弐第23話 オーナスからオルツ
翌朝、オーナスの魔法師組合の人が宿に尋ねてきた。
オルツのイリエーナ港湾長からの伝言を伝えてくれたのだ。
……ホント、魔法師の位置って把握されているんだなぁ……あ、町の検閲通る時に、身分証を鑑定されたからか。鑑定板を使うと、どこにいるかがすぐ解るって言ってたもんな。
伝言は『尋ねたいことがあるので至急オルツに赴いて欲しい』というものだった。
特に目的もない旅だったので、そのまますぐにカバロと一緒にエベックへと移動して越領し、オルツへと向かった。
港湾事務所に着くと急がせてごめんなさい、と港湾長に謝られてしまった。
「どうしても、あなたのお知恵を借りたくて……」
「俺に解ることなのか?」
「多分、あなたがご存じなかったら知っている方がいないと思うのです」
そう言われて見せられたのは、硝子の中に閉じ込められた虫の死骸だった。
……蟻?
あ、これ、東の小大陸で見たことがある『魔虫』の一種だ。
「ご存知?」
「こいつは『
「ええ。皇国では初めてでしたわ。先日東の小大陸から届けられた織物の中に、この成虫と卵らしきものがありましたの」
なるほど……それなら有り得るな。
カシナの東側にある、いつも蒸し暑い森の中の比較的乾いた場所にいる魔虫だ。
黒い頭と腹部、真ん中の胸部だけが白くて赤い棘状の突起がある。
触覚は短いのだが、前足だけが異様に長いのが特長だ。
カシナ近くの町で駆除依頼が出ていて、その時に初めて見た魔虫だった。
「こいつは暑いところを好み、少しでも寒いと動けなくなる。だが暖かくなるとまた動き出す。火に強く燃えにくい。特に卵は炎熱でもかなり時間がかかる」
「ええ……おかげでかなり強い【浄化魔法】でなくては、殺すことができませんでしたわ」
「こいつは『浄化水』に弱い」
「まぁ! 蟻って、水に浮いてしまいませんか?」
「普通の水ならそうだが、浄化水だと浮けずに崩れていくな。【浄化魔法】より手っ取り早いし、魔法をかけ続けなくていい。巣にも浄化水を流し込めば卵も全部死滅できる」
あまり強い毒ではないから、噛まれても死ぬことはない。
だが、噛まれた箇所が硬くなり、皮膚の下で石のような塊となる。
これを取り除いても、その場所はもう肉や血管、神経などが回復することはない。
毒は方陣札程度の解毒では効かず、おそらく【治癒魔法】の方陣でも固まる部分を小さくはできても消すことは難しい。
噛まれたら即座に浄化水に患部を浸し、毒を洗い流すようにしつつ患部を切り取るしかない。
こいつには普通の【解毒魔法】が効かないし【治癒魔法】の方陣でも時間がかかって、時間をかければかけるほど毒は身体の中で固まっていく。
毒さえ残っていなければ、その後に【回復魔法】で治すことはできる。
「そうでしたの……ありがとうございます、ガイエスさん。とても貴重な情報ですわ」
「
「最近東の小大陸から入ってくる織物が増えましたから、それらは全て浄化水に浸すのを義務化いたしますわ」
「……たしか、東の小大陸の染料だと、浄化水を使うと黄色が落ちやすいって言ってたぞ?」
「え?」
「浄化水で洗うと、黄色は色が変わるってタルフの土産物屋から聞いた」
港湾長が少し表情が硬くなったかと思ったが、それはいいことを聞きました、と微笑んだ顔はいつもの笑顔だった。
そうだよな。
売り物の色が変わっちまうなら、他の方法考えないとって思うもんな。
「色落ちの心配がなければ、東の小大陸の虫系は魔虫じゃなくても浄化水は有効だ。毒虫が多いから、丸一日以上漬けておけば卵がついていても死ぬだろう」
「小さい虫は逃しやすいですから、注意が必要ですわね……」
「本当は現地で、魔導船に載せる前に一度浄化水に漬けた方がいいと思うんだが」
「ええ、その辺の条件を再考致しますわ。ああ、本当にあなたがいてくださってよかったわ! 心から感謝します!」
この人の『感謝』は割と大袈裟だが、今日のは格別だな。
……悪い気はしないけど、照れくさいんだよな。
「対価はいつも通りお振り込み致しますから、後日ご確認くださいね」
「ああ、助かる」
あ、カバロの飼い葉を買い足しておかなくちゃな。砂糖も多めに。
その日はオルツでのんびりすることにして、明日またリバーラに行ってもいいかなと思っていた。
あ、そういえばタクトから新しい菓子が届いていたっけ。
えーと『タクアート』……?
あっ、この間の試作品って奴、完成したのか!
……うっまぁぁぁぁぁっ!
試作も旨かったけど、これ、めちゃくちゃうめぇぇぇぇ。
あ、使ってあるものの説明書きがついてるぞ。
『……と、リバーラの葡萄を使い……』
ん?
