5話 陰祭
「先輩は
「……真治や太一の家にあったアレでしょ?」
僕は記憶を呼び起こしながら答える。あの、和室に飾られていた逆三角形の顔の土偶みたいなやつだ。
土疼隠とは、国蒔に古くから伝わる信仰の対象だ。木材の支柱に土と粘土を混ぜたものを塗りつけ、膝御折り曲げた人型に整えて焼き付けたものに柊の葉を添えて祀っている。三家を含む古い家にはどこの家庭も置いており、真治や太一の家に遊びに行った時には、その不気味な外観にトラウマを植え付けられたものだ。確か土疼隠以外にも
今では特殊な土着信仰として、市を挙げて名産にしようと取り組んでいるらしい。字面が重々しいということで、
「陰祭では、土疼隠を置いている家から八つを選んで、三家の人たちが朝に回収に行くの。代わりに指原家が作った新しい土疼隠を与えて、古い物は羽廣神社に集めて奉納する。そして、夜になったら奉納された土疼隠を炊き上げて、柔らかくなったところでハンマーで壊して、中の木材を取り出す。それを更に燃やして、灰を境内に埋めれば終わり」
「……めんどくさそうだな」
思わずそんな事を言って、しまったと口を噤む。外様の僕には分からないが、この土地の人なりの信仰があるのだろう。それを面倒の一言で片づけてしまっては失礼だ。
しかし、優子の反応は予想に反してドライなものだった。
「そう、本当に面倒なのよ。一日かけての重労働なのに、手を出していいのは三家の人間だけ。だから大人たちも大変そうだし、口には出さないけど皆嫌がってるわ。うちの親なんて、陰祭を前に太一が婿に来てくれて嬉しいって本人に言っちゃうぐらいだもの」
「うちも、今年は秘祭が有るからシン兄が帰って来るようにお前からも言っとけって、お父さんに言われました。ぶっちゃけ言ってないけど……」
シン兄とは真治の事だ。彼は指原家の長男で、なおかつ若い男子なのだから、太一と並んで力仕事を押し付けられる役だろう。もしかすると、それを嫌がって地元に帰って来ないのかもしれない。
「そういえば、英司君はこのまえ真治とも会ったんだよね。元気にしてた?」
「相変わらずの憎まれ口で、大学でも嫌われてるみたいだよ」
二人は手を叩いて笑い声を上げる。真治はいつも顔色が悪く、健康そうに見えたことがなかった。その事を誤魔化すための冗談だったが、案外ウケたみたいだ。
「シン兄っぽいですね」
「真治も悪いヤツじゃないんだけど、誰に対しても偉そうだから誤解されるんだよな」
「ええ? 真治は悪い奴よね。だって私たちみたいな悪ガキのリーダー格なんだから」
優子はそう言ってビールをあおる。
「えっ、もしかして優子は自分が悪者だって自覚はあったの? というか、さり気なく僕や美麻ちゃんや風ちゃんを巻き込んだよな?」
この前の真治もそうだが、二人とも自分が正しいと信じて疑わないタイプに人間だと思っていたから、優子が自分たちを悪ガキと評した事が意外だった。
「……英二君も大概だと思うし、美麻なんて最悪でしょ。庇えるとしたら、風ちゃんだけじゃない?」
色々とツッコミたい事を優子が言う。しかし、言葉を返す前に僕と優子の携帯端末が同時に鳴った。
端末を確認すると、美麻ちゃんからのメールだった。中身は簡潔なものだ。
『今日、山に行くことになったから。皆にはよろしくお伝えください』
僕は山の部分には触れずに、『こっちにいる間にまた会おうね』とだけ返した。
対して優子には電話がかかって来たらしい。一言二言で切っていたが、馴れ馴れしい口調から相手は太一だろう。
「アイツ、もうすぐ着くみたい。五分経ったらビール頼んでおいてってさ」
そう言いながら優子はタッチパネルの端末を操作する。さり気なく、自分の分も追加していた。
「そっか。美麻ちゃんは来れなくなったって」
「えぇー! 残念です……」
風ちゃんが肩を落とす。優子の指示だったとはいえ、美麻ちゃんも彼女の支えになろうとしていたのだ。この反応は不思議ではない。
「美麻ねぇ……どうせあの子の事だし、私達に会うのが面倒になったんでしょ?」
「どうなんだろう? なんか山に行くって行ってたけど……」
思わず言ってしまった僕の言葉に、二人は神妙な顔で黙り込む。
「まあ、来れないものは仕方ないよ。僕らは僕らで飲もう?」
「まあ、そうよね」
本日二回目の妙な空気に皆が黙り込む。僕は迂闊に山の話をしてしまった事を後悔する。
やがて優子が注文したビールが運ばれてくる。店員に会釈を返すと、その後ろから待ち人が顔を覗かせる。
「なんだ、通夜でもやってるのか?」
部活に入っていた経験は無いはずだが、ラグビー部を思わせるがっちりとした体つきに、スーツ姿。目つきが鋭く、その体格も合わさって初対面では思わず萎縮してしまいそうな圧力を感じさせる。しかし、ネクタイの柄が可愛らしい河童の刺繍だったり、笑みを浮かべると笑窪ができたりと、どこか憎めない愛嬌を持ち合わせたこの男こそ、僕らの幼なじみの一人である
「遅いぞ!」
旦那の登場に優子は顔をほころばせる。
「久しぶりだね、結婚おめでとう」
「お、ありがとよ!」
僕と太一がグラスをぶつけ合う。優子はそれを見て得意げな表情だ。
「仕事の方はどうなのさ?」
「流石に三年目ともなれば、嫌でも慣れるもんだ。頼りない嫁に代わって稼がなきゃならねえし」
「ちょっと、どういう事よ!」
二人が小突き合う様を見て、羨ましさと尊敬の入り混じった感情が込み上げる。昔からの仲間が、仕事をして家庭を築き、そして関係は良好らしい。友人としてこれほど嬉しいことはない。いつか自分もそんな相手と巡り会えるのだろうか?
「それで、皆して暗い顔で何話してたんだ?」
ビールを半分ほど飲み干して、太一は聞く。
「ああ、美麻ちゃんが来れなくなったって話だよ」
「……山に行くんだってさ」
「ちょっと、ユウ姉!」
風ちゃんの制止で皆が黙る。僕らにとって、美麻ちゃんの言う山という言葉は非常に扱いの難しい話なのだ。
「……また山か。一体山って何なんだろうな?」
誰にとなく呟く太一に誰も切り込むことができない。押し黙って各々がグラスをあおる。どうして人は居たたまれなくなるとグラスを手に取るのだろう?
空腹の胃に飲み慣れないビールを流し込んだせいか、普段よりもアルコールの巡りが良い気がする。
「ねえ、風ちゃんと優子は本当に知らないの?」
僕はアルコールの力を借りて、昔から気になっていた事を尋ねる。この町を牛耳る三家の人間ならば、彼女の狂言に繋がる何かを知っているのではないか。
僅かな沈黙の後、優子がおもむろに口を開く。
「知らないわよ」
冷たく放たれた言葉に、どこか安堵したのもつかの間。彼女は言葉を続ける。
「でも……真治のお姉様なら、知ってるでしょうね」
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