弐第80話 ロートア衛兵隊修練場-2
そろそろ夕食の頃、宿に戻ってまずカバロに餌を、と思ったらもう餌が出されていた。
爺さんが気を使ってくれたのかと思ったら、怪我をしたと言っていた娘婿がすっかり良くなって帰ってきたようだ。どうやら、かなり良い魔法が治療に使われたらしく、回復が早かったのだという。
それを聞いて、俺はアメーテア医師に言われたことを思いだした。魔法師組合で方陣札を売って欲しいということを。
もしこのまま厩舎での世話も頼めるなら、長期の宿泊を頼みたいというと快く引き受けてくれた。
助かった……明日の午前中に魔法師組合によってから、次の宿を見つけるのも面倒だと思っていたところだ。
「うちは食堂がないから、素泊まりだけで……食事は近くに食べに行ってもらうことになるけど、いいかい?」
婆さんが申し訳なさそうに言うが、その辺は気にしなくていいと伝えた。
多分、朝と夜は殆ど保存食を部屋で食べるだろうし、昼は出歩くだろうから長期の宿だと、その方が有難い。カバロの餌も預けておくことにした。
それから暫く、昼まではセーラント領内あちこちの魔法師組合に方陣札を預けに行ったり、テアウートでカバロを走らせる。
昼食後はカバロを宿に預け、衛兵隊修練場で訓練。
時間がある時はロカエの市場に行ったり、オルツで柑橘を買ったりしてから宿に戻る。『門』が使えるって、本当に助かる。
のんびり寛ぎつつ夕食を食べて、ゆったり眠る……なんていう日々を過ごした。
十日も経つと身体はすっかり元通りに動くようになり、模造剣では疲れなくなった。
剣の速度も、方陣での補助なしでも問題ない早さにまでなっていた。
握力も、腕力も戻ってきた気がする。
食事が旨いと感じるのは、ちゃんと身体を動かしているせいだろう。
……タクトの食堂のものだからだとも思うが、病院の宿坊で保存食を食べた時よりはるかに旨い。
そして、一番治りの悪かった左足がこんなにも動くのかと吃驚したくらいだ。
昔から特に何かを感じていたわけではない。
ただ、いつも強化と俊敏を使っていなくては、走るのが遅かったと思う。
補助系の方陣を使っていないというのに、どちらの足にもちゃんと力が入るし全くといっていいほど怠さも痛みも残らない。そういえば、足の指までもの凄く動くようになった気がする。
五日ごとに病院に行っては、アメーテア医師に診てもらっていたが遂に今日、もう通わなくてもいいと言ってもらえた。
俺が病院を出た時に、踊り出さんばかりに嬉しかったことは言うまでもない。
……踊りは、しなかったが。
衛兵隊での訓練も、半月の内に人数が増えたり減ったり。
はじめに一緒だったふたりは五日もせずに冒険者風の男が来なくなり、七日目にはもうひとりも居なくなった。
毎日のように増えては、二、三日後には顔ぶれが変わるなんてことも続いた。
確かに前金にするはずだな、と納得してしまう程入れ替わりが激しい。
来なくなった奴等は、元々前金をその日数分しか払っていなかったのかもしれないが。
騎士位試験のため、みたいに目標がなければ続かないものなのかもしれない。
「まさか、魔法師である君が、一番続くとは思っていなかったよ」
俺が訓練を始めてから十六日目に、ドエオート武官がそう漏らす。
……今日、修練場にいるのは俺ひとりのようだ。
俺の体力回復と剣技習得は、わりと『命がかかったこと』だからな。
剣がすっぽ抜けて魔魚にやられるなんて間抜けは、二度とごめんだ。
そして今日は機嫌がいいようだな、と言われたので、やっと医師から全快だと言ってもらえたと話した。
「体力も問題ないと言われた。ここでの訓練のおかげだ」
「ほう! そうか! そいつは、良かった! ……しかし、ずっと病気でもしておったのか?」
「いや、魔魚に襲われて……」
「なんだとっ!」
……吃驚した。
突然大声をあげられて、びくっと一歩下がってしまうほどだった。
魔魚の話をすると、声がでかくなる人が多すぎる……
いや、それだけ大変なことなんだってのは解るのだが。
魔魚に襲われて、しかも絡みつかれてしまったら逃げられることは滅多にない。
本当に運良く逃げられたとしても重症を負うし、完治する事はほぼ不可能と何度も聞かされた。
だから、俺という実際に魔魚に襲われて魔力を吸われたにも拘わらず生きて戻って、魔毒の完全な除去に成功し、魔力の流れまで完治した……なんてのがとんでもない奇蹟だと言われるのも納得はしている。
これは俺が用意周到だったとか魔法が強かったとかいう訳ではなく、運がやたら良かったことと、持っていた道具や方陣が素晴らしかったということ、そして医師達の措置が完璧で素早かったということなのだ。
……もう、魔魚に襲われたなんて言うのは止めておこう……
その説明をする度に、なんであの時に海になんか入ったのかと若干落ち込むのだから。
そうこうしているうちにひと月が過ぎ、ドエオート武官からも体力についても問題なし、剣技の基礎もなんとか合格だと言ってもらえた。
「後は反復練習を忘れずにな!」
「わかった」
「だがな……俺はまだ、おまえに教えきれていないのが、心残りでならん!」
……俺は、それについては如何ともし難い……と、申し訳ない気持ちになる。
「どうして、おまえはいつまで経っても皇国語の発音が苦手なんだ!」
そう、衛兵隊の彼等はこのひと月の間、俺の聞き取り能力と発音の指導までしてくれていたのだ。
自分の在籍領や、領主家門の発音があやふやなままでどうする! と。
なんとか聞き取りの方は随分と改善され、ドエオート武官の名前を正しく『ドゥレロート』と聞き取れるようにはなった。
今では『セラフィラント』『セラフィエムス』と聞き取れてはいるのだが、口に出すとどうしても『セーラント』『セームス』になってしまう。
「……すまん……」
「これからも! 毎日、発音練習はしろよ!」
「頑張る……なるべく」
「うむ! ロートレアに来たら、顔を出せよ!」
「ああ」
俺が皇国の名前や地名が正しく言えるようになったら、自分の名前も発音できるようになるかもしれない……
まだまだ、先は長そうだがなぁ。
宿の家族達にも、まだいればいいのに、と言われる程には仲良くなったが、やはり俺よりカバロとの別れの方を惜しんでいる気がする。
そして依頼停止をしていた冒険者組合に復帰の連絡をして、セレステとオルツにも行って、心配してくれていた人達にも完全に治った事を伝えた。
オルツでは司祭様、港湾事務所の人達や、俺を真っ先に見つけてくれたベステム……いや、ヴェスティムに礼を言った。
セレステに戻ったら何日か宴会に付き合わされ、暫くぶりに会った人達の名前が初めて聞くものに聞こえるのは……ちょっと不思議な感じだった。
キエムが『フィクィエム』ってのが……全然別人みたいで、まったく慣れない。
あれ? これって、名前がなかなか一致しなくて暫く不便なんじゃないのか?
聞こえすぎるのも、面倒だ。
しかも正しい発音はまだできないんだから、厄介なだけかもしれない……
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