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 メルは肩から斜めに吊り下げた革製の鞄に、ポストの中身を収集していた。


 町役場のそばの大きなポストだ。


 青い海に浮かぶ、朱色の屋根の連なるこの島の、美しい景観を写したカードが多かった。


 ちょうどその時、役場の扉を押し開けて、町長が現れた。


 メルには気づかず、役場の前の花壇に向かい、花の手入れをし始めた。


 しおれた花びらを摘み取って、手の中で握りしめる。


「こんにちは」


 メルがそっと声をかけると、「やあ」と応えた。


「おや、もうそんな時間か」


 町長はそう言って、町役場に備え付けられた大時計を見上げた。


 5時。


 役場の壁が、夕日色に染まっている。


「きれいなお花ですね」


「ありがとう。きれいにしていないとな」


 町長は黒い髭の生えた口元を、ほころばせながら言った。


「今日も観光客が、人口の3分の1は来たよ。この前でも写真を撮って行くんだ。中においてあるパンフレットと、同じ景色を保つのも大変だよ」


 メルも町長に笑い返した。


 島を紹介したパンフレットは、メルももらったことがある。


 ちょうど島の中央に建つこの役場は、観光客の道案内も兼ねている。


 だから島の見取り図が、看板になって役場の前に立っていたり、ホテルやレストランの場所を紹介したパンフレットも、写真付きで、役場で配っているのだった。


「だが、どんなにきれいにしていても」


 町長は一度、ため息をつき、続けた。


「アクアアルタにはかなわない。この前はその看板の、半分ほどが海水に浸かった。この島で花がまともに育つのは、あそこの土地くらいだな」


 最後のほうは、ひとりごとのようにメルには聞こえた。


 あそこがどこかは分からないが、町長が言うとおり、この島はよく海に浸かる。


 オシャレに見える家々でも、玄関の内側には、侵入してくる海水をせき止めるための、丈夫な板が置かれていたりもする。


 アクアアルタという現象は、月の満ち欠けによって発生するので、それは誰にも止められない。


 新月と満月の時に、島の周囲から海水がせり上がり、土地の低いこの島は、あっという間に水に浸かってしまうのだ。


 観光客の必須アイテムとして、長靴がよく売れる。


 ふだん何ともないので、大して気にしていなかったメルも、ことの重要さに気がついた。


 思わず空を見上げる。


 よかった、まだ太陽が出ている。


 最近は冬になるにつれて月が出るのが早いのだが、今日は夜になっても月は出ない。


 そう、今日こそが、新月の大潮の日だ。


 アクアアルタの警戒日だった。


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