第39話 腹ドンの代償

「…………」


 優羽はベッドに腰掛け、無言で肩を落としている。

 俺はそんな彼女の隣に座り、様子を見ていた。


 あそこまでキスをしてきて落ち込まれると、こちらも困る。

 たしかに落ち込みたくなる気持ちも分からなくはないが……。

 具体的な時間は数える気にもなれないが、とても長いキスだったのだ。


 だが今はそんなこと、どうでもいい。

 優羽に確認をしたかった。

 とても大事な確認だ。

 好きという返事はもらったが、恋人になろうという告白に対する返事をもらえていない。

 もちろん、OKをもらったようなものではある。

 けれど俺は勘違いが多い人間なようなので、誤解の余地のない返事が欲しかった。


「ねえ、優羽。改めて確認させて。俺たち、恋人になれたんだよね?」


 優羽がこちらを向く。

 その表情は――。


 ――悲しそうに見えた。


 思わず動きが止まる。

 だが優羽は、なにか言ってくるわけでもない。

 無言でこちらを見ている。


「……優羽?」


 なにか致命的な見落としがあるのだろうか。

 迫りくる悪い予感を心の中で必死に追い払いながら、彼女に問いかける。

 優羽はしばらく躊躇していたようだが、俺の視線に負けたようにゆっくりと口を開いた。


「……さっきも言ったけど、私もナオ君のこと好きだよ。でも……。今の私じゃあ、ナオ君の恋人になれないよ」


「えっ!?」


 その答えに、思わず呆然とする。


「もうナオ君にウソをつきたくないから、素直に言うけど。私いままでナオ君のこと、おもちゃにしてた気がするの……」


「おもちゃ?」


 暗い瞳でこちらを見てくる優羽。

 動揺が収まらず、問い返すだけで精一杯だった。


「そう。今も私とナオ君、キスを沢山したよね? 正直、どう思った?」


「……」


「3時間も一方的にキスをしてくる変態女って思ったでしょ?」


 思わずサッと目を逸らした。

 3時間のキス。

 そんなにしていたのか。

 確かに、ビビるほど長かった。

 トイレ休憩をくださいと言いたくなるほど長かった。


 ……だが、しかし、それがどうしたというのだろう。

 別に優羽を変態だなんて思わなかった。

 だって、お互いに好きなのだ。

 決して無理やりキスされたわけではない。

 トイレ休憩だって、俺がいろいろとモジモジして言い出せなかっただけだ。

 きちんと要求していれば『じゃあ十分ほど休憩して、その後キスを再開しましょう』となっていただろう。


 とりあえず、フォローを入れておこう。

 彼女は自己嫌悪に陥っているようだが、俺は断じてイヤではなかったと知ってもらわないといけない。


 顔を上げ、穏やかな笑顔をつくり、優羽に話しかける。


「あのね、優羽。たしかに、お昼過ぎにこの部屋に来たはずなのに、いま時計を見たら夕方になっててビックリはしたよ。でも、むしろロマンチックじゃない? キスをしてたら未来に飛んだんだ。なかなかできることじゃないよ」


「……ナオ君は優しいよね。そういうところも大好きだよ。でもその優しさが、私という性欲モンスターを育てたの」


 性欲モンスター!?

 優羽がいきなり放り込んできた、その言葉に驚く。

 自分がエッチだというのは、女性としてショックなのかもしれない。

 けれど、俺の結論は変わらない。

 お互いが好き同士なら問題はないはずだ。

 そもそも恋人がエッチなほうが、俺は嬉しい。


「ゆ、優羽はそんなんじゃないよ。ごく普通の、一般的な女の子だと思う。俺、3時間もキスしてもらえて嬉しかったよ。たぶん俺がいやらしいから、優羽も影響されたんじゃないかな。これからは2人で話し合って、うまくキスの時間調整をしていこう。ね?」


「……ナオ君は確かにエッチなところがあるよね。でも……」


 優羽は不安そうな目で俺を見てきた。


「私がキスする間、全然抵抗しないのはどうして? 興奮して私に襲い掛かってくるわけでもない。だって、3時間だよ? 普通もう少し違う反応があると思う。私が言うのもなんだけど、私がすることを完全に受け入れてる。それが、怖いの」


