弐第30.5話 セラフィラント-3

 ロートレアの屋敷で、ダルトエクセムは母親の違う妹・ラニロアーナからの報告を受けていた。

 妹の優しげな微笑みは、彼女の母親によく似ていてとても美しい。


 その母の家門キリエステスの女性は誰もが、柔和な微笑みだけでなく明晰な頭脳と強かな心を持つことで有名だ。

 もちろん、妹も例外ではない。

 残念なことに、彼女にはどちらの家門の血統魔法も顕れなかったが【精神魔法】【無効魔法】という非常に稀な上位聖魔法のふたつを獲得していた。


 この【無効魔法】に関しては、彼女の加護神が賢神二位のため、緑魔法に限ってのみ効果がある限定的なものだ。

 だが、自身にかけられる『身体鑑定』や隠蔽への干渉を弾き飛ばすことのできる保身に優れた魔法である。


 その魔法は彼女が『護る』と決めた者達に対しても、同等に発動する。

 彼女の側を離れなければ、彼女の魔法が付与された『守護の魔石』を持つ者達は護られるのである。


 そして『方陣での魔法』に対して、キリエステス家門には素晴らしい才があった。

 そのため、今回の『仕掛け』に最も相応しかったのだ。


「すまなかったな。神々に仕えるおまえ達に、危険なことをさせてしまった」

「いいえ、お兄様……わたくし達の、我が侭をお聞き届けくださって感謝しておりますわ。そして、何より嬉しゅうございました。セラフィエムスのお役に立てることは、慶びですもの。わたくしだけでなく……他のふたりと神官達にとっても」

 ラニロアーナが視線を送るふたりの司祭達も、満足げに微笑んでいる。


「おまえ達を『セラフィエムス』として扱ってやれていないというのに、巻き込んでしまったのは……」

「まぁ、お堅いこと! 楽しかったのですよ、わたくし達っ! 船旅も、他国での『冒険』も!」


 少し頬を上気させて、瞳を輝かせる妹の姿を見たのはいつ振りだろう。

 どんなに警備を厳重にしたとて……最新鋭の船と手練れの海衛隊が側にいても、魔魚の襲い来る海を渡り、何が起こるか解らない他国へ赴くことに不安がないはずがないのに。


「いつまで経っても、おまえはお転婆だのぅ……」

「お転婆というのは少し違いますわ。行動的、なのです」


 一緒に控えていたふたりの司祭も、神官達も同じようにクスクスと笑いながらふたりのやりとりを眺めていた。

 彼女達は全員が、セラフィエムスの傍流家系の出身である。


 皇国において『絆壊はんかいの儀』が行える数少ない司祭が、このセラフィラントに三人もいるというのは他領ではあり得ないだろう。

 セラフィエムスの血統魔法は女性に継がれるものがとても少ないが、獲得している者がおらずとも非常に多くの聖魔法師を生み出している家門である。


 故に、皇国大貴族の中でセラフィエムスは、常に上位であり海の護りを一手に引き受けているのだ。

 それを誇りに思っていない傍流家系など、ひとつもない。

 彼等は男達は勿論、女性達の心にも皇国の護り手としての強い想いがある。

『護る』と決めたものを守り抜く……それが『セラフィエムス』の性分なのかもしれない。



 何故、今回ダルトエクセムが友好国であるカシェナ王国からの要請とは言え、全く魅力を感じてもいないアイソル国に、態々中央から許可を取ってまで手を貸すようなことをしたのか。


 それはまだ適性年齢前でありながら、アイソルの国王となった娘が『皇国貴族の血を引いている』とカシェナの宰相から聞かされたからであった。

 絶対にあり得ないことだと知っているが、そのような紛い物に『皇国の貴族である』などと名乗らせることが許されてはならない。


 何度か送った使者達からの報告で、大貴族ではなくかつて貴族と称した従者家系のひとつであることは解った。

 それが『エイシェルス』と判明した時に、三十年ほど前にオルツから出航したミウーア行きの船に『エイシェルス・サリエーチェ』という娘が乗っていたことを突き止めた。


 カタエレリエラ・ヴェーデリア家門の従者家系で、かつてダルトエクセムの娘のマリティエラに嫌がらせをして軟禁された娘だとも。

 ……蛙を投げつけたがマリティエラが全く怖がらなくて、その上その場で激しく転倒して泥だらけになったのを周囲の下位貴族達に笑いものにされた……と聞き、憐れになってしまって見逃した娘だということも思い出した。