葡萄……って、まさか、キエートの葡萄か?
いやいや、まさかなぁ。ははははは。
……もしそうだったら、あの村助けられてホント、よかったぜ……
タクトに持ってる石、送っといてやろう。無人島のも送り忘れてた。
リバーラのと一緒に……ちと多いが、これくらいは平気だろう。
それともう少ししたら『不殺』も見に行きたいから、保存食買っとかないとな。
昼過ぎに港湾事務所に行って、カバロ用に厩舎に餌とか藁を買い足してもらった代金を支払いに行った。
港には商人達がかなりたくさん待機している。
どうやら、俺が戻った時の船に積んでいたタルフからの荷物が、やっと全て検閲が終わったそうだ。
時間がかかるものなんだな、検閲って……あ、あの黄色が使われているものか。
荷物の大半が受け取れなかった……と言っている人達もいる。
新しいものだから検査も念入りだったんだろうし、毒って解っちゃったからなぁ。
「ここまで待たされて差し止めなんて……! くそぅ、あの黄色が今回の目当てだったのに!」
「仕方ないですよ、トテフスさん。毒性が消えてなかったんなら」
「来月は、赤だけにするか……」
「そうですね、タルフの赤は人気がありますから、それで挽回しましょう」
……トテフス……?
あの毒商人が言ってた商会か。
でも、毒の取引資格があるんじゃないのか?
もしかして毒取引ができるのは『素材』だけで『製品』は駄目って事か。
そりゃそうか。
すぐに売れる状態のものが毒って、やばいもんな。
トテフス達の会話を聞きながらよそ見して歩いていたせいで、箱の中身を整理していた別の商人とぶつかってしまった。
「す、すまん、他を見てて……」
しかもよろけた俺は、ぶつかった弾みでその人が落とした糸束を思いっきり踏んづけてしまった。
うわぁっ! めちゃくちゃ汚しちまったーっ!
「すまんっ!」
「いやいや、僕がちゃんと持っておかなかったから……」
商人が拾い上げたその金赤の糸束に、しっかり俺の踏んづけた汚れが……
「浄化する。ちょっとそのまま持っててくれ」
「え?」
すぐに方陣を使って、糸を浄化したらキラキラと輝きだした。
よかった……思いっきり踏んじまったからな。
あれ?
商人のおっさんは目を剝いて……あ、この人、目と鼻の両方がでかくなる。
ヤバイ、笑う。
「君ぃ! すっばらしいよっ! ありがとうねぇっ!」
は?
よく解らんが……やたら喜んでいるから、まぁいいか?
「こんな素晴らしいことに気付かせてくれてありがとうっ!」
そう言って、その商人は『これは幸運のお守りだから服の衣囊にでも入れていてくれ』と俺の手に小さい徽章のようなものを握らせた。
しかし徽章のように服に刺してつける針のようなものは無く、短めの鎖が輪のようになって付けられた……蛙だ。
いや、蛙の形の緑色の石だ。
どう反応していいか解らず何も言わずにいたが、その商人は何度もありがとうーと叫びつつ大きく手を振って、またね! などと言って離れていった。
……いろんな人がいるんだなぁ。
『幸運』の守りってんなら、持っててもいいか。
俺はもう一度その蛙を眺め、外套の胸辺りにある小さい衣囊に入れた。
この大きさなら邪魔にはならないけど、取り出しやすいところだと他のものに引っかかって落としそうだからな。
【収納魔法】に入れるのもいいんだけど、なんとなくこっちの気分だ。
夕方、魔法師組合から『指名依頼があります』と連絡が入った。
セーラント衛兵隊……いや、海衛隊からの依頼である。
東の小大陸の南西側・エンナータ群島アイソル国へ高速魔導船にて同行し、現地での護衛協力だ。
出発は二日後。
明日はその説明をするから、海衛隊事務所に来て欲しいと頼まれた。
翌日の説明を聞き、かなり大がかりでしかも初めての試みばかりのとんでもないことだと判った。
……俺なんかが付いていって大丈夫なのかと思ったが、絶対に必要なのだと力説された。
まぁ……行ったことのない国だし、高速魔導船の定期便運行がある場所じゃないからこの機会は貴重だろう。
当然、東の小大陸から行った方が距離としては短いのだが、浅瀬が多い海域は高速魔導船向きではない。
そして今回とる航路だと、海流の向きの関係で高速魔導船のように力のある船でないと辿り着けない。
使われるのは最近完成した最新鋭船で漆黒の船体が雄々しい『蒼星の魔導船』と呼ばれる船だ。『蒼星』の名は、船の舳先に青く輝く魔石が使われている為。
それに乗り込んで、全く知らない海へ出る。ワクワクしない方がおかしい。
カバロが拗ねるかな、と思ったのだが久々にリバーラでいろいろあったもんでそれなりに満足したらしい。
じゃ、テアウートでみんなに遊んでてもらっていてくれ。
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