「初日の出カミサマ☆ロックフェス」その⑫
12
景虎は夕焼けの差す八咫超常現象研究所で、アマテラスの調査と共に咲耶の過去、レイの話を勝手に覗いた事を謝罪した。
すると咲耶は、今まで見せた事のない怯えと怒りの混じった表情をしたかと思うと、景虎の顔を平手打ちにした。拳で殴られても仕方ないと思っていたのでまだマシだ。景虎はそう思った。
「景虎、もうこの仕事が終わったらここへ来なくていいわ。あなたを解雇します。最低よ、あんたは」
「ああ、それでも構わない。けど最後に聞いてくれ。咲耶さん、あんたとレイの話には続きがあるんだ。レイの遺品をまだ持っているだろ、それを確認してくれ」
「出て行って、やっぱり今クビにするわ。出ていきなさい」
咲耶は叫んだが、景虎は怯まなかった。咲耶を助けてあげたかった。記録を見たから分かる。レイの「メッセージ」をまだ咲耶は確認できていない。そして、今やらないと恐らくもう一生レイの思いは伝わらないと景虎は予感していた。
「あんたの為だとか言い訳はしない。あんたの過去を勝手に暴いた俺は最低だ。よく分かってる。だけどレイの遺品を確認してくれ、まだレイの気持ちを受け取ってないんだよ。咲耶さんの気持ちは俺にも分かるから、だから……」
「出ていきなさい。二度と、あんたの顔を見たくない。気持ちが分かるなんて、そんなのも聞きたくない」
咲耶は景虎に背を向けて黙ってしまった。もう、限界か。景虎も黙って研究所を出た。
レイの遺品は咲耶のデスクに今も保管してある。事故に遭ってぐしゃぐしゃに潰れた車から発見された、小さなラッピングされた箱だ。赤いリボンで飾られている。それともう一つは愛用していたボイスレコーダー。
咲耶は、自分のデスクの引き出しからそのレイの遺品を取り出した。多分、箱の方は指輪だろう。ボイスレコーダーの方はまだ壊れていないはずだが、事故のあの日から放置していた。
咲耶はボイスレコーダーの電源を入れてみた。すると驚くべき事にそれはしっかり起動した。
『あーあー、テステス……。じゃあ今回は新曲の練習をします──……』
レイの声だ。
その瞬間、咲耶の頭の中でぼやけていた「レイ」という人間が一気に蘇ってきた。背が高く、ごつごつしていて優しい顔と声。どうして忘れていたんだろう。
咲耶はボイスレコーダーをさらにいじってみた。そして、ある異変に気づいた。
当時のオルフェウスで作った曲は六曲。なのでレイのデモトラックのファイルは六個である筈だ。なのに、七個目のファイルが作成されている。咲耶は震える指で、その七個目のファイルを再生した。するとやはりレイの声がした。
『テステス……。ええと、今日は咲耶へのプロポーズの練習をしたいと思います。僕は気持ちが先行して話がまとまらない癖があるから、ここで台本を用意して、そのリハーサルをします。……ゴホン、では始めます。
ええと、咲耶、僕たちは音楽で繋がっている──……』
プロポーズの練習の記録? 咲耶は思わず吹き出してしまった。そうそう、そういう人だった。少し笑った後、咲耶は懐かしさと寂しさで胸が苦しくなった。でも再生を止める気にはどうしてもならない。じっと、かつてあの車で聞いたレイのポエムみたいで下手くそなプロポーズの台詞に耳を傾ける。
『──……胸を張って、前を向いて歩いてくれ。そうすれば一本道だ。そこで転びそうになったとしても僕が手を引いてやれる。大丈夫さ──』
咲耶は、いつの間にか自分の目に涙が溢れている事にも気が付かないほど、レイの声に集中していた。
『咲耶、君は──……』
『“好きに歌え”』
