第8話 初デート①

 悠は午前7時には目覚めていた。

 待ち合わせ時間は午前10時なので十分余裕を持って準備が出来る。

 とは言え、早すぎるくらいであるが、なんでも時間に余裕を持って行動することはもう悠の習慣なので変えることは出来ないのだ。


 悠は顔を洗い、しっかりと髭を剃ってから髪を整髪剤で整え、身支度を進める。

 昨夜用意した服は、ジャケットにストライプシャツ、テーパードパンツ。

 秋の普段着としては無難な組み合わせで、アイロンもしっかりかけてありシワは全くない。


「柄になく背伸びしても仕方ないからな。」


 私服に関しては、普段からそこまでこだわりがなく洒落た服を持っていない悠はいつも通りの服を選んだ。


 待ち合わせ場所は澪桜の家の近くにあるコンビニということになっている。

 デートの待ち合わせ場所にしては雰囲気がないと言われれば悠もそう思う。

 悠は車なので、最初は澪桜の家まで迎えに行くといったのだが、いきなり家に男の人が来たら親がびっくりしてしまうということで、近くのコンビニで待ち合わせることになったのだ。


「確かに、付き合っている訳でもない男がいきなり家まで車で乗り付けたら驚くよな。」


 待ち合わせまでまだ1時間以上あるため、悠はおすすめのデートスポットを調べていた。


「人混みはあまり得意ではないんだが、やはり人気なレジャー施設とかは混み合うんだろうなぁ。ま、久々のデートくらいちゃんとしたところ行かないとな。」


 スマホでデートスポットを調べているとあっという間に家を出る時間間近になっていた。


「女の子を待たせる訳にはいかんからな。」


 悠は少し早めに戸締まりを終えて、車に乗り込み待ち合わせ先のコンビニに向かった。


*   *   *   *   *   *


 時を遡り、午前6時。

 澪桜は、緊張でなかなか寝付けなかったこともあって眠そうに目を擦っていた。

 それもそのはず、澪桜にとって人生初のデートなのだ。


「緊張して、あまり熟睡出来なかったわ…でも悠さんとの初デートの日よ!気合いを入れて準備しないと♪」


 この見た目の可愛いさ、スタイルの良さ、温和で控えめながら優しい性格と三拍子を兼ね備えた澪桜は当然、言い寄ってくる男がそれなりにいたことは確か。

 しかし、澪桜はその誘いや告白を全て断って来たのだ。

 理由は一重に澪桜の純粋な乙女心にあるだろう。


 澪桜は、自分からこの人が好きだと思ったことが無かったのだ。

 ついまでは。

 澪桜は、初めてのデートや付き合う人は自分が"この人だ"と思った所謂、運命の人とでないと無理だという乙女心で26年間一度も異性と付き合うことが無かったのだ。


 そして、いつか澪桜のいう運命の人が現れた時、その人と結ばれた際は、生涯をかけてその人を支えて、全力で尽くして行こうと決めていた。


「好きな食べ物と嫌いな食べ物くらい聞いておけば良かったわ。」


 澪桜はお昼のお弁当を作り始める。

 朝6時に起きた理由は、身支度以外にも、悠のためにお弁当を作ってあげたかったからだ。

 澪桜は己の持つ料理スキルを遺憾なく発揮し、流れるように美味しそうなおかずを次々と作って箱に詰めて行く。

 その手際はどこの嫁にだしても困らないだろう。


「ふふふ。悠さん喜んでくれるかしら。」


 お弁当を作り終えた澪桜は、身支度に入る。

 髪は編み込みのハーフアップで清楚さと可愛さを出していく。

 ブラウスにミディアム丈のフレアスカート、少しだけ高さのあるショートブーツで合わせた。


「初めてのデートだからってあまり気合い入れ過ぎて引かれてしまうのも嫌ですし…無難な感じでいいわよね。」


 その無難と呼ぶ格好でさえ、悠を射殺すことが出来る程に魅力的なことを当の本人は気づいていない。

 メイクを済ませてから、そうこうしているうちに家を出る時間が近づいて来る。


「忘れ物しないようにしないと。お弁当にお化粧ポーチに…」


 初デートに浮かれていた澪桜は、何度も持ち物を確認してから家を出る。


*   *   *   *   *   *


 待ち合わせ場所のコンビニに着いた悠は、車を駐車場止める。

 今は待ち合わせ時間の30分前。

 悠は、店内に入りホットコーヒーと澪桜の分の暖かい紅茶を買って車に戻る。

 そして、灰皿が置かれた喫煙スペースで煙草に火をつける。


「デート中は吸えないだろうからな。」


 煙草を咥えながら時計を確認すると待ち合わせ時間まで後20分程ある。

 悠は心を落ち着かせるように、煙を吸いゆっくりと吐き出す。


 煙草を吸い終わると、消臭効果のある香水を振り撒く。

 別に煙草を吸うことを隠すつもりはないが、単純に不快な匂いで嫌な思いをさせるのが申し訳ないからだ。


 そうしてしばらくしているうちに、コンビニへ向かって歩いてくる女性を見つける。

 悠は遠目からでも彼女が澪桜だと分かった。


「あっ。悠さん!おはようございます♪お待たせしてしまいましたか?」


 じ、実に麗しい。

 神はなんと罪深いのだ…どうやったらこのように可愛い女性ができあがるのだろうか。

 そんなことを考えている悠。


「おはようございます。綾瀬さん。全然待ってないので大丈夫です!それより、その…とても可愛いです。服も髪も、その…もう全てが。」


 澪桜の服は、トレンドをしっかりと掴みつつ、派手さのない清楚な感じ。

 程よく身体のラインが出ていて、形の良い大きな胸はブラウスを押し上げネックレスの装飾はこれでもかというくらいに主張している。


「え。あ、ありがとうございます。頑張って選んだ甲斐がありました…。その…、悠さんもとてもかっこいいです…」


 澪桜は頬を桜色に染め、俯きながら少し前屈みになり、上目遣いで悠を見て恥ずかしそうにそんなことを言う。

 相当恥ずかしかったのか、もじもじしている。

 あ、あの…前屈みでその動きは…大きな胸が揺れて…。

 悠はもうワンパンKOである。


「俺は、今日死んでも一片の悔いなし…。」 


 仕事では、どんなにキツくても弱音を吐かず、癖があり厳しい上司に対しても一歩も引かない強靭な精神メンタルを持っている悠をしてもワンパン。

 白旗である。


「悠さん!死んではダメです。そんな…悲しいことは言ったら"めっ"ですよ?」


 困ったように整った眉毛を八の字にしながら悠に「めっ」と嗜める澪桜。

 長いまつ毛に大きな瞳はうるうるしている。

 

