第26話 波乱の平日

 以前にダブルデートをした際に、澪桜は陸の彼女である香奈に料理を教える約束をしていた。


 今日は平日のある日。

 香奈は仕事が休みなので、澪桜に今日会うのはどうかと連絡をすると、澪桜はいつも家にいるので特に問題はないと快諾したのであった。


 場所は悠と澪桜の自宅。

 香奈は食材を買って、澪桜と二人でキッチンに立つ。


「綾瀬さん今日は呼んでくれてありがとう」

「いえいえ。私、平日は悠くんがお仕事で時間があるので来てくれて嬉しいです」


 今日は初めてということで、簡単なお菓子から始めるとのこと。


「それじゃあ今日はプリンを作りましょうね」

「なめらかなやつだよね。そんな簡単に出来るのか不安…」

「温度さえ気をつければ簡単に出来ますので大丈夫ですよ?」


 香奈は澪桜の指示通りに作業を進めて行く。


「これから火を通します。ここが一番ポイントになりますので50度を超えないように気をつけて下さいね」

「う…プレッシャーかけないでよね」


 何だかんだでミスする事なくプリンが完成した。


「綾瀬さん!凄いよ。プリンってこんな簡単に出来たんだね」

「はい。慣れれば一人でも簡単に出来るので是非、家で彼氏さんにも作ってあげて下さいね」


 澪桜と香奈はそれぞれ彼氏の分まで作っていたので、今夜仕事から帰ってきたら振る舞うつもりだ。


「それじゃあ冷蔵庫で冷やしますので、出来上がるまでお茶でもしましょうか♪」


 澪桜は香奈が手土産で持ってきたクッキーに合う紅茶を入れてからダイニングテーブルに並べる。


「そう言えば、綾瀬さんは彼氏さんと同棲始めたの?」

「はい。そうなんです。あれ?私、同棲のこと言いましたっけ?」

「陸から聞いたのよ。会社で凄い幸せそうにしてるって言ってたわよ」


 澪桜は悠が会社でそんな風になっているなんて知らなかったので嬉しくなる。


「私と同棲して幸せそうに…。もぉ、悠くんたらぁ♡」


 澪桜は香奈がいるもお構いなしで自分のワールドに入っていた。


「でもいいなぁ…綾瀬さん。私も同棲したいわ〜。どっちから同棲切り出したの?」

「私たちは悠くんから同棲しないかって言ってくれました。私も仕事辞めて家事とか悠くんのお世話させて貰えてとても幸せです」


「え〜!綾瀬さんお仕事辞めたんだ!?それってもう専業主婦じゃない。でも仕事辞めて主婦として同棲するの覚悟いらなかった?」


「もともと仕事よりも家事とかお料理の方が得意だったし好きなのでむしろ嬉しいくらいでしたよ?それに、悠くんお給料もいっぱい貰っているので養ってもらって…私、幸せ者ですね」


 澪桜は嬉しそうにニヤニヤしながら頬に両手を当ててもじもじしていた。

 香奈はそんなトリップした澪桜を見て若干引きながらも素直に羨ましいと思った。


「それは確かに、彼氏さん甲斐性があるわね。うちなんて2年も付き合ってるのに全く同棲とかの話にはならないのよね」

「カップルにもいろいろな形がありますから何とも言えませんが。同棲したいという気持ちを彼氏さんに伝えたら良いのではないでしょうか?」


「そうね…。私も陸に言ってみようかしら。でも同棲するからには彼氏さんはもうその先のことも考えてくれてる感じ?」

「はい。悠くん私の両親の前で、将来結婚したいからその前に同棲させて欲しいって言ってくれましたので…きゃっ♡恥ずかしいです…」


 澪桜はあの時のシーンを思い出して盛大に蕩けていた。


「むむ…綾瀬さんの彼氏さん何者なの?普通男の人ってなかなか結婚に踏ん切りつかないとか言うし、うちもそうだけど…。本当にいい男の人見つけたわね?しかもイケメンで高収入…」


 香奈は世の中は不公平だと頭を抱える。


「それは本当に思います!こんな素敵な男性は他にいないです。しかも可愛いところもあって…でも私が一番好きなところは、いつでも優しくしてくれていつも私のこと考えてくれるところですね。後、母性をくすぐる可愛さもありまして…」


