第6話
五
カゴを背負い、夕暮れ時の道を歩いていた深凪は、路肩に停まっている車を見て眉根を寄せる。都大路ならともかく、田畑に囲まれている田舎の道で見かけるにはいささか仰々しい車だった。しかも、後ろには護衛の男が数人控えている。
深凪は顔をしかめたまま、見ないふりを決め込んで通り過ぎようとした。
だが、横を通り過ぎる時、「待て」と呼び止められる。うんざりした顔で、深凪が足を止めると、物見窓がスッと開いた。
中にいる相手の顔はほとんど見えない。若い男だった。
「このたびのこと、解決したようだな」
冷淡な口調で言われ、深凪はフンッと鼻白んでそっぽを向く。
「お前のためにやったわけじゃない……勘違いするな」
「まあ、いい……生かしてやっているのだから、せいぜい役に立ってみせろ」
そう言うと、男は「褒美だ」と懐から取り出した包み紙を差し出す。
クッと強く奥歯を噛んで、深凪はその包み紙を思いっきり手ではね除けた。
「宮中の菓子なんているものか。良春のくれる団子のほうがよっうぽどうまいっ!」
相手を睨みながら、深凪は苛立って言う。その足下に、花や鳥の形の落雁が砕けて転がっていた。
「…………」
「報酬はいつものように南條の屋敷に届けておけ。後はあいつがどうにかする」
まとわりつく不快感を早く払いたくて、その場を離れる。
「…………あまり、目立つことをするなよ」
そう言われて、数歩進んだ足が止まった。
「でなければ、お前のその首を、私が落とさねばならなくなる」
物見窓が閉じると、車が動き出す。控えていた護衛の男たちも、無言のままその後についていく。みな不気味なほど無表情だった。
「…………好きにすればいい」
吐き捨てるように呟いて、深凪は今度は足を止めず歩き出した。
***
朝餉を食べた後、良春は姉の常子の部屋を訪れていた。
「例の河童の呪いですが……パタリと怪異が収まったようですよ」
姉の話では、清子の娘もあれ以来夜中に起き出したり、寝ているのに誰かと話しているようなことはなくなったのだという。娘はその間のことを何も覚えていないらしく、聞いても不思議そうな顔をするばかりだということだ。
「それはよかったではありませんか」
「ええ、そうなのです! まったく、なんだったのか……噂によると、どこかの陰陽師が関わっていたのだとか……」
姉は御簾からわざわざ出てくると、良春の前にペタンと座る。
「そう……なのですか?」
「どうやら……その陰陽師が、河童を胡瓜で殴って怒りを買ったのだとか……」
姉が胡瓜で河童を殴る真似をしながら、真顔で言うものだから、「ブッ!」とふきそうになった。
「そ…………それはまた、なんとも乱暴なことを。河童もさぞかし憤慨したことでは?」
「そうなのです!! それで、陰陽寮の陰陽師たちが総出で胡瓜を供えて怒りを静める祈願を行った結果、ようやく呪いが解けたのだとか」
(まったく、どこでそんなめちゃくちゃな話になったんだ……?)