「は、はい…すみません。あまりにも綾瀬さんが可愛い過ぎて…悶え死ぬかと思いまして。」


 悠は思った。

 可愛いの度が過ぎる。

 その姿。その仕草。その表情。その言葉。

 可愛いが大渋滞を起こしていると。


「も、もう。悠さんったら…恥ずかしいです。さ、さぁ。そろそろ行きましょうか。」

「はい。では、助手席にどうぞ。」


 悠は、助手席のドアを開け、彼女をエスコートする。

 澪桜はスカートを左手でサッと押さえながら車に乗り込む。

 その仕草一つを取っても優雅。


「最初はどこに行きたいですか?車なので高速も使えますし、ある程度遠くても大丈夫ですよ。」

「昨日、調べて見たんですけど、ここから車で50分くらいのところに大きな自然公園があるのですが、そちらはいかがでしょうか?」

「おお。いいですね!俺、落ち着いた自然の中をゆっくり歩くの好きなんです。」


 悠は、ごみごみした所よりも、自然に癒される方が好きだった。


「良かったです。私も都会の人が沢山いる所だと疲れてしまって。自然の中でまったり過ごすのが好きなので。」


 澪桜は悠の快諾に嬉しそうに笑いながら自然公園を選んだ理由を話した。

 悠は、気が合うなぁ。と嬉しそうだ。


「それじゃあ、出発しますね。何かあったら遠慮なく言ってくださいね?」


 車のナビを設定し、コンビニの駐車場を出発する。

 土曜日の午前中ということもあり、道路は普段よりも少しだけ混雑している。

 悠は、センターコンソールのドリンクホルダーに置かれた紅茶を見ながら言う。


「綾瀬さん。そこにある紅茶、さっき買った物なので良かったら飲んで下さい。少し混んでいるのでもう少し時間かかりそうですし、ゆっくりしていて下さい。」

「え…。ありがとうございます。悠さんは本当にお優しいですね。それでは、頂きますね。」


 澪桜は、悠の好意が素直に嬉しかった。

 さりげなく気配りが出来て、それを自慢げにすることもない。

 右側に座る悠をチラッと見てみると、運転に集中している悠の横顔が目に入る。


 か、かっこいいよぉ…。

 運転の時は、眼鏡かけるんだぁ。

 悠さんの集中している時の横顔…

 いつも仕事の時はこんな顔しているのかな?

 澪桜は心の中でそんなことを考えながら悶えている。

 悠さん…。しゅき〜♡

 キャラ崩壊。

 澪桜は壊れた。


 しばらく車を走らせ、目的地の自然公園まで残り20分ほど。

 悠と澪桜は、他愛の無い話に花を咲かせており、道中は全く退屈しなかった。


「悠さん、ずっと気づかなくてごめんなさい。このコーヒー開けましたので良かったら飲んで下さいね?」


 綾瀬は悠がドリンクホルダーに置かれたコーヒーを飲んでいなかったことに気づいた。

 途中から高速道路を運転しており、開けることが出来ないのだろう。


「えっ?ありがとうございます。気を使ってもらっちゃって。逆に大丈夫ですか?車酔いとかしてないでしょうか?」

「はい。私乗り物酔いはしない方なので大丈夫です。それと、悠さんは人の心配ばかりで。もう少し自分を大切にして下さいね?」

「いや、別にそんなつもりはないんですが…。まぁ善処したいと思います。」


 悠は恥ずかしそうに、頬をぽりぽりと掻いている。

 そんな悠の顔を見て、澪桜の母性はくすぐられる。


 か、かわいい〜。

 普段はかっこいいお顔なのに、恥ずかしそうな時のお顔は可愛いなんて…。反則じゃないかしら?

 も〜、しゅきしゅき〜♡


 澪桜はまた壊れていた。


*   *   *   *   *   *


 車を走らせて約1時間。

 2人は目的の自然公園に到着した。


「長時間の運転お疲れ様でした。私は何も出来なくて…本当にありがとうございます。あのっ、悠さんの運転する姿…かっこよかったです♡」


 運転中の悠の横顔を思い出し、白い頬を赤くする澪桜は上目遣いで悠の顔を覗く。


 か、かわいい…。

 整った目鼻にグラスリップだろうか。

 艶のある血色の良い唇。

 その上目遣いは反則だろぉ…。

 そして、また来ました。両腕を前でそんなふうに交差させますと、その大きな胸があぁ…

 悠は頭を左右に振り、邪な考えを振り払う。

 