 澪桜は悠の良さを語り始めると止まらなくなっていた。

 一番好きが沢山出てくるのだから。

 

「も、もうベタ惚れね…。でもそういう形も良いかもなぁ」


 甘々な関係が少し羨ましいとも思う香奈であった。


「ところで…さ。夜の方はどうなの?やっぱりずっと一緒に生活してるとそれなりに減るものなのかしら?彼氏さんなんかあまりそういうの積極的じゃなさそうだし」

「えっ…。夜ですか?そのぉ…私も悠くんもお互いに初めてなので他の人がどれくらいなのか分かりませんが…ほぼ毎晩可愛がって頂いてます…」


 澪桜は顔を真っ赤にしながらもちゃっかりカミングアウトしていた。


「え…?お互いに初めてだったの!?そんなことあるんだ…。それにしても毎晩…彼氏さん元気なのね」

「確かに…ゆ、悠くんは元気…かも。たまに甘えてくれるし…でも私、可愛がって頂くの好きだしっ、私から甘えちゃうことも多いし…」

「あんなクールな感じの彼氏さんが甘える所なんて想像出来ないなぁ」


 香奈は意外そうに呟いく。


「だ、だめですっ!悠くんのそんなところ想像しちゃダメですからっ!」

「いや、私も彼氏いるから!別にそんな風には考えてないって」


 二人はしばらくガールズトークを楽しんでいたのであった——


「そろそろプリンも冷えた頃ですし、食べましょうか」


 澪桜は冷蔵庫から冷やしていたプリンを取り出してテーブルに運ぶ。


「美味しく出来てたら良いな〜」


 香奈は期待半分不安半分という感じで、プリンを口に運ぶ。


「ん〜!美味しいっ!滑らかで凄い。お店のみたいね!」

「はい。美味しく出来ましたね♪これなら悠くんも喜んでくれそうです」

「あたしも早く陸に食べさせてあげたいな!」


 二人のプリンは大成功だった。


 この日、香奈が持ち帰ったプリンを見て陸が本気で驚いて、その味に手作りを疑ったというのはまた別のお話である。


 

