お礼の日
「さあ、戦の時だ」
俺はそう言って腕捲りをした後、一気に準備に取り掛かった。
あれから一日経って翌日になったため、俺が二人のために日頃のお礼をしたいと思っていた日がやってきた。
「えっと……取り敢えず夕方までにある程度は済ませるとして」
あくまでただお礼をしたいというだけで特別なことはない。
そもそも白雪と翡翠に頼らない時点で出来ることは限られてくるし、少し前に翡翠の誕生日があって数ヶ月もすれば白雪の誕生日もやってくるため、本当に何か特大なプレゼントを用意したとかそういうことはないのである。
「……ちょい緊張するな」
俺の視線の先にあるのはいくつもの思いをしたためた手紙だった。
そこまで綺麗な字を書けるわけではないのだが、それでもかなり気合を入れて何行もの文章を書いた。
今までのお礼とこれからの彼女たちに対する決意など……出来れば俺の居ない所で読んでほしいものだ。
「なんか前世のことを思い出すな」
こうして一人で料理をしていると前世のこと、そしてこっちに来た当初のことを思い出す。
絶品とも言える料理を作れるわけではないので案の定鍋料理だが、それでもいつもと違う雰囲気を出せるならそれで良いと思っている。
「白雪と翡翠……たぶん白雪の方が先に帰ってくるよな」
まあどっちが先かは分からないが、家のことをしつつ全部用意してしまおう。
二人とも俺が何かを考えていることは察していても、何をしているかまでは流石に分からないはず……いくら俺が分かりやすい人間だとしても、そこまで察せられてしまっていたならそれはもう笑ってしまえば良い。
「……………」
静かだ。
一人で料理をしていると本当にそう思う……周りに誰も居ないのが分かっているだけでなく、誰も帰ってくることがないのを実感していたあの頃を思い出す。
既に俺にとってはもう関係のない記憶だと分かっているのに、幼少期のことを夢で僅かに見たせいだ。
「ったく……まだ仲の良かった頃の夢を見せやがって」
もしもこれで本当に神様のような存在が居て、俺を少しでも向こうに帰らせようと考えているなら無駄なことだ。
俺はもうこの世界から居なくなることはない。
たとえどんなことになったとしても、彼女たちが居るこの世界が今の俺の居るべき場所だと信じているから。
「いやでも、久しぶりの一人の料理は中々悪くないな」
やることは野菜を切ったり、豆腐を均等に切り分けたり……或いは冷凍していた肉を解す程度だが、これだけでもやっぱり楽しい時間ではある。
白雪や翡翠に混じって俺も料理を教えてもらいたいところだが、基本的に二人はとにかく俺に美味しい手料理を食べてほしいと言ってくれるからな。
「贅沢だなぁ本当に……よし、一旦手を止めて風呂の用意をしとくか」
スムーズに全てを進めるため、今日は俺がこの家の全てを牛耳ってやる。
それから諸々の支度を終え、後はのんびりと二人の帰りを待つことに……だが、そこで家のインターホンが鳴った。
「……誰だ?」
宅急便か何かかと思いながら玄関先に設置されているカメラの映像をリビングで確認すると……そこには見知らぬ存在が立っていた。
背丈から見るに男なのは分かるけど……誰だ?
