弐第22話 オーナス

 部屋に入って一息つく。たった一晩の野宿で身体が痛くなるとか、どんだけやわになっているんだ、俺。最近、良い寝床でばかり寝てたからなぁ……


 部屋の隅に小さめの扉があって、何かと思ったら身体を洗える洗い場が付いていた。

 すげぇな、この町……こんな安めの宿なのに。しかも水じゃなくて湯が出るぞ!

 うわー気持ちよさそうだから、ちょっと身体洗おう。野宿の上に、雨に当たったし。

【浄化魔法】使っているから平気なんだけどさ、こういうのは気分の問題だよな。

 あ、口に入った……ん?

 なんか、この湯、酸っぱい……?



 ふーー……っ、さっぱりー。

 たまにはいいよなー。

 いつもだと面倒くせぇって思うけど。


 そろそろ昼食にしようかと食堂に向かおうとした時に、宿の女将が部屋へやってきた。

 衛兵ふたりを伴って。


「ごめんよ。急に……あんた、サーテア峠を越えてきたんだよね?」

「ああ、そうだ。何かあったのか?」

「済まんな、部屋に押しかけてしまって。実はこの町で盗みを働いた奴が逃げ出してね。サーテア峠で誰かとすれ違わなかったか?」


 衛兵に尋ねられて、すれ違ったふたりの男を思い出した。

 その事を告げると衛兵達は、ありがとう、とだけ言って走り去った。


「馬鹿な奴らだねぇ……こっち側からサーテア峠を抜けようなんて」

 女将がキエートからでも迷うと言っていたが、こちら側からだともっと迷いやすいのだとか。

 しかも起伏が多いから登っている途中にある下らなくてはいけない所で、錯覚して上り続けてしまいどこにも出られなくなることが多いらしい。

 そういえば確かに、森の中に細い道があったし道に見えるような場所もいくつかあった。


 俺達はいざとなったらいつでも方陣門で戻れるから平気で入り込んだが、そうでなければ怖くて森を彷徨うなんてできないだろう。

 しかも、雨の降る暗い森に向かって行ってたよな、あのふたり。

 絶対にまだ森の中で迷っているんだろうな。


「森の中にしか抜けられる道がないから、ほんの少し間違えただけでとんでもないところに出ちまうんだよ。それで川を見つけて降りようとするんだけど、この近辺の川は全部滝みたいになってて川沿いは歩けないんだ。上流に向かおうにも、崖が多いからねぇ」

 うん。

 俺が見た川もそうだったなー。

 方向を失いがちな上に、地形にも頼れないのか。

 ちゃんと抜けられてよかったなー。


「そいつら、何を盗んだんだろう」

「さぁねぇ……でも、衛兵隊が躍起になっているって事は、金細工の情報かもしれないね」

 情報? きんや金細工そのものじゃなくて?

「そうだよ。細工物の意匠とか、加工に使う魔法なんかは町や工房で随分違うんだ。それが製品の善し悪しに関わるからね。それが知られちまうと他で真似た物が出てくるだろ?元々の工房が、苦労して編み出した技術や魔法で作ったものの価値が落ちるのさ」


 そういえばセレステでも不銹鋼そのものの盗難より、加工技術や分析の結果が狙われていた。

 タクトが『知識として貰えるものは、時には物品より遙かに貴重だ』と言っていたのも思いだした。

 きっと盗みを働くのは食い詰めた貧乏人なんて奴等じゃなくて、楽をして稼ごうとする商人達なのだろう。

 だから、物品を盗んでかねにするのではなく、情報を掴んで安く仕上げて売ろうとするのかもしれない。


「でもね、本当に価値の高いものは真似しようったってできないんだ」

「作り方や材料が解れば、ある程度できたらいいってんじゃないのか?」

「似ているものとか粗悪品を買ったら恥ずかしいってくらいになっちまえば、そんなものの心配なんかしないんだよ。セイリーレの武器や防具みたいにね」


 セイリーレのものは絶対に真似ができないってみんなが知っているからね、と女将が得意気に笑う。

 どうやら身内が、セイリーレで鍛治工房を持っているらしい。

 ホント、どこに行ってもセイリーレの名前はあちこちで出て来る。


「そうだねぇ。あの町で人気のものってのは王都で流行りやすいし、そうすると他の領地でも流行るからね。だから、あの町にはいろいろな商人達が出入りしているんだよ」

「確かに西の辺境とは思えないほど、でかい市場があったな」

「おや、行ったのかい?武器は買ったの?」

「ああ……確かペデル工房の……」


 途端に女将が破顔する。

 どうやら、従兄弟の工房らしい。

 すげぇ偶然だな。

 あの店のおじさん、リバーラからあの町に移ったのか……ああ、それで南の方の金属、なんて知っていたのか。

 リバーラやルシェースは、マイウリアやカシナからの移民もそこそこいるらしいからな。


この領地リバーラだと、どうしても金細工ばっかりになっちまうからね。ペデルは、鐵とか鉛の加工が得意だったから」

「凄くいい剣を売ってもらった。他国で随分羨ましがられたよ」

「そうかい!ふふふっ、いい話聞かせてもらったねぇ、あ、昼食、もうすぐだからねぇ」


 そういって女将さんは階下の食堂へと降りていった。

 暫くして飯を食いにいった俺の食事が……やたらと大盛で、カバロの食事にまで果物を入れてもらえていたのは……ペデルさんのおかげだろう。

 今度セイリーレに行ったら、あの店で買い取ってもらえた剣がどうなったか教えてもらおう。


 ……来年の春以降、だな。冬場にあの町に行くのは、自殺行為だ。

 うん。

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