 夕方になり、香奈は帰っていった。

 久々のガールズトークに華を咲かせたおかげであっという間に時間が過ぎていた。


「もうこんな時間です。洗濯物を取り込まないといけません」


 澪桜は残りの家事に取り掛かった。



*   *   *   *   *   *


 その頃、悠達は——


 「今日は珍しくこんな時間に片付いたね。たまには時間休取って早めに帰ろうか。メリハリは大事だからね」


 係長はここ最近忙しいかったこともあり、仕事が早めに終わった今日がチャンスとばかりに悠と陸に提案する。


「ありがとうございます係長。確かに今日はやれることもないですし、早上がりしますか」


 悠達の係は定時よりも2時間ほど早く退社することにする。

 悠は澪桜に敢えて連絡を入れずに帰って、驚かせようと思っていた。


「帰りにいつものスーパーだけ寄って行こうか。たまには澪桜に甘いのもでも買って帰ろう」


 悠は澪桜が喜ぶ顔を想像しながら車を走らせた。


*   *   *   *   *   *


 澪桜は香奈が帰ってから洗濯などを済ませてから夕食の買い物に出かけていた。


「今日は悠くん何時頃に帰るのかしら?夕ご飯は何にしましょうか…」


 そんな事を考えながら家からスーパーまでの道のりを歩いていると、後ろから声を掛けられる。


「あれ?もしかして綾瀬さん?」


 澪桜は名前を呼ばれて振り返ると一人の男性がいた。

 顔を見ると、大学生の頃同じゼミだった…名前は何だっけ?覚えてない。


「えっと…大学のゼミで——」

「そうそう!早坂です。早坂光輝はやさかこうき


 あぁ…早坂さん。彼に言われて思い出した。ような気がする。


「こんなところで会うなんて偶然ですね!相変わらず可愛い〜。近くに住んでるんですか?」


 彼は嬉しそうにあれこれ聞いてくる。


「まぁ…ちょっと買い物に」

「あっ、近くのスーパーですか?俺その先の駅まで行くので途中まで一緒に行きませんか?」


 澪桜は昔の記憶を思い出していた。

 早坂光輝——

 確か、ゼミの時も良く話かけてきたような気がする。

 澪桜も鈍感な訳じゃないので、当時好意を持たれていたであろうことは察しがついていた。

 しかし、澪桜は自分が好きになった人以外と付き合うつもりもなく相手にしていなかったのであった。

 それでも澪桜の性格上、はっきりと拒絶することは難しくのらりくらりと避けていた。


「ん〜…。まぁ途中までなら…」


 そう言って澪桜と光輝はスーパーまでの道中を二人で歩く。


「綾瀬さん今はお仕事何してるんですか?」 

「えとっ…今は仕事していません。彼氏と同棲していますので…」


 澪桜は彼氏という言葉を出せば向こうが自分から興味を無くすのではないかと期待してそう答える。


「えっ!?綾瀬さん彼氏いるんですか!昔から誰の告白もOKしなかったのに…。どんな彼氏なんですか?年上?タメですか?」


 どうやら、逆効果だったようだ。

 光輝は興味深々に澪桜に質問をしてくる。


 澪桜はどうしようと返答に困っていると、いつの間にかスーパーの前に来ていた。


「それじゃあ私、買い物があるので…」


 その場から逃げようとしたところで、光輝は澪桜を呼び止める。


「あ、あの!もし良かったら連絡先交換して貰えませんか?また時間のある時にお会いで—」


 光輝が話している途中で聞き慣れた声が割り込む。


「あれ?澪桜?」


 澪桜と光輝が同時に振り向くと、そこには悠がいた。

 なぜここに悠が居るのだろうかと驚きに目を見開く澪桜であったが、驚きよりも安心感が勝っていた。


「悠くんっ!」


 澪桜は悠まで飛び込むように走ってきて悠の腕を掴む。

 そんな状況を見て悠は、澪桜の意思でこの男と一緒にいた訳ではないとすぐに理解した。


「澪桜…ナンパでもされたのか?」

「いいえ。ナンパではなくて…。その…この人は大学の頃同じゼミだった同級生の人です。買い物に行く途中で偶然声を掛けられて…」


 澪桜は簡単に今の状況を説明する。

 悠はその話で概ね理解した。

 久々に澪桜を見かけた彼が、ここぞとばかりに言い寄って来たのだろう。


 事情を理解している悠であったが、見知らぬ男性と二人でいる澪桜を見て内心穏やかではなかった。

 これは彼氏としてのエゴでしかないが…


 光輝は澪桜が「悠くん」と言い駆け寄った男性を見て思った。


 確かにイケメンだし背も高い。

 高そうなスーツで身なりを整えた姿を見れば、きっと一流企業でバリバリ働いているのだろうとすぐに分かる。

 

 しかし、せっかく数年ぶりに出会ったこのチャンス。

 せめて友人として連絡先くらいはと考える。


「おい。お前俺の彼女に何か用か…?」


 悠は鋭く冷たい声で言う。

 今の悠の顔は仕事の時にみせる「監査の鬼」と呼ばれる表情だった。

 光輝は悠のプレッシャーに圧倒されながらも声を絞り出す。


「俺は綾瀬さんの大学の時の友人です。偶然見かけたので途中まで一緒だっただけです。そ、そんな怖い顔で見られるようなことは何もしていませんよ?」


 光輝はやましいことはなにもしていないと得意げに言う。

 悠はその態度が気に入らなかった。


「では聞こう。なぜ澪桜はこんなに困った表情をしているんだ?お前が言うように何もしていないと言うのなら澪桜はこんな顔をする人ではない」

「俺はただ、綾瀬さんに連絡先を交換しようと言っただけですよ。彼氏だからって彼女の友人関係にまで口を挟むんですか?束縛が過ぎるんじゃ—」


「だまれ。俺は別に澪桜の友人関係にまで口を出したりはしない。だが…そもそもお前は澪桜の友人なのか?」


 核心を突く悠の言葉に光輝は言葉が出ない。


「お前が澪桜の友人なのかどうかは本人に聞けばいいことだ」


 その言葉に澪桜は悠の顔を見る。

 鋭い表情の中に一瞬見せた悲しげな表情。

 澪桜は悠の表情を見ただけで理解した。

 言葉には出さないが、本当は自分が悠の見知らぬ男と一緒にいたことが悲しかったのだと。

 