この部分は「あの時」聞く事ができなかった。ここから先の続きは初めて聞く。咲耶の耳にはもはやレイの声以外は聴こえていない。
『君がどこで何をしていても君の歌なら僕は聞きたい。さっき音楽には魂が宿ると言ったように、君が歌えばその魂は必ず僕に届くんだ。僕が作って、君が歌う。そんな日々はどんなに僕たちが離ればなれになっても、“僕”として君の中に残ってたら嬉しいと思う』
『僕の魂はいつでも君と共にある。道は違っても辿り着く先は一緒だよ、結婚しよう咲耶』
そこで、録音は終了した。プツッという音を最後に、またレイはどこかへ行ってしまうのだった。
全て聞き終えた咲耶は、その場に座り込んだ。そして少しずつ、レイの言葉が咲耶の中に溶けて現実味を帯びていく。気がつけば声をあげて泣いていた。たった一人の八咫超常現象研究所に咲耶の泣き声が響く。
景虎は、その魂を吐き出すような叫ぶような、そんな悲しい声を研究所外の廊下で聞いていた。景虎は自分の事の様に胸が痛くなった。だが、これは咲耶が受け取らないといけないメッセージだ。
◯
どれほど泣いたのだろうか。夕焼けはもう月明かりになっていた。
それを確認すると、咲耶はゆっくり立ち上がって涙を拭った。もう二度と、レイを忘れる事はないだろう。咲耶は不思議と安心していたのだった。それは、どんなに頑張っても思い出す事が出来なかったレイの存在が、今なら思い出せるからだ。
あの別れから十年ほど経ち、やっと自分宛ての手紙を受け取ったような、そんな不思議な気分だった。
『君は好きに歌え』
レイは言った。いつ、どこで歌っても必ず僕に届くと。
咲耶はずっと自らで歌う事を封印していた。レイの死は自分のせいだと後悔していたし、何より一番自分の歌を聞いてほしかった最愛の人はもういない。そう思うと歌えなくなった。
だがレイの下手なポエムによると、常にレイは自分と共に在るらしい。全く、馬鹿なんだから。咲耶は笑ってしまった。だったら歌っても良かったんじゃないか。
「そんなに歌ってほしいなら、レイ。最初からそう言いなさいよ」
咲耶はそう呟くと、遺品の箱の中から指輪を取り出した。そのシルバーの指輪は控えめで小さな宝石がちょこんと付いている。咲耶はその指輪を左手の薬指に入れた。
「こちらこそ、末永くよろしくお願いします。私が歌うところをよく見ときなさいよ」
◯
八咫超常現象研究所の出入り口の扉を開けると、景虎が扉のすぐ傍に立って待っていた。咲耶はそれを確認し、煙草を口に咥えると何事も無かったかのように景虎に向かって言った。
「何ぼさっとしてんのよ。景虎、火をつけてちょうだい。これ吸ったらさっさとアマテラスを叩き出すわよ」
「了解、ボス」
景虎はふっと息を吐くと、ジッポーライターで咲耶の煙草に火をつけた。
景虎と咲耶が高天原に戻ると、既にカミサマ☆ロックフェスは開催されていた。すぐにアメノウズメの運転する馬車で天岩戸まで向かい、到着するとステージ裏に仮設された控室まで走った。
会場内は観客である幽霊や神々が相当な数集まっている。会場は崖の上にアマテラスの籠る天岩戸があり、その下の谷底にステージが建てられていた。丁度崖同士の谷間にステージがあるので、反響して天岩戸まで充分演奏が聞こえるだろう。
今、ステージでパフォーマンスしているのは日本サンタクロースたちによるダンスグループ「SNT46」らしい。
「わしは誘われてないぞ」
と、サンタは怒っていた。
しかし、これほどの規模で予告通りに爆発テロが起こったらとんでもない。爆発の影響で崖が崩れたらステージや観客ごと飲み込まれて大変な事になる。
景虎はここからが勝負だ、と自分に気合を入れた。
