第25話 「趣味研」校外活動 テニスその1
「じゃあいきますね。そーれっ!」
白いテニスウェアを着てサーブを放つ九条さん。
経験者だけあって、流れるような動きだ。
「えいやっ!」
対戦相手は優羽さん。
こちらも白いテニスウェアを着て、綺麗なフォームでボールを打ち返している。
運動は好きではないとよく言っているが、大抵のことは俺よりかなり上手だ。
「あのー、先生」
「どうした、桐生」
そんな2人の打ち合いを眺めながら、俺の隣でしゃがみこんでいる月島先生に話しかけた。
「前に、校外活動は認められるまで時間がかかると言ってましたよね」
「ああ……! 言ったな……!」
妙に力のこもった返事が気になり、先生に目をやる。
月島先生は靴ひもをギュッと結びながら答えていたようだ。
見たことがない結び方だが、手の動きに迷いがない。
先生から目を離し、再び優羽さんたちを眺めた。
「……なんで申請して2日しかたってないのに、俺たちはテニス場にいるんでしょうか」
「理由は簡単だ。結局、校外活動に申請が必要なのは外部の人間ともめ事を起こしてほしくないから。つまりは──」
先生は靴ひもを結び終わったようで、スッと立ち上がると施設の入口に目を向けた。
俺も先生の視線を追う。
ここからでも見える大きな看板に書かれた文字。
『九条テニスクラブ』
金色に輝くその文字を見ながら、月島先生はため息混じりに言ってくる。
「九条の実家が経営するこのテニス場なら、なんの問題も無いということだな」
「はあ、そういうものですか」
「少なくとも『ここのテニス場はやめておきましょう』と言える人間は、私を含めて1人もいない。まして、九条の令嬢の提案だからな。驚くほどのスピードで許可が出た」
「なるほど」
まあ本音を言えば察しはついていたので、九条さんが近くにいるときは聞けなかったわけだが。
九条家はうちの学園に多額の寄付をしただけでなく、娘の入学までに最新の設備を導入するよう働きかけたという噂もある。
裏口入学を疑われそうなところだが、幸いにも九条さんは成績も人当たりも良い。
この学園は生徒の人柄も良いようなので、気にする人間は特にいないようだ。
「無駄話はそれくらいにして、私たちもコートに入るぞ」
そういうわけで、今日の同好会の活動はテニスである。
九条テニスクラブは自然に囲まれてテニスをしようというコンセプトらしく、郊外に作られているわけだがそのぶん恐ろしく広い。
ちなみに学校からここに来るために、テニスクラブから迎えの車が来ていた。
そしてラケットだけでなくテニスウェアもコートもシャワー室も併設のレストランも無料で使わせてもらえるそうだ。
さすがは九条家、至れり尽くせりである。
やはり無料貸し出しのテニスシューズを履いた俺は、地面の感触を確かめながらコートの中央へ向かう。
マコトは俺より先にコートに入っていたようで、ラケットをブンブン振っていた。
彼が俺の対戦相手、というわけではない。
ダブルスなのでマコトはむしろ味方である。
……スポーツに関しては頼りない味方だが、それはお互い様なので言いっこなしだ。
対戦相手はヒヤヤッコと月島先生のペア。
月島先生は経験者のようだし、ヒヤヤッコはトリッキーなタイプだ。
率直に言って強敵である。
おそらくこちらは戦力で劣っている。
良いゲームになるかどうかは、月島先生がうまく手加減してくれるか次第だと思う。
なんとも情けない話だが、これは単なる事実だ。
ちなみにヒヤヤッコは手加減ができるような器用な人間ではないし、俺たち相手に手加減をするという発想がそもそも無いだろう。
「みんな準備運動は終わらせたな? では私たちも始めるか」
俺たちが頷くのを確認したあと、月島先生が宣言する。
――こうしてダブルスが始まった。
「では、いくぞ」
そう言って一呼吸置いたあと、サーブを放つ月島先生。
こちらに配慮してくれたのだろう、大きな山を描くかなり緩いボールが俺に向かってきた。
少しホッとしながら、同じように山を描く軌道で打ち返す。
当然これも緩いボールになったが、それでもヒヤヤッコは慌てたようだ。
あわわと声を上げながらボールに近づくと目をつぶってラケットをブンと振る。
普通なら空振りで終わるところだが、流石はヒヤヤッコ。
上手くボールを捉えたらしく、鋭い打球がマコトに向かって行った。
「任せろ、ナオ!」
任せろもなにも俺が届く位置ではなかったが、マコトは気合いを入れるように叫ぶ。
そのまま素早く落下地点に入り、ラケットを構え、「うおりゃあああ」と叫びながらアッパー気味に勢いよく振る!