 澪桜は後悔していた。

 自分の曖昧な態度のせいで最愛の人に嫌な想いをさせてしまったことを。

 今後また同じようなことで悠に同じ想いはさせたくないと澪桜は口を開く。


「私は学生の頃からあなたと友人だった記憶はありません。連絡先の交換も申し訳ありませんがお断りします。私は悠くんの彼女ですので。

それと…私の彼氏に束縛が過ぎるとか、余計なお世話です」


 はっきりと伝えた。

 誤解が無いように、自分の思う事を全て正直に言葉にする。


「え…。そ、そんな…。」


 光輝は澪桜からこんなに正直な拒絶を聞くとは思わなかったからか、驚きの表情をしていた。


「と言う訳だが。まだ何か言いたい事はあるのか?」


 悠は光輝を射殺すくらいの鋭さと冷たさを含んで睨みつける。


「あ、綾瀬さん変わりましたね?昔はそんな事を言う人じゃなかったのに…」


「分からんやつだな。だからお前はそんな立ち位置のまま終わったんだ。はっきり言ってやろう。こいつは俺の女だ!今後も澪桜に関わるようなら俺もやる事はやらせて貰う。これ以上は立派なストーカーだ。お前の人定も割れているんだ。警察に突き出して社会的に抹殺してやるから覚悟しろよ?」


 光輝は悠の顔を見て息を呑む。

 これは本気だ。冗談で言っていない。

 

 澪桜は不謹慎ながら初めて見る悠の表情にドキドキしていた。

 自分の為に本気で怒る悠に改めて惚れ直す。

 澪桜の目はハートになっている。


 そんな澪桜の表情を見た光輝はもはや、ぐうの音も出なかった。


「分かりました…。今後綾瀬さんに関わることはしません。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


「分かればいい。俺は法務関係の仕事をしていてな。お前が約束を違えた時はきっちり法的に精算して貰うからな。口だけだと思うなよ?理解したら行け」


 悠がそう言うと、光輝はその場を立ち去る。

 あの様子であれば、今後面倒なことに発展することはないだろう。


 悠は澪桜を見るとうっとりとした表情で見つめている。


「澪桜、良かったよ。たまたま二人を見かけたから…」

「あ、あの…悠くん。助けてくれてありがとうございます…。とてもかっこよかったです♡」


 悠は澪桜の様子を見てホッとする。

 もし自分が居合わせなかったらどうなっていたのだろうか。

 無理矢理、連絡先を交換させられていずれ何らかのトラブルに巻き込まれていたかもしれない。


「澪桜…ああいう手合いにはもっとはっきり言わないと。全ての人に良い顔をすることは決して褒められた事ではない。八方美人はいつかどこかで痛いしっぺ返しをくらうぞ?」


 悠はいつになく厳しく澪桜に言う。

 今後、大切な澪桜がまた同じようなトラブルに遭って欲しくない。

 当然その心配もあるが、もう一つの理由は他の男に対してはっきりと断って欲しかったからだった。


「ただでさえ…こんな可愛いんだから…」


 悠はちょっと拗ねていた。

 そんな悠の顔を見た澪桜は我に帰る。


「あ、あの。悠くん…私、ごめんなさい。はっきり断らなくて…。悠くんに嫌な想いさせてしまいました…」


 さっきまでデレデレだった澪桜は悲しそうな顔で悠を見る。

 悠は拗ねていることがバレたのかと驚きながらも誤魔化した。


「い、嫌な想いなんかしていない。澪桜がまたこんな目に遭ったら困るから言っているんだ」


 悠は変なプライドが邪魔をして正直に言えずにいたが澪桜は分かっていた。

 しかし、こんなことでもし悠に嫌われたらどうしようと不安がよぎる。

 

