利用し合う関係


―――


 永禄9年(1566年)10月、信長一行は約半年振りに岐阜城に戻ってきた。

 早速秀吉と可成、そして越前から帰ってきた勝家を大広間に呼び、更に先に戻っていた蘭も呼んだ。


「お疲れ様でした。」

「あぁ。」

「秀吉さんから聞きました。本圀寺での事。大変だったみたいですね。」

 蘭がそう切り出すと信長はわざとらしく大きなため息を吐いた。

「全くだ。しかし家康のお陰で事なきを得た。あのまま帰っていたらと思うと肝が冷えるな。」

 そう言うと『はっはっは!』と明るく笑う。家康の力の事を知らない勝家と可成は首を傾げながらも、曖昧に相槌を打った。


「ところで帰蝶はどうした?呼んだはずだが。」

「え……っと、ちょっと具合が悪いみたいで寝込んでます。すみません……」

「ふんっ!どうせ俺が三好を全滅させたのが気に入らないだけだろう。あいつに言っておけ。俺のする事に一々腹を立ててたら身が持たないぞってな。」

「はい……」

 蘭が小さく頷くと信長は帯から扇子を抜いてパッと開いた。


 三好一族及び関係者を女、子ども関係なく惨殺した事はすぐに蘭と蝶子の耳に入った。流石に驚いた蘭だったが、信長が以前冷酷非道になると宣言した事。そしてそれに対して覚悟は出来ていると言った自分を思い出してぐっと感情を押し殺した。

 だが蝶子の方はそうはいかなかったようで、話を聞いたその日から機嫌が悪いのだった。


「それで義昭様は今どちらに?」

 可成が心配そうな顔で言う。全員が気になっていた事だったので一瞬場は静まり返った。

「二条に御所を作らせた。警備は光秀に任せてあるから心配いらん。」

「そうですか。」

 信長の返事を聞いて一斉に胸を撫で下ろした。


「しかしこのご時世、何が起きるかわからん。だがわからんからと言って何もしない訳にはいかない。義昭には室町幕府第14代将軍としてこの国の頂点に君臨してもらわないと困るのだ。その為に俺は俺のやるべき事をやる。勝家。」

「はっ!」

「戻ったばかりで悪いが、また越前に行ってくれ。」

「承知いたしました!」

 言うが早いか、勝家は大声で返事をすると仕度をしに大広間から出ていった。


「可成には伊勢の北畠と神戸の動向を頼みたい。」

「北畠と神戸、ですか。」

「あぁ。考えてる事があるのだ。出来るな?」

「勿論でございます。いつからに致しましょう?」

「そうだな……早い方がいい。」

「では明後日には発つようにします。私も仕度をしますので今日はこれで。」

「逐一報告しろ。」

「はい。」

 短く答えて頭を下げると、可成も部屋を出ていった。


「あの~……考えてる事って?」

「今は詳しい事は言えない。だが織田家にとって重要な案件である事は確かだ。」

「そうですか……」

「それより義昭の事で気になる事がある。この前立政寺で会った時、あいつの心を読んだのだが。」

「え?『心眼』の力を使ったんですか?」

 蘭はビックリして声を上げた。

「念のためにと思ってな。そうしたら奴の本心がわかった。あいつは俺の事を利用するつもりだ。」

「利用……?」

 今まで黙っていた秀吉が思わずといった様子で呟く。信長は秀吉の方を向くと自嘲気味に笑った。


「上洛して将軍にしてもらうのなら誰でも良かったんだと。まぁ俺も人の事は言えないがな。天下統一の為に将軍様の権威を利用しようとしている。」

「だけど!誰でも良かっただなんて酷いですよ……」

 蘭が悲痛な声でそう言うと、秀吉も口を開いた。


「信長様の協力のお陰で将軍になれたのだし、本圀寺で死なずに済んだ。きっと今は感謝していますよ。」

「だといいがな。あいつは物わかりもよく、温厚な人間に見えるが腹の中はどす黒かった。頭が固くて面倒くさい奴の方がまだ話のしようがある。本圀寺の件で俺の株は上がっただろうが、これだけで俺の言う事を聞くようになるとは到底思えぬ。」

「では、どうすれば……?」

「義昭に殿中御掟を出す。」

「殿中……御掟?」

「将軍の権力を制限する掟だ。例えば、御所に用がある際は俺の許可を得ること。それ以外は何人も御所に近づくことは禁止。将軍への直訴も禁止。専門の知識を有する者、僧や陰陽師や医者などは余計な事を吹き込む危険があるからみだりに殿中に入ってはいけない。などと書いたものを送りつける。」

「そんな事していいんですか?義昭様、怒っちゃうんじゃ……」

「大丈夫だ、蘭丸。先程も言っただろう。義昭は俺の事をとことん利用するつもりだ。ここで俺を捨てたところで今のあいつには誰もついてこない。朝倉も上杉も武田もな。どうせ俺に頼るしか道はないのさ。」

「ほぇ~……なるほど。」

 間抜けな声を出す蘭丸をニヤニヤした目で見ると、信長は秀吉に向かって言った。


「サルには堺に行ってもらう。あそこは三好の管轄だったがこれからは俺の支配下になる。無駄な抵抗を続けているが必ず説き伏せろ。いいな?」

「任せて下さい。」

「あの~……俺は何をすればいいですか?」

「蘭丸はそうだな……帰蝶のご機嫌取りでもしてろ。」

「……え?」

 真面目な顔でそう言われた蘭はポカンとした顔で固まる。すると信長は扇子をひらひらさせながら笑った。


「冗談だ。お前には奇妙丸の世話を頼む。可成の代わりに稽古の相手をしろ。」

「でも俺、強くないですけど……」

「安心しろ。今の奇妙丸はお前より腕がいい。ただ剣を受ける役をやればいいだけだ。」

「…………」

 皮肉たっぷりに言われて、蘭は思い切り口を尖らせた。



―――


 永禄10年(1567年)、秀吉の努力のお陰で堺の商人達を配下に置いた信長は、尾張・美濃の他に和泉国や摂津国を手に入れた。


 将軍・義昭に出した殿中御掟9ヵ条はすんなり受け入れられ、信長と義昭の関係は表向きは良好であった。



 一方こうした信長の活躍を聞いた甲斐の武田信玄がついに重い腰を上げたという噂が上杉、そして朝倉の耳に入った事で信長包囲網がじわじわと信長を取り囲む事になっていった。



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