第3話 雨降って地固まる

 翌週の終わり頃、また仲間なかまさんはやって来た。今回はお客さまとしてである。


 寒さも本格的になって来ていた。冷たい風がぴゅうと身体に辛い季節である。


「この前はほんまにありがとうやで」


「いえ、とんでもありません。作ってみはりました?」


 佳鳴かなるが聞くと、仲間さんは少し興奮気味に口を開く。それだけでも満足度が分かってしまう。


「うん! 計量カップとスプーンとタイマー、キャン・ドゥで買うてね。レシピ通りにちゃんと計って、時間も測って作ったら、ちゃんと美味しいのができた。感動してしもた。ほんまに計量の大切さをしみじみと思い知ったで〜」


「それは良かったです」


 本当に良かった。佳鳴が微笑むと、仲間さんは「ふふ」と笑みを浮かべた後、少し憂鬱げに小さな溜め息を吐く。


「でね、彼氏の妹さんに教えるの、今週末に決まってん。明日やね。ちゃんとできるか不安やで」


「大丈夫ですよ。でもそうですねぇ、それまでに何回か作って、もっと慣れておくとええかも知れませんね。あ、でも明日ですか」


「やっぱりそうやんね。せやから平日しんどいけど、できるだけ作る様にしとった。今日はちょっと休憩。さすがに疲れたわ〜」


「さすがです。何を作りはるんですか?」


「妹さんのリクエストは煮込みハンバーグやねん。寒なって来たし、身体のあったまるもんな。持ってる本の中に美味しそうなレシピがあったから、それにしようと思って。ソースはハインツのデミグラス缶使うから、これやったら私でも作れるかなって。せやから聞いた日にさっそく作ってみてん。玉ねぎのみじん切りなんかは元から出来るから、そこはどうにかなったし、味付けはちゃんと計って作ったから、ちゃんと美味しくできた。ほっとしたわ」


 仲間さんは言って、またほぅと安心された様に息を吐いた。


「ほんまに良かったです。慣れたらアレンジも出来ると思いますよ。ハンバーグの中にチーズを入れたり、ソースにきのこやグリンピースなんかを入れたり」


 佳鳴のせりふに、仲間さんは想像をされたのかごくりと喉を鳴らす。


「それ絶対に美味しい! 野菜もたくさん摂れるし。ううん、でも明日は変な冒険はせえへん。失敗してまう方が怖いもんな。野菜はサラダとか食べてもらおう」


「そうですね。明日はそれがええかも知れませんね」


「巧く出来たらええな。あ、注文ええかな。お酒で」


「はい、かしこまりました」


 今日のメインは治部煮だ。鶏肉と、これからますます旨味が増すたっぷりの根菜と干し椎茸を使ってある。彩りはさっと塩茹でした旬の小松菜で添える。


 鶏肉に小麦粉をはたいて煮込んでいるので、煮汁にほのかなとろみが付き、それがお野菜にたっぷりと絡むのだ。お出汁を効かせた優しい味である。


 小鉢はふろふき大根とコールスローである。


 ふろふき大根はお米の研ぎ汁で下茹でした輪切り大根を、お出汁でじっくりと炊いたので、中まで豊かな味が沁みている。それに辛さ控えめのからし味噌が良く合うのだ。


 コールスローの和え衣は、マヨネーズにレモン汁を混ぜて、さっぱりとなる様にしてある。太め千切りのきゃべつを塩揉みして水分を絞ったら、短冊切りのハムと合わせて和え衣と混ぜ、器に盛ったら黒こしょうを掛けた。


 きゃべつは冬きゃべつがそろそろ出回る。切るとじわりと水分が出て来て、なんともみずみずしい。


「ねぇ店長さん、ここのご飯って味とかのバランスもええっていつも思ってるんやけど、そういうのも慣れたらできる様になるやろか」


「ええ。こういうのも慣れですから」


「そっか、頑張ろ。ん、この煮汁、とろっとしてて野菜とかにしっかりと絡みついてくる。美味しいな〜。ふろふき大根も辛さ控えめで優しいなぁ。コールスローもちょっとした酸味がええよね。こういうんもバランスやんね。しかもどれも美味しいんやもんなぁ〜」


「ありがとうございます」


 仲間さんは全ての皿をひと口ずつ食べ、満足げにサマーゴッデスの炭酸割りを傾けた。




 さて翌週。月曜日は定休日なので、火曜日。18時に「煮物屋さん」が開店してぼちぼちと席が埋まり始めたころ。仲間さんが元気な姿を現した。


「店長、ハヤさん、巧くできた!」


 開き戸を開けるなりそう言って、コートを脱ぐのもそこそこに、空いている席に慌ただしく掛ける。そして「お酒でね」と注文をされる。


「いらっしゃいませ。彼氏さんの妹さんへのお料理ですか?」


 佳鳴が温かいおしぼりを渡しながら言うと、仲間さんは「そうそう」と嬉しそうに頷く。


「その日のお昼にも作ってみてん。晩ご飯と続いてまうけど、不安になってもて。連続して作ったからやろか、リラックスして作れたって言うかね。ふふ、妹さんとちゃんと計りながら楽しく作れたで。で、美味しくできた!」