「演奏の準備はどうだ?」
景虎が控室に入るなり聴くと、鬼村が「無論ですな」と答えた。他の者もやる気と自信に満ちているらしい。
それを確認すると、咲耶は一歩前に出てバンドメンバーたちに頭を下げた。当然、みんな困惑している。
「今回は、私の個人的な感情のせいで仕事に全く身が入ってなかったのでそれを謝罪します。どうか、力を貸してください」
「いえ、良いんです。咲耶さんのお悩みは晴れたのですか?」
紫苑が聞くと、咲耶は頷く。そして言葉を続けた。
「突然だけど、そのことで、私にも歌わせてほしいの。足は絶対引っ張ったりしない。それは約束するわ。だから、私もステージに立たせて。勝手な事を言っているのは分かってる。だけどそれでもお願いさせてほしい」
咲耶がそう言うと、視線は弘子に集中した。ボーカルは弘子なので彼女に判断を委ねようという事だろう。
ここまで弘子は腕を組んで黙っていたが、静かに咲耶に告げるのだった。
「構わないよ、足を引っ張らなきゃね」
そして小声で「私はあんたのファンだし」と誰にも聞こえない声で呟くのだった。
咲耶がバンドメンバーになり、ツインボーカルとなった八咫超常現象研究所のバンド「アダムス(仮)」は残り時間の少ない中、咲耶を交えて打ち合わせを始めた。本番は一発勝負になる。少しでも作戦を練っておきたかった。
そして、ついに控室の扉がノックされ会場スタッフが「本番前です」と告げに来た。
「ええと、バンド名はアダムス(仮)とありますが、こちら『アダムス』でお間違いないですか?」
スタッフが聞くと、咲耶は首を横に振った。
「いいえ、皆で考えてもっと良いのを思いついたわ。バンド名を変更します」
◯
咲耶たちは全員ステージの定位置についた。この幕が上がれば演奏が始まる。咲耶は深呼吸をした。レイ、しっかり見ていて。何度も心の中でそう呼びかけた。咲耶の左手の薬指にはレイから贈られた指輪もある。常に共に在ると彼は言った。ならば信じよう、後は楽しむだけだ。
「お次は凰船の八咫超常現象研究所より結成されたニューバンドです、その超常的なロックをぜひお楽しみ下さい。では、『ヤタガラス』の皆さんです、どうぞ!」
司会者の進行でステージの幕が上がった。そして、幕が上がると咲耶は目を見開いた。歓声と、見渡す限りの観客。これがロックフェスなのか。
ここを超えて、いつしか武道館へ。そう思っていた。だがもうそれは過去だ。今はそれを懐かしんだ。
そして咲耶は歓声を全身に浴びて、痺れるほど緊張していた。だが不思議と恐れはなかった。むしろこの空気感は心地良い。だから音楽をやっていたんだ。ここが私の居場所だ。咲耶は確信したのだった。
咲耶は背後にいる虎右衛門、サンタ、紫苑に目で合図を送った。すると前奏が始まる。そして隣に立つ弘子に頷くと、再び前を向いて大きく息を吸い込んだ。
◯
景虎は「ヤタガラス」の演奏を背後に聞きながら、天岩戸の目の前に来ていた。景虎の隣にはアマテラスの弟妹である、スサノオとツクヨミもいる。
「おい、アマテラス様よ。早く出てこいよ。聞こえてるだろ? もう何時間もライブやってるのはあんたの為なんだぞ」
景虎が天岩戸の入り口を塞ぐ大岩に向かって叫ぶと、スサノオとツクヨミも続いた。
「景虎殿が調べてくれたのだ。姉上、話は聞いたぞ。かつて人間たちと交流したそうじゃないか。それはとても立派な事だ。また初日の出としてその姿を見せてやれないのか」
「そうだよ姉様、みんな待ってるよ。歌好きでしょ? 出てきて一緒に歌いましょうよ」