俺はその姿に若干の恐怖を感じ反射的にスマホを手にした時だった――カメラに映っていた男が顔を上げ……そこに映っていた男は何かを恨むような、それこそ憎しみを煮詰めた顔をしていた。
▽▼
それは白雪にとって偶然の再会でもあった。
友人の梨沙からの誘いという体で、今日は斗真の願いを叶えるべく彼の企みに乗ったのである。
斗真が予想したように白雪は何かを考えていることは察しても、その中身までは分かっていなかった。
「……あら?」
そうしてようやく全て終わって帰る時、彼女の目の前に居たのがあの子だった。
通りがかった公園のブランコでボーッと座っている一人の女の子――嵐の妹である加奈だった。
話に聞いていた生意気さも、ふと目に留めることのあった時の気の強さを全く感じさせないほどに気が抜けた状態の彼女に……何を思ったのか、白雪は近づいた。
「こんにちは……いえ、もうすぐ6時ですからこんばんはでしょうか」
「え? ……あ、アンタは――」
加奈はすぐに白雪のことを分かったようだ。
ただ今まであった彼女の勢いはなく、やはり家庭の中であった出来事に堪えている様子だった。
「あなたの身に何があったのかは察しています。正直、嵐君に逆恨みの一つでもするかと思っていたのですが」
「……………」
嵐と、その名前を聞いた時に僅かな怒りの色が加奈の瞳には宿った。
やはりそのようなものかと白雪は呆れそうになったが、すぐに加奈の瞳に浮かんだ怒りは消えて無くなった。
「……全部、ぐちゃぐちゃになった」
「そうですか」
「少し前まで……あんなに幸せだったのに、楽しかったのに……ママがおかしくなって……それでパパと離婚して……全部がおかしくなった」
「……………」
加奈の膝に涙の雫が落ちた。
必死に声を我慢するように泣き始めた加奈を見て白雪の心が揺れ動くことはなかった。
何故ならこの家族たちは斗真のことを馬鹿にし続けていたからだ。
居ないものとして扱い、産んだことさえも禁忌だとするかのような振舞い……もしも斗真が彼らのことを居なくなってほしいと一言でも口にしたら、間違いなく翡翠と結託して白雪はあらぬ限りの罰を与えただろう。
(……これも斗真君のおかげなんでしょうか。彼が何も思っていないからこそどうでも良いですし、何よりこれ以上の追い打ちを掛けることは斗真君の意志に反しますし何より、同じ場所に落ちそうですからね)
だからこそある意味での無関心だった。
ただそれでも、言いたいことは彼女にはあったのだ。
「あなた方の現状に関しては心底どうでも良いと思っています。しかし、あなた方がしてきた嵐君への行いは消えませんよ? まさか、この期に及んでまだ認めないつもりですか?」
それは優しさを思わせる問いかけだが、白雪の目は笑っていない。
その目を見た加奈は肩を震わせて恐れるが、自覚はあるのか何も言い返すようなことはしなかった。
(もしかしたらこの子も被害者なのでしょうね。ある程度ならば前の嵐君に対して思う部分はあったでしょうが、それを放置し助長させたのは間違いなく他の家族なのでしょうから)
だが彼女も近く高校生になる年頃だ。
その年頃になるまで他者の痛みが分からないのでは、きっと何を言っても同じことを繰り返すと白雪は思っている。
「……認めたくない……認めたくないよ。でも……何も言えないじゃん。誰かに酷いことをしたら自分に跳ね返る……そんなこと分かってたことなのに」
「当たり前のことです。自業自得ですよ」
「……うん。だからなのかな……最近、ずっと枕元に兄貴が立ってるの。ずっと私のことをざまあみろって笑ってるの……醜くて、馬鹿にしていた体の兄貴がそこに居るのに私は何も言えなくて……。声がずっと脳裏に残り続けて……最近はもう、全然寝れなくなっちゃった」
よく見れば加奈の目の下には大きな隈が出来ていた。
斗真も言っていたが加奈はどちらかと言えば美少女ではあるが、その大きな隈がその魅力を大きく半減してしまっている。
そんな彼女を見た時、白雪はその背後に彼を見た。
今の斗真とは違いずっと見続けていた体を持った彼が……初めて襲われかけた時の気持ち悪さを思い出させてくれる彼が醜く笑ってその場に居た。
「……あぁ、思い出しました。私が好きなのは斗真君で、やっぱり最初と同じ顔をしていてもあなたのことは心から嫌いなんですね」
「……え?」
加奈は何のことか分かっていなかった。
白雪はゆっくりと彼女の傍に近づき、決して後ろを見ないようにと加奈の頬に優しく手を添えた。
そして、白雪は思いっきり彼を睨みつけた。
「失せなさい――あなたは何も出来なかった、あなたがしているのは斗真君が導いた結果でこれみよがしに相手を苦しめているだけです。あなたがされてきたことに対して何も思わないわけではありませんが、敢えて冷たくこう言います――私はあなたのことが嫌いです。どうなろうと知ったことではありません」
彼は憤怒の表情を浮かべたが、キッと睨みつけた白雪の圧に視線を逸らした。
白雪も色々と思う部分はあるが、それでも普通の感覚としてかつて襲われた記憶がある彼女は彼のことがやはり嫌いだった。
たとえ斗真と同じ顔だったとしても、その場に居るのがかつての彼であり斗真でないなら嫌う理由は十分にある。
「もう一度言います。失せなさい勘違い野郎――まるで自分のした功績かのように嘲笑うその醜い顔を二度と私に見せるな」
その言葉に打ちのめされたかのように、彼は消えた。
これは別に加奈を助ける意味があったわけではない……ただ、少しムカついただけの白雪の気まぐれだった。
「さようなら、もう会うことはそうないでしょう」
そう言って白雪はその場から立ち去るのだった。
しかし、彼女は何故か焦燥感を抱いていた――斗真君、斗真君と口ずさむように彼女は足早に帰路を走った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます