異文化交流と少しの不穏
楠さんがセールストークこそ強引なものの、化粧品の説明に関しては丁寧だった。昔っぽい化粧をしているのも、単純にキャラづくりなんだろうか。
「高校生は新陳代謝が活発だから、あんまり分厚く塗らなくってもいいけど、せめて日焼け止めと化粧水、乳液には気を配ったほうがいいわね」
そう言いながら試供品を用意してくれる。
クラスの子たちで化粧が上手い子たちはいても、私はいまいちピンと来ない。
「ええっと、化粧水と乳液の違いは? どっちかだけじゃ駄目なんですか?」
「あー……まず顔を洗った直後は、皮膚はバリアができてない無防備な状態なのね。だから顔を洗った直後はすぐに化粧水をはたく。そして皮膚に水分が浸透したところで乳液で蓋をするの。これで、皮膚にバリアができて、ニキビなんかもできにくい肌になっていくのね」
「なるほど……」
いつも普通に顔を洗って化粧水をはたくくらいはしていたけれど、順番や意味については考えたこともなかった。
楠さんの口調はかなり滑らかだ。
「もうちょっと乾燥肌だったり、敏感肌だったりした場合は乳液を塗る前に美容液を塗るところなんだけれど、見た感じ高校生平均の混合肌だから、美容液を使わずに、乳液を塗り終わってそれでも乾燥する場所にクリームを塗り立つって使い方のほうがいいわね。肌のケアが終わったら、日焼け止めを塗ってね。本当なら汗をかいたらすぐに重ね塗りして欲しいところだけれど、学校生活があったらそんなに簡単に日焼け止めを塗り足したりできないだろうから、家に帰ったらすぐ顔を洗って皮膚を綺麗にすることを心掛けてね」
「わかりました……」
「そして化粧なんだけど……本当は下地を塗って、パウダーをはたいてとかやりたいところだけれど、高校生の肌の質感を生かしたいから、あんまり肌をつくるって感じじゃなく、付け足すって感じかしら」
そう言いながら出してくれたのは、BBクリームと書かれていた。
「これは化粧水をして、乳液、日焼け止めを塗ったあとに塗るクリームで。これだけで下地の代わりになるから。最近はBBクリームの中にも既に日焼け止め成分が入っているものもあるから、もし化粧の手順を省略したいんだったら、日焼け止め成分の入っているものを使うといいの」
「はあ……もっとファンデーションとか塗ったりするのかと思ってましたけど、違うんですねえ」
「化粧するのを嫌がるようになったら、化粧しなくなるからねえ。最初は楽しいって思わないと、なんでも楽しくならないから」
そう言いながら私の手の甲に真珠サイズのBBクリームを落としてくれた。言われたように指の甲を使って肌に塗ってみる。ちょっとだけ肌色がよくなったような気がした。
「おお……」
「やっぱり高校生は肌つやが違うわねえ。こういうのはきちんと生かさないと」
「ありがとうございます……あ、これって下地ですよね? 口は……」
「ここが大人や妖怪だったら、口紅の一本や二本勧めるところだけれど、唇って結構デリケートなのよ。まだ口紅を塗るよりも、色付きのリップクリーム塗っておいたほうが健康的に見えるわね。慣れてない内は使い切れずに口紅を駄目にしちゃうこと多いから、使い切れる色付きリップクリームからスタートしたほうがいいわよ」
「口紅って駄目になるものだったんですか?」
「基本的にクレヨンの匂いしてるものは、既に口紅が酸化してるから、それ以上の使用は肌に悪いわよ」
そう言いながら、私に選んでくれた化粧品を差し出すと、電卓をたたきはじめた。
「はい、お値段これくらい」
「あれ?」
てっきり化粧品のスターターセットだから、もっと高いと思ったのに、楠さんが提示した値段は、はっきり言ってドラッグストアに買い物に行ったら使う程度のお金だった。
「あの……安過ぎないですか?」
私が思わずそうつっこむと、私の化粧講座を眺めていた野平さんがトントンと私の肩を叩いてきた。
「楠さん、初心者には世話を焼いてくれて、化粧品も安く提供してくれるんですよ。昔から優しい方ですから」
「そ、そうなんですか……?」