「怖い?」


「……私が子どもの頃からおもちゃにしたせいで、ナオ君が異常なくらい受け身な人間になったんじゃないかって。私に襲われることでしか興奮できないように、丁寧に丁寧にナオ君の心に私を刻みつけた、そんな気がしてるの」


 そんなことは無い、と言いたかった。

 けれど実際どうなのだろう。

 好きな人から欲望を向けられて嬉しい。

 これは一般的な感覚だと思う。

 ただ3時間無抵抗でキスを受け入れるのはおかしい、と言われれば正直否定できない。

 俺にも言いたいことはあるが、それでも3時間はたしかに異常だろう。

 もっともその異常さは俺が一方的に生み出したわけではなく、キスをする側も異常だから成り立っている気がする。


 ……どう返事をしたものか悩んだのだが、なんにせよ黙り込んだのは失敗だった。

 優羽はやっぱりと言いたげに、頷いている。


「ねえ、ナオ君。ナオ君は私以外の人とお付き合いした方がいいと思う。そうやってお互いに、リハビリしよう。このままじゃ、私たち2人とも幸せになれないよ」


「りは……びり……」


 反論しようと口を開いたが、うまく言葉が出てこない。


 俺が幸せになれないという話であれば、なんとでも反論できた。

 優羽が一緒にいてくれれば、俺はそれだけで幸せなのだ。

 けれど優羽も幸せになれないとはどういうことだろう。

 優羽は俺と一緒にいるのがイヤになったのだろうか。


「お互いに悪いところをどうにかしよう」


「俺の悪いところって……なに? 俺の、どこがイヤだった?」


 つまりこれは、フラれたということなのか。

 呼吸が苦しくなるが、それでも聞いておきたかった。


「私がイヤってわけじゃないよ。さっきも言ったけど、私がナオ君をそうしちゃったんだと思うし。だからこれは、ナオ君の新しい恋人のためのアドバイスなんだけど。……ナオ君は、女の人相手に最後までグイグイいけるようになった方がいいと思う」


「ぐいぐい? 最後まで?」


 想像していたのとは、違う種類のアドバイスだった。

 思い当たることがないというより、なんの話か分からない。


「そう、グイグイ。例えばナオ君は、私の気持ちを盛り上げるのがとっても上手だよね。なのにいざキスが始まると、私のなすがままになっちゃう。そこは直したほうがいいよ」


 いや直した方がいいって言われても……。

 優羽さんは俺の困惑をよそに、言葉を続ける。


「今のナオ君はさ、自分から誘惑しておいて、いざコトが始まると相手に身を任せる『エッチな若奥様』みたいになってるから」


「……エッチな若奥様!? 俺が!?」


 そんなこと、初めて言われた……。


「うん。そうだよ。そんな感じになってる」


「……俺、エッチな若奥様みたいになってるの……?」


 あまりにも意外過ぎて再度確認。


「うん、キスのときにね。今のままじゃ、相手の女の子もビックリしちゃうだろうから」


「それは……そうかもね……。キスの途中で、俺がいきなりエッチな若奥様になったら、相手は驚くよね……」


 なんとなく、シュンとしてしまう。

 優羽は俺とキスしながらそんなことを思ってたのか……。


「私はほら、モンスターだからそんなナオ君にも襲い掛かっちゃうけど、普通の恋人だったらそんなことにはならないと思うの。ナオ君もお付き合いする人が受け身だったら、最後までグイグイ迫ってあげてね」


「……俺とお付き合いする相手って優羽じゃだめなの? 俺のこと嫌いじゃないんだったら――」


「私じゃダメ。ナオ君のことより自分の欲望を優先しちゃう今の私が、すごく嫌いなの。ナオ君の恋人に相応しくないって自分でそう思っちゃうの。ナオ君がいいって言っても、私が認められないの」


 俺のすがりつくような言葉は、優羽に一蹴されてしまった。


「そっか……」


 しかしどうしたらいいんだろう。

 俺と優羽が両想いなのは確かなようだ。

 けれど彼女は罪悪感が理由なのか、頑なに俺と恋人になることを拒んでいる。

 正直、俺は優羽以外の誰かと付き合う気なんてサラサラないのだが……。


 そんなことを考えていると、優羽が真剣だった表情を緩めるのが見えた。

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