「はい。申し訳ありませんでした…でももう大丈夫です…これからは、はっきりと断りますので」

 

 澪桜は嫌わないでと懇願するように悠を見つめながら袖を掴む。


「わ、分かった。それなら澪桜を信じることにしよう…」


 なんでこんな言い方をしてしまうのだろう…

 悠は何だか罪悪感を感じて歯切れ悪く答える。

 澪桜は悪くない。

 俺だってデパートで東雲さんと喫茶店まで行ったじゃないか…俺は最低だな。

 ただの独占欲なのに…素直にそう言えない自分に苛立つ。


「はい…あの悠くん…いえ…何でもないです」


 澪桜はそんな悠の態度を見て、自分のせいで悠が愛想を尽かしてしまったのかと本気で心配になる。

 自分の曖昧な態度で悠に嫌な想いをさせたこと。

 そしてあの男さえ現れなければこんなことにはならなかったのにと本気で悔やみ、恨めしくも思った。


「買い物あるんだろ?早く済ませて帰ろう。帰りは送るから一緒に帰るぞ」


 澪桜は悠に手を引かれて後ろをついて行く。

 その後、買い物を済ませた二人は車で自宅まで帰った。

 自宅に着いた後も、お互いにギクシャクして会話も少ないまま夕食を終えてしまう。


「俺、風呂行ってくるよ」

「はい。ごゆっくりどうぞ…」


 いつもなら一緒に入りますか?なんて笑いながら話をするのに今夜はとてもそんな冗談を言える雰囲気では無かった。


 澪桜は悠が脱衣所の方へ向かい姿が見えなくなるまで目で追っていた。



*   *   *   *   *   *


 悠は湯船に浸かり、今日の出来事を思い出す。

 素直になれなかった自分に心底腹が立つ。

 こんな態度を取る俺を澪桜は嫌いになったっておかしくない。


「恋愛というのは仕事よりも難しいな…なぜこうも上手くいかない」


 悠は苛立ちを隠せずに湯船に張られた湯面を叩く。

 はねたお湯が自分にかかる。


「何をしてるんだ俺は…このまま澪桜に嫌われたらどうするんだろうか…」


 不安が悠の精神を包み込む。


 悠は心の整理がつかないまま風呂を出る。

 リビングに戻ると澪桜は入れ違うように浴室に向かった——


*   *   *   *   *   *


 今日は最悪な日。

 悠くんに喜んで貰うために夕ご飯の買い物に出たらまさかこんなことになるなんて思わなかった。

 あんな大して知りもしない男に悠との楽しい生活に邪魔をされたことが恨めしい。


「はぁ…。でも私が曖昧な態度を取っていたのが悪いんですよね…」


 なんで声を掛けたときにはっきり迷惑だと断らなかったのかと本気で後悔するがもう後の祭りである。


「悠くん怒ってますよね…私だって逆の立場だったら良い気はしませんし…」


 澪桜は悠に嫌われたらどうしようと考えてしまい、目には涙が浮かんでいた。


「悠くんがいなくなったら私…」


 澪桜は涙をお湯で洗い流す。


「そんなの…いや…」


 澪桜は泣いていたことがバレないように顔を洗い直して浴室を出た。



*   *   *   *   *   *



 リビングに戻ると悠はちょうど明日の支度を終えて寝室に移動するところであった。

 澪桜も寝るまでの支度を終えて寝室に向かう。

 悠はもう寝てしまっただろうかとベッドの方を見るとまだ起きているようだった。


 澪桜は電気を消してベッドへ入る。

 お互い無言で気まずい空気が流れていた。

 澪桜は勇気を持って口を開く。


「悠くん…。起きてますか?」

「うん。どうした?」

「今日のこと…本当にごめんなさい。私なんて言ったら良いか…」


 澪桜は消えいるような声で悠に言った。


「悠くんに心配かけてしまって。助けて貰ったことが嬉しくて悠くんの気持ち全然考えてなくて…」

「違うんだ。今日のことは澪桜は悪くないだろ」


 悠は初めて口を開く。


「そんなことは分かってたんだ。ただ澪桜にははっきりと断って欲しかった。他の男に言い寄られたときにいつも曖昧な態度でいられることが嫌だったと言うか…口下手でごめんな。俺のただの嫉妬なんだ…」


