第6話
その日の夕方、基地に向かって車を飛ばしていた。あれほどこわがっていたのに、どうしてまた、車に乗っているのか。
ガスがもう、ほとんどタンクに残っていないのだ。わかってはいたけれど、ランチから帰る途中で、残りが少ないことを示す赤いランプが点灯してしまった。
そのまま基地に寄って給油したかったけれど、今日のデモは五時くらいまで行われるという。明日行こうか、とも思った。でも、行くなら今日のうちだ。夜になったら、今度こそ爆弾を仕掛けられるかもしれないから。
いつもなら正門を使うけれど、昼間のこともあったので裏門から行くことにした。
農家の広い敷地の間にある舗装されていない道を曲がると、いきなり森の中のようになる。両側がうっそうとした木々におおわれ、外灯さえもない。そこに、車の長い列ができていた。裏門が閉まるのが、午後六時。デモが終わるのを待って駆けつけたのは、わたしだけではないらしい。
さすがに冬のこの時間、並ぶ車のヘッドライトがなければ数メートル先も見えないほど真っ暗だ。渋滞は好きではないけれど、今日に限ってはありがたかった。一人ではない、というだけで心強かった。
ラジオからは八十年代のポップソングが流れていた。前の車が、少しだけ進んで止まった。ふつうに間を詰め、ブレーキを踏みこんだ、そのときだった。
きええええええええっ!
奇声が耳をつんざいた。それも、ひとつではない。運転席の窓から外を見た。闇の中から黒い影がとびかかってきて、
ガンガンガンガンガンガンガンガン!
ものすごい音が響き渡り、車が小刻みに揺れた。
あまりの恐ろしさに声が喉に張りつく。そこで気づいた。
何者かが外から車をものすごい勢いでたたいているのだった。それも一人じゃない。
混乱してブレーキを離しそうになり、あわててもういちど踏みこむ。
目が合った。
その人はわたしが怯えるのを見て、にやりと笑った。背中から冷たい汗がふきだし、頭の中が真っ白になった。全身がわなわなと震える。助手席側、後部座席。全ての窓に、人がはりついて奇声をあげ、窓をたたいている。
声をあげたい。なのに、体がこおりついてしまって口を開くことさえもできない。ラジオの音も聞こえない。ブレーキを踏む足が震えた。
ぎゃああああああっ。
きいいいいいいいいっ。
どんどんどんどんどんどんどん。
ドラッグか、ドランクか。それとも正気の嫌がらせか。
耳の奥からキーンという音がする。全身が心臓の塊になってしまったかのような音。どうしたらいいのかわからない。身動きもできない。体が震える。冷たい汗が全身から吹き出す。息をしているのに、空気が入ってこない。これは、夢か、現実か。
意識の糸が細くなっていくのを感じていた。視界が狭くなる。頭の中が白いものに覆われる。
助けて! 誰か助けて!
わたしの中の何かがはじけそうになった、そのときだった。
フオオオオオオオオオオオオオン。
後ろからけたたましい音でクラクションが鳴り響いた。
車をたたく音が止んだ。目に、まぶしい光が飛びこんだ。後ろの車がヘッドライトをハイビームにして点滅させた。それが、バックミラーに映ったのだ。
ばらばらと散っていく黒い影たち。
そこで、我に返った。
今のは一体、何だったんだ。
呆然としていたら、
フオオオオオオオオオオオン。
もう一度、クラクションが鳴った。もうヘッドライトは点滅していなかった。それで、前の車との距離が開いているのに気づいた。
急いでブレーキをアクセルにふみかえた。
エンジン音とともに、車が急発進した。シートに押さえつけられるような圧力。恐怖のあまり、思い切り踏み込んでしまったのだった。前の車のテールランプが迫る。
あわててブレーキを踏んだ。
キイーーーーーーーーーッ。
どん。
タイヤのきしむ音。つんのめるような衝撃。
わたしの車は、前の車にぶつかる寸前のところで止まった。
どん。
今のは、何だったんだろう。
また冷汗が伝った。
何かにぶつかったような音だった。それも、かなり大きな。
まさか、人……。
全身から血の気が引いていく。止まったはずの震えがまた、襲ってくる。
慌てて首を横に振る。
そんなはずない。だって、誰もいなかったし。
でもあたりは真っ暗だ。
轢いてないよね。人、殺してないよね……⁉
心臓が狂ったように高鳴っている。何度か大きく息をして、気がついた。もう、奇声も窓もたたく音も聞こえない。
これは夢なのか現実なのか。恐怖が見せた幻影なのか。どこからどこまで現実で、どこが違うのか。
前の車がまた少し進んだ。ブレーキをゆるめた。足が震えている。手足の感覚もない。
どうして、こんな目に遭わなきゃいけないのか。悪いことなど何もしていないのに。
ただ、これだけを思う。
どうか、誰も殺していませんように! 人を轢いていませんように!
足の震えが、いつまでも止まらなかった。
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