 その娘がアイソルで王と結んだのかと思っていた矢先に……そのエイシェルスの家系魔法を持つ娘が、オルツから皇国に戻ったという知らせを受けた。

 しかも、その娘はアイソルでなくディルムトリエンで育ち、母親のサリエーチェは二十年間ディルムトリエンから出ることはなく既に亡くなったいう。


 では、誰が『エイシェルス』を騙って、アイソルへ渡ったのか。


 貴系傍流も皇家傍流も出国した記録はセラフィラントのみならず、ウァラクでも確認できなかった。

 そして正統なエイシェルスの娘のことを調べていたカタエレリエラ公ヴェーデリア・ニレーリアから『母親が出奔した時に残した書き置きに叔父の元へ行くと書かれていたらしい。出国があったか調べて欲しい』と要請を受けた。


 叔父という男の名『ケイレス』で出国記録を調べ上げ、四十八年前に出国したという記録を発見した。

 ただ、その行き先は東の小大陸であったはずなのだが。


 前回までの訪問で行われた捜索では、彼の所在の確認は取れなかった。

 王城に『男性はいない』とされていたが、確かめる必要はあった。


 ラニロアーナ達が赴く理由は……正直、大貴族としての面子程度の問題ではあった。

 だが、他国に軽々しく扱われてよい称号ではないと、貴系傍流の者達ほど強く思っていた。

 特に血統魔法を持たず姓を名乗れぬ自分達が許されていない『皇国貴族』という称号を、軽々しく他国の血統すら守れていない者に名乗らせるのは許し難い。


 そいつ等に『皇国の外に貴族などいない』と突きつけてやりたい、と請われ……いつかはなんとかしなければと思案していたことを解決できる可能性がある『仕掛け』をするために、セラフィエムスが依頼をしたという形で送り出した。

 責任の所在を明らかにし、防衛のため司祭達を派遣するのであると、中央への『言い訳』のためだ。


 乗り込む口実はカシェナからもたらされている。

 そしてこれは間違いなく、お人好しで涙もろいカシェナの人々に付け込んだ『皇国の司祭を呼び寄せる罠』である。

 アイソルは皇国を上手く騙し、聖魔法師を獲得して『何か』に利用しようとしているのは明らかであった。

 それはアイソル国内なのか、それとも……


「それにしても『魔石隠蔽』をかけながら、よくも『隠密』が使えたものだ」

「魔石を介した【付与魔法】であれば、もうひとつの【隠蔽魔法】でかける『隠密』とは同時に発動できますもの。それに、セラフィラントの神官も衛兵も魔力が強いですから、他国の者には絶対に暴かれません。ティアノラ様はミカレーエルの血筋ですから、魔石に関しては秀でておいでですし、ルリアディア様の【制御魔法】も加わっておりますから」

 ティアノラ司祭とルリアディア司祭は、敬愛するラニロアーナ司祭の賛辞に頬を染める。


あの国アイソルの後ろに、ドムエスタがいそうです」

 ラニロアーナの一言に、ダルトエクセムが表情を引き締める。

「繋がっているのは、おそらく宰相。あの国王はお飾りですね。わたくし達を、ドムエスタへ渡すつもりだったはずです」


「わたくしも、そうだと確信いたしました。忍び込んだ宰相の部屋から、いくつかの書類の写しを持ってきております」

「ドムエスタが、皇国の血統魔法や聖魔法を欲しておるのは……昔からだからのぅ。ミューラやガウリエスタをけしかけて失敗しておるというのに、懲りぬ輩じゃな」

「必死なのでしょうね。そしてアイソルも……あの国、もう『樹海もり』はありませんでしたわ」


 司祭達が、次々とアイソルの現状を語る。

 王城奥にあるかのように見えた樹海もりが、城内の高い位置から見ると殆ど砂漠になってしまっていたこと。

 それを隠すように町の手前に高い木々を植え、国民にさえ真実を告げていないこと。


 なにより王城の兵士達ですら、まともな護衛などできない者ばかりだったようだ。

 そうでなければ『場所が変わるごとに人数が違う』などというバカバカしい事態に気付かないはずがない。


 そして、現国王の父親であるケイレスは、妻である前国王崩御の際に……殺されたらしい。

 あの国では『夫は常に妻と共に』いなくてはいけないという。

 夫が亡くなったとしても、妻は決して『共に』はいないというのに。

 この事実がもたらされたのはつい先ほどであったが、事前に判明していたらアイソルに乗り込んだ者達は、間違いなく王城にいた全員を気絶させる程度では済まさなかっただろう。


「では、仕掛けで確かめるまでもなかったか……」

「いいえ。あの仕掛けは今後、必要です。次に台頭してくる者次第で、あの国は大変危険な国となりましょう」

「皇国に攻め入るほど……か?」

「多分……皇国ではなく、あの国が攻め入るとすれば、ディルムトリエンですね」

「ほう?」


「大義名分は『女性の救済』と『解放』で、ドムエスタはきっとアイソルに協力します」

「……おまえはそういうことを考えながら、絆壊はんかいの儀をしとったのか」

「ええ。当然です。ドムエスタはディルムトリエンの土地をアイソルに与え、魔獣を食い止めさせる。アイソルの方がまだディルムトリエンほど愚かではありませんし、魔力も多めでしょう。それに、彼女達は子供が作れますからね。そのためにも『聖魔法師わたくしたち』が欲しかったのでしょう」


