第5話

 基地近くのダウンタウンの町も、お昼時とあってにぎわっていた。


「こないだ、すっごいおいしいレストラン、見つけたよ」

 駐車場からでるなり、リズが先頭に立って歩き出した。もう、くちゃ、くちゃ、はやめて、ガムを指でつまんで口から出し、そのままごみ箱に放り投げた。

「なによ、またシュニッツェル?」


 シュニッツェルとは薄いとんかつのようなもので、すでに味付けされてあり、レモンを添えて食べるアメリカ人の大好きなドイツ料理だ。


「フレンチフライピザ」

 わたしとエイミーはぎょっとして顔を見合わせた。

「おいしいんだって。ピザの上に、フレンチフライが乗ってんの」


 ピザ生地の上に、トマトソースとチーズ。その上に、太めのフライドポテトが散らしてある図を想像した。エイミーも同じものを想像したらしく、この上なく眉をひそめた。

 理想的な炭水化物+炭水化物。


「いや、さすがにそれは……」

「それか、ハッシュドポテトバーガー」


 この人の手料理はとてもおいしいのに、この外食のチョイスはどうにかならないものか。


「ハッシュドポテトをバンズの代わりにして、チーズ乗せたハンバーガーをはさんでさあ……」

 リズが得意げにそこまで続けた時だった。


「Excuse me?」

 アメリカ人の発音ではない。恐る恐る振り返る。

 目の前に、若い白人男性が立っていた。三人で顔を見合わせた。エイミーとリズが、口をゆがめて小さく肩をすくめた。わたしもこの人に見覚えがない。あっちは男三人。こっちは女三人。特にこっちには美魔女のリズがいる。ナンパか何かと思って微妙な顔で顔を見合わせた、そのときだった。


 声をかけてきた人がにやついた顔で言った。


「あんたたち、アメリカ軍人の家族だろ」


 口は笑っている。でも、目は笑っていなかった。その奥の鈍い光に気づいたら、とっさに背中から冷汗が噴き出た。心臓が、ごとり、と、不気味な音を立てる。全身が心臓になったみたいにどきん、どきん、と、ものすごい音に変わった。


 その人は上着のポケットに手を入れた。わたしたちはとっさに体を寄せた。その手元を食い入るように見る。そして、その人の顔を。


「気をつけな。あんたたちは、いつも見られてんだぜ」


 その人が、ポケットから手を出した。わたしはとっさに後ずさり、ふたりは今にも飛びかからんばかりに身構えた。


 取り出したのは、黒い塊。


 手りゅう弾?


 全身に、鳥肌が立った。顔を見合わせる。エイミーもリズもわたしと同じことを思ったみたいだった。三人で肩を寄せる。その塊と男の顔を何度も目で確認する。じりじりと後ずさったときだった。


 男はピンを抜くようにもう片方の手の指で触れてから、思い切り振りかぶった。

「ひいっ!」

 三人で体を寄せ、頭を抱えた。


 どおん、という爆音。真っ赤な炎。黒い煙。逃げ惑う人々。あちこちで響く悲鳴。


 そんなものが脳裏をよぎる。


 しばしの静寂。


「なにビビってんの?」


 我に返った。「ひ、ひひいい」と、のどに引っかかったような声で笑う男は、面白そうに片手を突き出して見せた。


 その手の中に握られていたのは、小銭のたくさん詰まった黒い小銭入れだった。


 わたしたちはそれぞれ、ひそかに安堵の息をついた。


 バカにされて怒るのは、その冗談に真実味がないときだ。こんなときにされるこんな冗談がトラウマになるほどの恐怖だということを、この人たちは知らないみたいだった。

 本気で怯えて青ざめるわたしたちを見て、男たちはもう一度バカにしたように声をあげて笑い、足早に立ち去った。


 笑い声が聞こえなくなった後、エイミーが不満げに口を開いた。

「車から出るとこ、見られたのね」

 気丈にはふるまっているけれど、その声はまだ震えていた。

「ふざけんな、って感じ」

 吐き捨てるようにリズが言った。

「普段は移民か、ってバカにしてくるくせに、こういうときだけアメリカ人扱い」


 わたしには、そんなことはどうでもよかった。ただただ、怖かった。


 昼時のダウンタウン。人々はビールを傾け、笑いながら食事を楽しむ。普段と何ら変わりない風景。でも、その笑っている目の端で、わたしたちをにらんでいるのではないか。早くこの国から出ていけ、と、憎しみをかみしめているのではないか。この瞬間にも、わたしたちを殺しに来るかもしれない。


 できるだけ早く、ここから逃げだしたい。


 こみあげてくる、強烈な焦り。


 今まで、こんな風に感じたことは一度もなかった。キムの焦りも、クリスティの怯えも、「こわいよね」と相槌を打ちながら、どこか他人事のように感じていた。だって、イーサンは軍人じゃないから。ただのアメリカの民間人だ。軍に関わっているのは仕事のせい。戦うわけじゃない。そもそも、わたしはアメリカ人でもない。


 わたしには関係ない。


 ずっと、そんな風に思っていた。思っていたけれど。


 あの人たちにとって、軍人かどうかなんて関係ない。わたしは日本人。でも、ダンナがアメリカ人であれば、いつでもターゲットになりうる。


 これは、ほかの人の話じゃない。自分に起こっている話だ。


「どうする?」

 帰る? の意味で聞いた。けれど、ふたりは顔を見合わせて肩をすくめた。

「あたしは、フレンチフライピザ食べるくらいだったら、いつものシュニッツェルにする」

 エイミーが言った。

「だから、ハッシュドポテトのハンバーガー……」

「だったら、ハンバーガーとフレンチフライ、別で食べたほうがいいじゃん」


 ふたりは、まるでなにもなかったようにランチについて話しはじめた。でもわたしは、食事なんてできる気分ではなかった。

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