結果は――見事なまでの空振り。
ボールのかなり上をラケットが通過していたところを見ると、アッパー気味なスイングが原因だろう。
マコトは背後に転がっていくボールを見ることもなく、ラケットを振った状態でその場に固まっていた。
「え、あれ? もしかして、私が決めたの? やった!」
「そうだよ、凄い打球だったね!」
ヒヤヤッコはしばらくキョトンとしていたが、状況を理解したようで小さくガッツポーズをしていた。
しかし今のは本当に凄いボールだった。
あれは運動神経の良い優羽さんでも対応できないと思う。
「待ってくれ、ナオ。敵を褒めるより先に味方の俺を慰めてくれ。無様に空振った、惨めなこの俺を」
マコトはショックから立ち直れないようで、ぐったりと肩を落としていた。
俺としても慰めたいところではあるが、今回ばかりはフォローが難しい。
「そう言われてもなあ……」
「いいのか? 体力の無い俺が気力まで無くしたらお前たちの手に負えなくなるぞ」
ろくでもないことを言いながら、ふふふと暗く笑っている。
「せめてボールに当ててくれないと、慰める材料が無いんだよ」
「無いことは無いだろう。声が大きくていいねとか、テニスウェアが似合ってるとかあるだろ」
なるほど。
別に今のプレイと無関係でも良いわけだ。
「今日のヘアスタイル、いつもよりカッコイイよ」
「……うん。ボケで言ったんだろうが、ホントにちょっと変えてるんだ。しかし、なぜだろう。褒められてむしろ悲しくなってきた」
ちなみにボケではなく、言うタイミングが無かっただけだが……。
まあどうでもいいか。
マコトとそんな風にじゃれあいながらもゲームは続いた。
しかし……。
「はぁーふーん!」
ズバンッ!
「クソ、またヒヤヤッコにやられた!」
◇◇◇
「ふいにゃあっ!」
バシッ!
「またまたヒヤヤッコだ!」
◇◇◇
「ひゃはーん!」
ガンッ!
「やべえぞ、ラケットに当てたのに弾き飛ばされた! どんな威力だ、ヒヤヤッコ!」
……といった形で、ヒヤヤッコが4連続ポイントを取る大活躍を見せた一方、俺たちはポイントを全く取れていないまま最初のゲームを落とした。
たまらず休憩を取らせてもらった俺たち。
対ヒヤヤッコの作戦会議が、いま始まる……!
「くそっ! なんなんだよ、あのスマッシュを打つときの珍妙な掛け声は!」
ベンチに座ったマコトは、頭を抱え叫ぶ。
「でも不思議と可愛いよね」
ヒヤヤッコの掛け声を思い出すと、つい笑顔になってしまう。
マコトはそんな俺をチラリと見てきた。
文句を言われるだろうかと思ったが、彼も半笑いだ。
「……まあ、否定はせんが。しかし本人は声が出てることすら気付いてなさそうだな」
「確かにそうだね。『スマッシュのとき変な声が出ててるよ』って教えてあげたら、すごく動揺しそう」
「かもしれんが、揺さぶるのは逆効果じゃないか。動揺してさらに凄いショットを放ってきそうだ、ヒヤヤッコだし」
「ヒヤヤッコだもんね、ありえる」
強く頷く。
冗談ではなく、ヒヤヤッコはそういうタイプなのだ。
「そもそもなんで、あんなへなちょこスイングで鋭い打球が飛ぶんだ。素人レベルのボールじゃないだろ、あれ」
「確かに打球も凄いけどさ、あの打ち方、可愛いよね。脚をピョンって跳ね上げながら打つの、すごく好き」
そう言うとマコトは感心したように腕組みをし、こちらを見てきた。
「ふーむ、腕の振りしか見てなかったから、脚の動きは気付かなかったな。ナオはヒヤヤッコ研究の第一人者だけあって、やはり着眼点が違う」
「まあね。ちなみに月島先生研究の第一人者であるマコトとしては、なにか意見はある?」
「……月島先生、めっちゃ優しくないか? ちょうど打ちやすい所にふんわりとボールを打ち出してくれるから、ヒヤヤッコとの落差で泣きそうになるんだけど」
適当に話を振ってみたら、思いのほか本気の感想が返ってきたので思わず笑ってしまった。
「ねえ、そろそろ再開しない? わたし今、絶好調な気がするし、早く続きをやりたいな!」
相手コート側のベンチから笑顔で手を振ってこちらにアピールしてくるヒヤヤッコ。
どうもタイムオーバーのようだ。
「やべえな、作戦会議のつもりがいつの間にか雑談になってた」
マコトは顔をしかめている。
「そうだね。このままじゃ次のゲームもヒヤヤッコに蹂躙されるだろうねえ」
「まあそもそも作戦でどうにかなる相手じゃないんだけどな」
「というか、凄い作戦を立てても俺たちの運動神経じゃ実行できないんだよね」
「……しょうがねえ行くか、ナオ」
「うん、どうせなら全力でボコボコにされてこよう」
2人で頷きあい、ヒヤヤッコが待つコートに向かった。
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