「ほんまに良かったです。じゃあ彼氏さんの妹さん、喜ばはったでしょう」


「うん。でな、ちゃんと妹さんにも「計量は大事」って言っておいた。ハヤさんの受け売りやけど、私も今回のことでしみじみと思い知ったからね〜」


「そうですね。慣れるまではそれがええと思いますよ」


「うん。でな、目標は計量無しで、目分量で作れる様になること!」


 そう力強くおっしゃり、ぐっと拳を握った。


「ならもっとお料理をしないとですね」


「うん。平日はやっぱり凝ったん難しいけど、休みの日とか頑張ってみるわ。彼氏も食べに来るしな。結婚もしたいし。ちゃんと自分の手で胃袋つかむねん! あ、日本酒のソーダ割りお願いな」


「はい、かしこまりました」


 そうして整えたお料理を出して行くと、仲間さんが「あ」と少しばかり驚いた様な声を上げた。


「煮込みハンバーグ!」


 勢い込んで飛び込んで来られたからか、表のおしながきをご覧になっていなかった様だ。


「はい。千隼、仲間さんのお話を聞いていたら作りたくなってしもうたみたいで。仲間さんにはハンバーグが続いてしまいましたね。すいません」


 仲間さんは「ううん」と嬉しそうに首を振る。


「ソースもハインツ缶のと色が少し違うし、きのことグリンピース入ってる。これ、マッシュルームとしめじとエリンギ? 美味しそう! じゃあもしかして中にチーズ入ってる? ろくにメニューも見ずに入ったからびっくりしてしもた。じゃあお酒、ワインとかにすれば良かった。後で頼もう」


「はい。チーズ入ってますよ」


「やったぁ! チーズハンバーグ美味しいやんね! ソースはこの色ってことはデミグラスソース?」


「はい。ご家庭でも作れる様に改良したレシピで。さすがに洋食屋さんでは無いんで、いちから作ることは難しすぎて」


 デミグラスソースはいちから作ろうと思うと、牛肉や香味野菜を焼き付けて煮出すところから始まり、完成まで1週間程度が掛かる。洋食屋さんなどが継ぎ足しで守っておられるこだわりのソースなのだ。そんな大変なものを、千隼であっても作ることは骨である。


 なので今回はウスターソースとケチャップ、赤ワインをベースに作ったのだ。


「いただきます!」


 仲間さんはまずサマーゴッデスの炭酸割りをぐいと半分ぐらい飲んでしまうと、いそいそとおはしを取る。


 豪快に真ん中から割ると、透明な肉汁がじゅわりと、そして溶けた黄金色のチーズがとろりと流れ出て来た。仲間さんは「ああん」と悶える様に嬉しそうな声を上げる。


「これこれ! 私でも作れる様になるやろか」


「ハンバーグが美味しく作れるんですから大丈夫ですよ。今度試してみてください」


「うん」


 チーズとソースをたっぷりと絡めて口に放り込む。そして「んん〜」と満足げな声を上げた。


「美味しい……。いややわぁ、もうほんまに美味しい……。すごい美味しい……。チーズがとろっとろでお肉がふわっふわで……」


 そう言ってうっとりと目を細めた。


 メインにボリュームがあるので、今日の小鉢はひとつ。カリフラワととうもろこしのピクルスだ。玉ねぎも使ってあるので、お口の中をさっぱりとさせてくれる。


 とうもろこしは缶のものを使った。夏の旬の生もとても美味しいが、缶のとうもろこしにも捨て難い旨味が詰まっている。


 サマーゴッデスの炭酸割りを挟みつつそのピクルスを口に入れ、「これお酒にも合うなぁ」とおっしゃって、残りの炭酸割りを飲み干してしまった仲間さん。さすがのハイペースだ。


「次赤ワインで。ちょっとこれはゆっくりと楽しみたいわぁ」


「かしこまりました」


 そうして仲間さんはワイングラスに用意した赤ワイン「イエローテイル」のピノ・ノワールをゆったりと口に含み、はぁ〜と満足そうに息を吐いた。


 イエローテイルはオーストラリア産の赤ワインである。様々なぶどう品種の展開があるが、このピノ・ノワールはベリーの様な酸味が感じられ、やわらかに旨味が広がる赤ワインである。


「あとは、彼氏と妹さんのお母さまが喜んでくれたらええなぁ」


「大丈夫ですよ。まずは娘さんの手作り料理ですもん」


 親御さんとしては、お子さんの心のこもった手料理ほどのご馳走は無いだろう。お誕生日をお祝いしてくれるお気持ちと相まって、きっと素敵なお食事になるだろう。


「そうやね。味はもちろんやけど、そういうのええよね。ほんまにええ子なんよなぁ、妹さん。私、将来良いお義姉ねえちゃんになれるやろか、なりたいな〜」


 仲間さんはまたちびりとワイングラスを傾けて、幸せな未来にふぅわりと思いをせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る