私が楠さんのほうを振り返ると、楠さんは手をひらひらとさせた。
「やーねー。セールスレディって信用商売なのよ? どう見てもまだ自力で稼げない子の足元を見て商売してたんじゃ、あこぎなねずみ講と変わらないじゃない。それに、半分以上は試供品なんだから。もうちょっと本格的な化粧がしたくなったらまた相談してちょうだいね」
「あの、ありがとうございます……」
私はいそいそと支払うと、楠さんはそれを受け取ってくれた。
「まあ、私ポマードさえ売ってと言われない限りはいつでも来るから。それじゃあね」
そのまま颯爽と去っていき、私たちは見送った。
私は「ポマード?」と首を捻る。それには更科さんが教えてくれた。
「ポマードは、整髪料、ですね。口裂け女は、ポマードが苦手、なんですよ……」
「はあ、なるほどぉ。でも、楠さん、妖怪相手に商売やってて、生活できるんですか? 私が知っている限り、そんなにたくさんいないような気がしたんですけど」
「そんなことは、ない、ですねえ」
更科さんは自嘲気味に笑う。
「私なんて、ぜ、んぜん成仏、できないでここにいま、すし。大妖怪は基本的につるまないんですけど、私たちみたいな中途半端なのは、皆で連れ添って隠れ住んで、ますし……楠さんはそういう隠れ住んでる妖怪のところ、相手に商売してます、から」
「そうだったんですか……」
どうにもあやかし世界というのも大変らしい。
うちみたいに、たまたま山神の日吉さんがおじいちゃんおばあちゃんに申し出て住み込み出し、大妖怪のはずの天狗の扇さんが店子をしているというのは奇跡の賜物なんだろう。
そうしんみりしていて、手持ちの電灯に気付いた。
「あ、夕方になる前に電灯付けないと」
「あら、たしかに暗くなる前に付けなかったら、家の中が真っ暗になって人間は怖いかもしれませんねえ」
野平さんが「更科さん、三葉さん家の電灯見てあげてください」と言ってくれたので、私は更科さんに頼んで電灯をつけてもらった。
そういえば、と思って尋ねてみた。
「前に扇さん家に行ったときは普通に家具がありましたけど……他の店子さんも家を明るくしたりしてるんですか? 電灯いるのかなあと気になりまして」
そう尋ねたら、更科さんはにこっと笑った。
「ひとに、寄りますね……私は電灯、なくてもかまわないんですが、商売やってる野平さんは電灯ないと商品の色に影響ありますし、扇さんもお仕事困りますから」
「なるほど……」
この辺りは別に、大家は関与しなくってもいいのかな。
ひとまず私はそう納得することにした。
****
夜になり、私は残り物のお惣菜にハムエッグに味噌汁を食べていた。
そろそろ肉か魚を買ってきたほうがいいんだろうけど、独り暮らしって本当に物が高くつくなあ。
私はそう思いながら、お風呂の残り湯で洗濯物を洗っていると。
雨戸越しにまたもなにやら賑やかな音が響いた。
百鬼夜行ってどういうタイミングでやっているのか、そういえば聞いてなかったなあと今更思い至った。
これは日吉さんに聞けばいいのかな。今度のおばあちゃんのお見舞いのときにでも聞けばいいのかな。
そうひとりで考えながら、再び洗濯に戻っていたら。
「きゃあ!」
ひとの叫び声が聞こえた。
えっ、ちょっとなに。私は思わず玄関まで走って行って、扉に耳をくっつけた。
さすがに私も、周りから「百鬼夜行中は開けるな」と言われた以上、それらに関与しないほうがいいだろうから飛び込むつもりはない。でも……。
誰かが叫び、その途端にあれだけ賑やかだった音が散り散りになっていく。
「なにこれ……」
今日は日吉さんがいないんだろうか。それともなにか問題があったんだろうか。
大妖怪のこととか、神様のこととか、私にはどうしようもないけれど。
もしまほろば荘の面々になにかあったら、私はどうしたらいいんだろう。
結局私は、明日にでも日吉さんに相談しようとだけ心に決め、今日のところは洗濯が終わったら眠ることにした。
夜がやけに長く感じた。
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