人の噂というものは、当てにならないものだ。だが、おかげで事件の真相を探ろうとする者がいないことは、幸いなことだったのかもしれない。
良春は「それは、それは」と、笑みを作って適当に相づちを打つ。
「……信じていないという顔ですね?」
「いいえ、信じておりますとも。河童には気の毒ですが……」
「ところで、良春」
姉は扇を開いて口もとを隠しながら、スーッと視線をこちらに向けてくる。
「なんでございましょう?」
良春は嫌な予感を覚えながら、そう答えた。
「最近、貧しい者たちに施しをする鬼神が現れるとか……」
「そうでした。私、急ぎ出仕しなければならないので、これにして失礼いたします。お話は、また後ほどゆっくりと……」
すぐに立ち上がり、挨拶もそこそこに足の向きを変える。
「良春っ! 姉の話はちゃんと最後まで聞きなさいっ!」
そう怒ったような声が部屋から聞こえてくる。
良春は廊下を歩きながら、やれやれと帽子を押さえた。
(姉君の噂好きにも困ったものだ……)
***
すっかり山が紅葉を迎えた頃、良春と真仁は護衛として帝の鷹狩りに随行していた。
赤く色づいた葉が、枝から離れて落ちてくる。
「例の陰陽師だがな、先日、陰陽寮を辞めたらしいぞ」
「そうなのか……?」
小声で話しながら、真仁の顔を見る。
「急に怪異は止んだというし、よくわからん事件だな……なんだったんだ?」
不可解そうに、真仁は首を傾げていた。詳細を知らないのだから、事情を飲み込めないのも仕方がないだろう。話したところで、信じるかどうか。
「まあ……河童の呪いなんじゃないのか?」
良春は軽く肩を竦める。
「陰陽寮は事件解決したと、手柄を吹聴してまわっているらしいぞ」
「そういうことにしておいてやればいいじゃないか。怪異が収まったのであればそれでいい」
「それもそうだな。でかい顔をされるのはいささか気に食わんが」
真仁は唇をへの字に曲げる。
整然と並んだ近衛がやってくるのが見え、二人は急いでその場に膝をついて頭を立てる。下を向いたまま待っていると、良春の前で栗毛の馬が急に歩みを止めた。
その足もとを見つめたまま、良春は緊張したように息を呑む。
「…………源良春とは、そなたか?」
聞こえてきた声は、少し冷たさのある低い声だった。
良春は下を向いたまま、「は、はい」と返事をする。
「顔を上げよ」
言われるままに、恐る恐る顔を上げる。馬上で見下ろしているのは、怜悧な顔立ちをした青年だった。声を聞いたことはある。遠巻きに姿を見たこともある。けれど、こんなふうに間近で直接対面したことは初めてだった。
この人が今の世の帝なのかと、思わずその顔をまじまじと見る。
「あまり人ならざる者に、近付かぬことだ……」
そう言われて、「え?」と良春の口から戸惑う声が漏れた。
青年は無関心な表情で前を向くと、再び馬を歩かせる。
良春はハッとして、急いで下を向いた。
眉根を寄せたまま、行列が過ぎるのを無言で待つ。
ようやくその姿が遠ざかった頃、真仁がクイクイと袖を引っ張ってきた。
「帝に名前を覚えられるとは……羨ましいやつめ。いったい、何をやったんだ?」
からかうように、真仁がきいてくる。
けれど、良春は素直に喜ぶ気にはなれず曖昧に笑みを作る。
自分を見下ろしていた目に浮かんでいたのは、蔑みの色だった。
(どういう意味なんだ……?)
今回の事件で人ならざる者に関わっていたのは事実だ。それが耳に入ったのだろうか。
それは忠告というより、警告のようだった。
***
市を訪れた良春は、慣れない手つきで団子を焼いている景秋の姿を見つけて、いささか驚きながら「景秋殿」と声をかけた。
「これは、良春殿」
良春は炭の汚れのついた頬を拭いながら、会釈をする。
「先日、陰陽寮を辞められたと聞きましたが」
事件の顛末をすべて報告し、責任を負う形で辞めたようだ。どうしているのかと案じていたが、こんなところで団子を売っているとは思わなかった。
「ええ……陰陽師と言っても私はあまり能力もなく、肩身の狭い思いばかりしておりましたから……元々、合わなかったのです。辞めて、むしろ気持ちの整理がつきました」
「それで……団子売りを?」
「あの子の母君に謝りに行った時に、すべてを話したのです。亡くなった子の償いには到底ならないでしょうが……それでも、私はその罪を一生背負わなければならない……あの母君も、こうして私が商の手伝いをすることを許してくれました。せめて、働いて役に立とうと思っているのですが……」
景秋は頭の後ろに手をやり、「団子を上手に焼くのも、なかなか難しいものです」と苦笑する。
「あら、若君様。いらっしゃい」
赤ん坊を背負った団子売りの母親が、笑顔で声をかけてきた。