しん、としてアマテラスの声は返ってこない。聞こえてないはずはないので無視しているのだろう。景虎はふう、と息を吐くとコートのポケットから木箱を出して開けた。中から出てきたのは、ぼろぼろの巻物だった。
「奈良県のヨキ山に行って来たんだ。昔あんたが降臨した山だよ。俺が今持ってる巻物は、あんたに向けられた感謝状だ。約束したんだろ? いつか形にして届けるって。『紙と墨』が発明されるまであの山の人間はあんたとの交流の事をしっかりと語り継いでいたんだ。そしてこれが残ってた。親から子へ、そしてまたその子へ……。感謝は受け継がれていた」
アマテラスは暗い岩戸の中で耳を疑った。感謝状の事など聞いた事がなかった。
「俺はこの巻物を誰から預かったと思う? 一◯二歳のお爺さんだぜ。爺さん、泣いてたよ。やっと私たちの恩人に感謝を形として届けられるって。自分が直接会った訳じゃないのに唯のおとぎ話を信じて疑わず、ずっと守っていたんだ。あんたは、そこに閉じこもってこの『感謝状』を受け取れないって言うのかよ」
景虎は叫んだ。アマテラスの記録を読み、そしてあの山に住んだ者の子孫にも会った。今回の件は唯の悲しいすれ違いに過ぎなかった。まだ神と交流するには人間は未熟過ぎた。それだけの事だったんだ。
しかし、アマテラスから返事は返って来ない。それは景虎にとって悔しかった。ただのすれ違いなのに、咲耶とレイの二人と同じだ。きっと誤解は解けるはずなんだ。景虎はまた繰り返し叫ぼうとした。
──その時だった。背後の崖下、ロックフェス会場から大歓声が上がった。説得に集中していて全然聞いてなかったが、咲耶は上手くやったらしい。
◯
身体が熱かった。動悸が鐘の様に激しく鳴って、咲耶は肩で息をしていた。しかし歓声が心地いい。多分、この感覚をずっと求めていたんだと咲耶は自然と笑みが溢れた。
そして、気づけば咲耶たちに浴びせられた歓声たちはアンコールに代わっていた。
「アンコール! アンコール!」
観客の破れんばかりの歓声は「ヤタガラス」を包む。
咲耶は、その歓声に応えようと手を出した。手を振ろうと思ったのだ。だが、その手をすぐに引っ込めた。その瞬間、時間すら止まった気がした。観客席、咲耶の視線の先に、レイがいたからだ。
レイを見つけた時、全ての音が消えた。そしてレイ以外の人間も視界から消えた。咲耶は、呼吸をするのも忘れてじっと見つめた。
レイは、ゆっくりとした動作で自分の胸を指差す。それからその自分に指差した手を、今度は咲耶に向けて指差し直すと、微笑んだ。
『僕の魂はいつでも君と共に在る』
また、レイにそう言われた気がして咲耶の胸は熱くなった。
ああ、どれほど会いたかっただろう。私の歌はレイに届いた。そして、これからも届く。咲耶はあんまり嬉しくて、思わず頬に涙が伝った。
そして次の瞬きの後、レイは消えていた。また咲耶の耳にアンコールが聞こえてくる。はっとした。そうだ、レイが来ているならアンコールに応えないと。
「では、アンコールにお応えしてもう一曲だけお付き合いくださいな」
前奏が再び始まる。咲耶が選んだ曲はチャットモンチーの「染まるよ」だった。レイが一番好きなバンドの一番好きな曲だ。解散したよ、って教えてあげたらレイは驚くだろうなと咲耶はつい笑ってしまった。
そして、アンコールが始まった。もう咲耶に迷いは無い。
その時、アンコールの開始とほぼ同時に天岩戸の入り口に光が差すのだった。アマテラスの太陽の輝きがカミサマ☆ロックフェス会場を優しく照らし始めた。
────その⑬に続く
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