 既にディルムトリエンでは、女性達を差別し隷属することが当たり前となってしまっている。

 そのため、幼い頃からの神々に背く行為によって、まともに子供を産める女性は極めて少ないと聞く。


 今回、絆壊はんかいの儀で位を戻したとて、彼女達の魔力の流れや身体の状態では、とてもではないが子供は望めないだろうと思われる。

 そして穢れた地でも聖魔法師がいれば、その穢れを食い止められるとでも思ったのだろう。

 ……聖魔法が、なんたるかも知らず。


「子をなせる女性が少ないディルムトリエンよりは、はるかにアイソルの女性達の方が価値がある……という判断か。今後も、皇国が狙われるとすれば、土地や海ではなく『人材』と『魔法』であるということだな。ドムエスタはそこ迄必死ということか」

「ですから、他国の情勢を調べるためとはいえ、我が国の隠密達をしのばせるのは大変危険です。今回の仕掛けが上手くいったとしたら、そんな危険を冒す必要が少なくなりますわ」


 仕掛けたのは、かつて『ドミナティアの宝具』と呼ばれた『撮影機』だ。

 しかし、今回のものは撮影しつつ別の場所にある魔石に『映像と音声』を記録させることのできる、上位宝具として作られたものである。

 この撮影機の作りは非常に単純であり、それ故に『付与された魔法』が解明できなければ全くなんのための物か解らない。


 しかも、あまりに特殊な【付与魔法】であるその魔法は、書かれている呪文じゅぶんが全く見えない。

 更に信じられないことに魔力補充は、今、ダルトエクセムの手元にある組み上げられた魔法が書かれている『金属板』にのみ充塡すればいいのだ。


「撮影機には『隠蔽』が掛かっておりますから、発見はされません。【隠蔽魔法】の付与は、かけた者が解くか余程強い【制御魔法】を持っている者が触れない限り解けません」

 その強力な魔法を施したルリアディア司祭も、誇らしげに胸を張る。


「まったく……司祭ではなく衛兵隊に欲しいのぅ、そなた達は」

「あの『移動方陣』は素晴らしいですね! 海の中からでも、船の上へでも一瞬で移動できるなんて『門』ではあり得ませんわ!」

「その移動方法とあの方陣魔法師がおらなんだら、こんな無茶なことはさせなかったわい」


 撮影機と録画機を作ったのと同じ青年が、あの移動用の方陣を開発した。

 魔法師組合で登録されているその『移動者限定方陣』は、各地で非常時の移動手段として利用され始めている。

 従来の『門の方陣』より少ない魔力でかなりの長距離移動できるとあって、各地で方陣札が作られてはいるが……方陣自体が非常に繊細で、効果を十全に発揮できる『複数回の長距離移動用』として描ける魔法師が殆どいない。


 しかし、開発者の青年が作り上げた『方陣鋼』という金属を使用した方陣であれば、距離が信じられないくらい伸び、複数回の使用が可能である。

 魔力さえあれば、かなり離れた場所への移動も容易であった。

 移動目標は『蒼星の魔導船』……通常の『門』の方陣と違い、船上へと『飛べる』この方陣は、海への落下者の救助などに使われるか、陸上であれば皇国内でのみ有効だ。


 しかし、その魔法が組み立てられている金属板に名前が載っている『海衛隊特別仕様』の方陣鋼に限り他国から魔導船への移動が可能だ。

 今回、それを全員が持っていたのである。

 たとえどこに捕らえられたとしても、船が近付きさえすれば一瞬で戻ることができるように。


「それも吃驚いたしましたけれど、ガイエスさんの『門』は、素晴らしかったです……! 魔石、五個しか使いませんでしたのよ? エンターナ群島からオルツまで!」

「ええ! 感動いたしました!」

「わたくし、あの方陣、覚えたいです……」

「【方陣魔法】がないと、きっと無理だわ」

「やはり素晴らしい魔法ですね。これからきっと、方陣の魔法自体がもの凄く見直されることでしょう」

「楽しみですね。魔法の新たな可能性……ですもの!」


 まことに、セラフィラントの女性達は意欲的で逞しい、とダルトエクセムははしゃぐ彼女達が無事でよかったと胸をなで下ろした。

 ふたりの青年に、心からの感謝の気持ちと共に。


「はてさて、困ったのぅ……ここまでの貢献に対する褒賞となると……何が相応しいものか」

「その件ですが、兄上、ガイエスさんにつきましてはお願いがございますの」


 ふと真顔になった妹の提案に、一瞬驚いたダルトエクセムであったが一呼吸おいて、いいだろう、と深く頷いた。


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