「ああ、団子をくれ。とりあえず、焼けているのを全部もらおうか」
「はいはい。ああ、ほら。団子が焦げているよ!」
母親は景秋の腕をパシッと軽く叩く。
景秋は慌てて団子をひっくり返しながら、「この通り、叱られてばかりで」と苦笑した。
「この人、うちに押しかけてきて、手伝わせてくれって頼むものだから、弟子にしたんですよ! けど、えらくのんびり屋で」
母親は焼けた団子を笹の葉に盛りながら笑う。それから、少し寂しそうな顔になって、「私もいつまでも、塞いでばかりいられませんから」と呟いた。
「そうだな……」
辛い記憶を抱えながらも、人は生き続ける限り前を向いて進んでいくしかないのだろう。
「はい、どうぞ」
団子の包みを受け取り、お代を多めに払う。
母親が泣き出した赤ん坊をあやしながら離れると、良春は景秋を見る。
以前は青白かった顔も元気そうに見えた。改めてみると、なかなかの美男子だから、通りがかる女性たちが「あらまあ、いい男」と、笑っている。
「……ですが、残念だ。せっかく、笛を教えていただこうと思っていたのに」
良春は大きくため息を吐いてみせる。
「私でよければ、いつでも。子どもたちにも教えておりますし」
「そうなのですか?」
「ええ……近所の子どもたちに、読み書きも教えているのです。それも、母君のすすめで。頼まれて、ちょっとした祈祷をしたり、お札を書いたりと、そんなこともしているのです。私の拙い術でも多少は人の役に立つようで……」
景秋は少しばかり恥ずかしそうに笑った。
陰陽寮に勤めていた頃よりも、やりがいを感じているのだろう。「今のほうが、性に合っているようです」と景秋は言う。
「呆れられるかも知れません……ですが、私はまだ、あの人のことを忘れられずにいるのです……共にいる時が、ほかのどんな時よりも幸せでございました」
景秋の瞳が寂しそうに揺らぐ。
それから、「許されぬことだったとしても……」と呟くように言った。
胸に残る痛みだけが、あの人の存在が確かだったと教えてくれる。そう言いたげに、彼の手は自分の胸もとを強くつかんでいた。
良春は視線を下げ、「また来ます」とだけ告げた。
「ええ……ありがとうございます。良春殿も、お気を付けて」
見送る景秋に背を向け、良春はまだ温かい団子の包みを懐に入れながら歩き出した。
***
山を背にした狭い墓地に、まだ新しい卒塔婆が立っていた。その前に身をかがめ、良春は懐から取り出した団子の包みを供える。
手を合わせて祈っていると、誰かが横に立つ。振り向くと、深凪が身をかがめてそばに曼珠沙華の花を供えていた。
その横顔を少しだけ驚いて見つめていると、「……なんだ?」と怪訝そうにきいてきた。
「いいや、なんでもないさ」
フッと笑みを浮かべ、膝に手をついて腰をあげる。
もう、現れないのではないかと、ほんの少しだけそんな気がしていただけだ。
「……景秋殿は、団子売りの母親を手伝っているようだぞ」
彼が歩き出したので、その隣に並んで話しかける。ついてくるなとばかりに睨まれた。
「なんで、それを俺に言うんだ」
「気になっているんじゃないかと思ってな」
深凪は返事をせず、不機嫌そうに唇をへの字に曲げている。
「しかし……世には美しい妖魔というのもいるものなんだな」
良春は袖に手を入れながら、ため息を漏らす。
「……なぜ、異界の妖魔が怖ろしく醜い姿ばかりしているなどと思う。人の心を惑わせ、虜にするからこそ、妖魔は美しい姿を取る。だから、人は近づきすぎないほうがいいんだ……」
(あまり人ならざる者に、近づきすぎないことだ……)
その言葉が、ふと頭をよぎる。
「お前も、気をつけろ。すぐに誑かされそうだからな」
深凪は少し小馬鹿にしたようにクッと笑う。
その顔をまじまじと見ていた良春は、ふっと表情を和らげた。
「そーだな。俺も美人には弱いからな」
笑って彼の頭をポンポンと叩くと、深凪はムッとした顔をする。
「いつか、痛い目を見ても助けてやらないからなっ」
「そいつは困った。当てにしているんだがな」
「知らん。もう、ついてくるなっ!」
「わかった、わかった。団子をやるから、機嫌を直せ」
懐から包みを取り出した途端に、パッと奪い取られる。深凪は包みを抱えながら、「団子だけはもらってやるが、お前に用はない」と冷たい口調で言う。
良春は「まだまだ童子だ」と、笑ってその頭をクシャクシャと撫でた。
あの日、あの黄金色の瞳を見た時から。
もう、惑わされているのだろう――。
百鬼の王 ~平安あやかし異聞~ 春森千依 @harumori_chie
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