 悠は素直に自分の考えを伝える。

 そこにはさっきまでのプライドなど存在しない。


「悠くん…」

「澪桜は可愛いから…こんなの良くある事だろうし、これからもきっとあるだろう。そんな時に曖昧な態度でいられることが怖いんだ。いつか俺よりも良い男が現れたら…澪桜は俺から離れてしまうんじゃないかって…」


 俺はいつからこんなに弱くなったんだろうか。

 惚れた弱みというが、彼女にこんな弱音を吐くなんて情けない…


「悠くんよりも良い男性なんている訳ないじゃないですか!私はいつだってあなたの事だけを考えています。でも、今日のことで分かりました…これからはちゃんと言わないとって。私、今まで曖昧な態度でいたことを後悔しました。これまでの罰が今日当たったんだなって…」


 澪桜は涙を流しながら震える声を紡ぐ。


「悠くん…私を嫌いにならないで…ずっと好きでいて欲しいです…」

「嫌いになんてなる訳ないだろ。大好きだからこんな感情になるんだ…澪桜こそ、俺に幻滅しただろ?嫌われてもおかしくな—」


 悠が言葉を言いかけたところでその唇が塞がれる。

 唇が離れると澪桜は泣きながら悠に言う。


「悠くんを嫌いになんてなるはずないじゃないですか!大好きです…。愛してるに決まってるでしょ…」


 悠は感情を溢れさせる澪桜を抱きしめる。


「もぉ…悠くんに嫌われちゃったかと思いました…そんなの嫌です…あんな人のせいで大好きな悠くんが離れてしまったらって…ばかぁ〜」


「ごめんな澪桜…俺は馬鹿だよ。こんなに愛してくれる彼女に嫉妬して…嫌な態度取ってしまって。これからもずっと俺と一緒にいてくれ」


「当たり前です…悠くんこそ私から離れないでください…ずっと好きでいてください…」


 悠はしばらく泣きじゃくる澪桜を抱きしめながらなだめていた。

 澪桜は落ち着くと、悠の背中に腕を回す。


「悠くん。私、今後は悠くんが不安に思うようなことは絶対にしません。それにまたあんなことがあれば、はっきり言いますので。安心して下さいね?」


「もう大丈夫だよ。澪桜を信頼してるし。ても今後またあんなことがあったら、俺にちゃんと話てくれ。本当にトラブルになっても困るしさ」


 悠は澪桜の頭を撫でる。


「もちろんです。その時は悠くん助けて下さい」


 澪桜は悠の頬にキスをする。


「やっと仲直り出来ました。あのまま仲直りしないで悠くんがお仕事行っちゃったらどうしようかと…」

「俺も澪桜と仲直り出来て良かった。気まずいまま会社行っても仕事になんないよ」


 二人はお互いに笑い合いながら仲直りを喜んだ。

 その後、澪桜は昼間に香奈が来て一緒にプリンを作った話をする。


「もう遅いし、明日帰って来たらプリン食べたいな」

「もちろんです。美味しく出来たので楽しみにしてて下さい♪」


 澪桜はニコっと悠に笑いかける。


「やっぱり澪桜は笑った顔が一番だな…普通にしてても可愛いが笑った顔はさらに可愛いよ」


 悠はそう言いながら澪桜の目をまっすぐ見る。


「悠くん…嬉しい…。あのっ…悠くん?」

「どうした?」

「今夜はその…仲直りのえっち…したいです…いっぱい可愛がってくれますか?」


 澪桜は恥ずかしそうに悠を見つめながら正面から身体を押し付ける。


「そんなの良いに決まってるだろ…」


 付き合って初めてギクシャクした二人は仲直りを経て、お互いの愛を確かめ合った。

 

 仲直りからの夜戦は正直燃えた。

 二人とも気分が高ぶり、お互いを求め続けた。

 気づいた頃、時間はすでに夜中。

 数時間は経っており、二人は抱き合いながら眠りにつく。


 悠と澪桜は今日の出来事があったことで、よりお互いの想いの強さを知ったのであった。

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