1-3


 いつもなら郵便局で昼を食べ、午前中に整理した宛先ごとの手紙を持って、島へ渡る。


 そして配達し終えると、役場のポストを開け、空になった鞄に新しい手紙を詰めて、局に戻る。


 大体それが、4時過ぎだ。


 だが今、港に向かいつつ、役場の高い位置に取り付けられた時計を見ると、1時間遅れ。


 たぶん、ミリのパン屋に寄ったのがいけなかったか。


 メルは胃の辺りをさすりながら思い返した。


 ミリという名のおばあさんが開いている、小さなかわいいパン屋さん。


 毎日のように観光客の足休めとなっている、備え付けのオープンカフェのある店だった。


 メルは手紙の配達に立ち寄った。


 ミリはその日、新作のパンケーキを焼いていた。


 焼き上がり時間ぴったりに、メルが来たのがいけなかった。


 メルは根が素直なたちなので、ミリが試食を勧めるごとに、何切れか食べた。


 紅茶も頂いた。


 観光客の目にはきっと異様に見えただろう、オープンテラスに座る、紺色の制服姿のメールボーイが。


 メルはミリの話し相手になり、しばらくそこで過ごしたのだ。


 嬉しそうな顔のおばあさんを見るのは、悪い気がしない。


 いいことをしたと、自分でも思ったのだったが。




 港に着いたのは6時前だった。


 町中を歩いている途中で、所々に立っている街灯にやわらかな明かりが灯り始めた。


 陽は沈み、おもちゃのように可憐な家々から漏れる光が幻想的になったころ、夕暮れを散歩する観光客にもまれながらも、メルは港に着いたのだった。


 いつも思うのだが、こんなにも多くの客、毎日どこからやってくるのだろう。


 肌の色も、着ているものも、言葉だってバラバラだ。


 外を歩けば人口よりも、遊びに来ている人のほうが多いのではないか。


 たしかにこの町は美しい。


 夜ともなれば、どこからともなく、妖精が出てきてもおかしくないほど、町全体がキラキラしている。


 港の浜から海を見ても、あふれた光で、浅い所は底が見える。


 みなもがゆったりと輝いている。


 都会に住む人にとっては、それは魅力なのかもしれない。


 また観光客がいる限り、売上げが伸び、町の建物は潮風に吹かれて老朽化が進んでも、この経済効果で現状を現状のまま、維持し続けることができる。


 どんなにコンクリートの壁が強いと分かっていても、人々は木枠の壁を用意する。


 景観をそこねることは、島民も反対しているのだと思う。




 メルは停泊しているフェリーを眺めた。


 こちらもランプが点いている。


 しかし近寄ってよく見ると、フェリーに続くタラップがない。


 どうやって上がればいいというのだ。


「6時前だからかな……」


 メルはひとりごちた。


 フェリーは1日に10往復ある。


 次は6時にこちらに着く、あのフェリーがそうだと思うけど……。


 黙って立っていても仕方ないので、観光客相手に、夜の海にゴンドラを出す、船乗りを探してみた。


 この時間には用意していると、友達に聞いたことがある。


 しかし、その船員もいない。


 おかしいな、と周りを見渡してみると、いた。


 凝った装飾のゴンドラが一艘と、背の高い船夫だ。


「乗り遅れたな、兄ちゃん」


 船夫はメルを横目に言った。


「アクアアルタの夜は、フェリーは早出で帰路につくんだ」


 メルは吹き付ける冷えた風に、両腕を抱いた。


 そのまま見ているとゴンドラは引き上げられ、フェリーのほうは汽笛を鳴らせて出港し始めた。


「今日は夜の部のゴンドラは無理だぜ」


 船夫は寂しそうに言いながら、そばの木のくいにゴンドラから伸びた縄を結んでいる。


 残念なことに、今のフェリーが10往復目の船だと、メルは知っていた。


 そうして、思わず声に出た。


「長靴……」


 メルの足もとに海水が押し寄せていた。


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