「運転は好きなので、そんな気にしないで下さい!それより、そのかっこいいって…照れますね…。」

「あっ…。その…ごめんなさい、私ったら…」


 公園に到着して、まだ数分。

 すでに2人は激甘な雰囲気になっている。


「あ、そういえば、公園広いですけど、靴大丈夫ですか?多分そこそこ歩くと思いますので。」

「はい!そう思って、ちょっとソール高めですが歩きやすいショートブーツで来ましたので。」


 悠の身長は175センチで澪桜の身長は150センチと25センチの差があるが、澪桜は少しでも背を高く見せようと若干高さのあるブーツを選んだのだ。

 恋する乙女…健気である。


「それなら良かったです。辛くなったら言ってくださいね?」

「はいっ!それじゃあいきましょうか♪」


 澪桜は上機嫌に悠の腕を引っ張る。

 2人は、大きな池の周りを囲むように舗装されたコースを歩いていた。


「はぁー。自然の中を歩くのって気持ちいいですよね。とても癒されて仕事の疲れも吹き飛びますよ。」

「ふふっ。そうですね。晴れていてとても気持ちいいです。」


 木々の隙間から木漏れ日が差し込み、綺麗で艶のある澪桜の黒くシルクのような髪を照らす。


 神々しい……。

 眼福……。

 神秘的な姿と澪桜の笑顔に悠は当てられていた。


 2人は広い芝生の広場に出た。

 広場では、子どもを連れた家族が何組もおり、子ども達は楽しそうに走り回っている。

 時刻は午前11時くらいか。


「悠さん。そろそろお昼にしませんか?私、お弁当を作って来たので…良かったら、召し上がって欲しいなって。」

「え!本当ですか!?綾瀬さんの手作りですか?」

「はい…。その、お口に合うか分かりませんが、その…、悠さんのために作って見ました。」


 悠は喜びに震えていた。

 今までこんなに嬉しいことがあっただろうか?

 昇進した時だってこんなに嬉しいと思わなかった。

 

「本当に嬉しいです!俺、誰かの手作りの料理なんてしばらく食べてなくて、その上、綾瀬さん手作りのお弁当なんて…。凄く楽しみです。」

「それでは、準備しますね♪」


 澪桜は手際よく、レジャーシートを芝生に敷くと、カバンから水筒と弁当箱を取り出す。

 カバンはさぞかし重かっただろう。

 悠は申し訳ないと思ったが、澪桜が頑張って準備してくれたのだからと素直に喜ぶ。


「はい。悠さん。こちらにどうぞお座りください。」


 悠は、澪桜の言うとおり靴を脱いでレジャーシートに座る。

 澪桜は、弁当箱を開けてシートの上に置くと、割り箸を悠に渡す。

 弁当箱の中を見た悠は言葉を失った。


 弁当箱の中には、綺麗な卵焼きにタコさんウインナー、唐揚げ、ほうれん草のおひたし、彩りにミニトマト。

 そして、もう一つの入れ物には、三角や俵型のおにぎりが詰まっていた。

 ふりかけがまぶしてあったり、海苔に巻かれたりととても手間がかかっていることが分かる。


「あ、あの…。全部綾瀬さんが自分で…?」

「は、はい。悠さん嫌いな物はないですか?一応お弁当の定番のおかずを入れて見たのですが。」

「全部大好きなものですよ!凄く美味しそうです。こんなに沢山…時間かかったんじゃないでしょうか?」

「料理は好きですし得意なので全然大丈夫ですよ?いっぱいありますので沢山食べて下さいね?」


 澪桜は最後に、水筒のお茶を紙コップに入れて悠に渡す。

 悠はお茶を受け取り、お弁当をいただくことにした。

 最初に食べるのは唐揚げ。

 割り箸で唐揚げを取り、一口。


「っ!凄く美味しいです!これ、下味から全部やってますよね!?」


 これは冷凍ではない。

 少し濃いめにつけられた下味は冷めても美味しく食べれるように計算されて作られている。


「そうなんです。男性はお肉が好きかなと思いまして。気に入って貰えて嬉しいです。」

「こんなに美味しいご飯食べたの初めてですよ! もう止まらないです。」


 悠は、弁当箱に入ったおかずを満遍なく食べていくが、全てが悠の好みの味付け。

 美味いとしか言えない。

 普段コンビニ飯で済ませているような生活を送る悠にとって澪桜の手作り料理はもう涙が出るくらい美味しく感じた。

 それに、この弁当は澪桜が悠のためだけに作った料理。

 そのことが、料理を余計に美味しく感じさせる。

 マジで、こんな可愛くて優しくて、尽くしてくれる奥さんいたら毎日が幸せなんだろうなぁ。


「ふふ♪そんな急いで食べなくてもお料理は逃げませんよ?はい、お茶も飲んでください。」


 澪桜は美味しそうに食べる悠を見て幸せそうな顔をしながらお茶を手渡す。


 ふふっ。悠さんがこんなに喜んでくれて嬉しいです。

 こんなに喜んでくれるなら、毎日作ってあげたいくらいです。

 私は…あなたの為だけに、あなたのその笑顔を独り占めしたいです…。

 あなただけに尽くしてあげたい…。

 もっと私に甘えて欲しい…。

 澪桜は、悠に対する恋心を加速させていた。


 

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