。またしても、さっきと似たような言葉だ。私をダシにしているから、余計にたちが悪いと言ってもいい。
私の、私の意志はそこにあるのか。そこまでして、私を思惑の中に絡め取りたいのか。私は。私は。
「私は――」
その時、室内に光が差した。
「マリーネ嬢!」
強い音とともに、サロンのドアが開く。方角を見ればそこには、息を切らせた金髪の男が立っていた。見間違えるはずもない。先ほど、突き飛ばしてしまった相手その人だ。
「ジョッシ……」
私が彼の名を呼ぶ間もなく、ヴェロニカ氏が動いた。その身なりからは、想像もできない早さだった。彼女自らサロンの出入り口に立ち、彼を押し留めた。
「ジョッシュ・メイスフィールド。トルン公爵派に属する貴族の子息。あそこの令息に侍る者どもは、ここには出入り禁止だと伝えているが」
「よく見たまえ。まだ私は、貴君のサロンに侵入していない。ここに、マリーネ・アイアンという女性が来ているはずだ。目撃者もいる。隠し立ては許さないぞ」
私をよそに、二人が言い争いを繰り広げる。
同時に、私は一つの事実を知った。かの令息と、ヴェロニカ氏は敵対している。いや、対を成す貴族なのだから当然か。ともかく、私を味方にしたい理由は垣間見えた。
「来ていることは認めよう。別に隠してもいないからね。だが、貴君に救われることを望むだろうか。申し訳ないが、いきさつは聞かせてもらったよ」
「たしかに。私にとっては恥ずかしい話ではあるが、隠し立てする必要もないだろう。彼女がここを出たいようであれば、それを許可して欲しい」
「……出ます」
私は席から、声を上げた。もう我慢の限界だった。
どうしてこの人たちは、私を無視して争うのだろう。私には私の意志がある。それに気付かない限り、私はこの人たちになびくことはない。
「ヴェロニカ様。美味しいお茶とサロンへの出入りの権利、まことにありがとうございました」
私は彼女に近づき、深々と頭を下げた。続いて、彼に向かって頭を下げる。
「ジョッシュ様。先ほどは気が動転してしまい、あのような暴挙に出てしまいました。まことに申し訳ありません。そして、それにもにもかかわらずここまで来てくださり、まことにありがとうございました」
「……」
二人からの言葉はない。私は息を吸うと、続けざまに言葉を放った。これは私の、魂からの声。聞いてもらえなくても構いやしないが、私の告げる、私の立ち位置だった。
「されど私は、私の意志を聞かない人物になびくつもりはありません。勝手に気に入っただの味方だのおっしゃられましても、私には私の意志がございます。貴方がたからのご好意は受け入れますが、それに甘えようとは思いません。私は、私の人生を謳歌したい。それだけなのです」
私は、ほとんど一息で言い切った。そう。これが、私の出した結論だった。不意に手に入れた、第二の人生。機械の身体。ならばそれを、満足するまでやり遂げる。それが、人生というものの意義ではないだろうか?
「……」
二人からの、反応はない。私の言葉を、噛み締めているのだろうか。しかし私は、もう容赦しないと決めていた。二人の間を縫って、サロンの外へと歩んで行く。
「ま……」
どちらか、いや、両者からだろうか。制止の声がかかる。それでも私は、歩みを止めなかった。意志を込めた足取りで、ヴェロニカ氏に連れられた道を戻って行った。
***
「それで、差し伸べられた手を引っ叩いたのですか」
「……」
授業をすっぽかしたかどで、六限を教師陣からのありがたいご指導に費やした後。私は寮の自室でもお説教を受けていた。
「別にあなたの生き方に干渉するつもりはありませんが、敵を作り過ぎますと、謳歌する以前に詰みますよ?」
「うぐっ……」
説教の主は親愛なるレイラ嬢。私が本日の顛末を語ったところ、彼女は銀の目を光らせて私にとつとつと語り始めたのだ。
少々愚痴が混じったのは良くなかったとも思うが、まさかこんなことになるとは。
「いえ、詰みで済めばまだマシな方です。この学び舎とて、貴族子女の社交の場。彼ら彼女らの横の連携を侮ってはなりません。伯爵令嬢の一人や二人、立ち行かぬようにするなど造作もないのです」
「……はい」
もはや私は、うなだれるほかなかった。この学校を侮ったつもりはないが、結果的には敵を増やした可能性しかない。
しかも相手は、よりにもよってこの国で権勢を分け合う公爵家二つなのだ。下手を打った場合、アイアン伯爵家ごとプチっといかれる可能性まである。私は、今更になって自分の切った啖呵の重要性を思い知ってしまった。
「……でも、吐いたつばは飲み込めません」
私は、蚊の鳴くような声で言葉を返した。当然のことだが、私にも意地というものがある。たとえ状況が悪化したにせよ、朝令暮改ではより侮られる可能性があった。
「お気持ちは分かります」
幸いにして、レイラ嬢は私の意志を肯定してくれた。ありがたい。本当にありがたい。やはり持つべきものは、親愛なる友なのだ。
「ですがやはり、改めて敵対の意志はないことを言明する必要はありますね」
「……ですよね」
さらに落ち込む私に、彼女はとつとつと続けた。
「残念ながら、自由というものには、力というものには、相応の責任が伴います。振るった結果が悪ければ、責任を取らねばなりません。それから逃げてしまうようであれば、先般逆恨みにて目論見を吹っ掛けてきた、かの令息と変わらない程度の人間に堕してしまいます」
それは、前の人生でもどこかで聞いたような言葉だった。しかし今回は、不思議なほどにするりと馴染んだ。
「さあ。夜も遅くなりました。今日のような一日は、反省こそすれども後悔してはなりません。早くに眠って、一度忘れてしまいましょう」
彼女に笑顔が戻る。それを見て、私は思った。
きっとレイラ嬢は、こんな私を心底心配してくれているのだ。だからこそ、あえて懇切丁寧な説得を行った。
仮に私から憎まれる結果になっていたとしても、きっと彼女は後悔しないのだろう。なぜなら、彼女は自らの意志に従ったまでなのだから。
「おやすみなさい。明日、謝罪に行って参ります」
「それが最善かと思います。おやすみなさい」
こうして私は、意志も新たに眠りについた。翌朝訪れることになる正念場の事態に、予感すらも抱けなかった。
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