第50話  髪の白い女の子

 ある独り身の女がいた。彼女の一日は決まりきっている。朝早く起きると煙草を吸い、文鳥の世話をして、部屋を掃除する。それと近所の成城石井に食料を買いに行くこと。長い間ひとりだったが、特に孤独というわけではなかった。

 12月も半ばを過ぎていて、ブラインドの隙間から見える外は雪が降っていた。昨日からちらつきはじめた白いものが、いまは燦燦と降っていた。夜に彼女は、牡蠣のオイル漬けとトマトスープという簡単な食事をすませたあと、近所の映画館に行こうと思った。昔、何年も前に死んだ旦那といっしょに見た『天井桟敷の人々』という映画だ。彼女はジャンパーを着込んで外に出た。雪が、街を無音にし、通る車の音さえ塗り込めていた。横を歩く人々は皆、よそよそしげに下を向いて歩いていった。

 映画館の切符売り場は、行列が出来ていた。並んでいる声の中から、これは時間がかかりそうだという嘆息のようなものが漏れた。彼女は最後尾で、レモンドロップを舐めていた。彼女は気づいたのだが、目の前に二人の女の子が並んでいた。可愛らしい茸みたいなボブの髪はふたりとも、白子のようなシルバーホワイトで、目が青い。スカートは青く、セーターは赤かった。すると、女の子の片方が声をかけた。「おばさん、お願いがあるの。わたし、この子の姉なんだけど、トイレ行きたくなっちゃった。すぐ行ってくるから、わたしの分のチケット買ってくれない?」「あらあら」と彼女は言った。「じゃあお願い」と言うと、女の子は妹を残して駅のほうへ列から走り去った。「レモンドロップ舐める?」と女が言うと、妹は不安そうに頷いた。

 映画がはじまった。戦争映画の予告が激しい爆発音を鳴り響かせ、女の子は彼女の手を握った。不安そうだった。姉は映画が終わるまで戻ってこなかった。

 女の子に訊ねると、姉は映画が嫌いだから、家に帰ったと言った。じゃあひとりでお家に帰れるわね?と女は言って、レモンドロップを5つつわたして、アパートに帰ることにした。

 顔にコールドクリームを塗り、湯たんぽを足で弄んでいると、玄関のベルが鳴った。

「いま出ますよ、ちょっと、そんなに何回も鳴らさないで下さい」

 ドアを開けると、あの女の子がいた。悪戯っぽく笑いながら「さっきはごめんなさい」と言った。なんで彼女のアパートの所在がわかったのかは理解しかねるが、姉のほうがチケットの代金を返しに来た。

 「おばさん、さっきは妹を見守ってくれてほんとうにありがとう。それにお金返さなきゃ。ああほんとうに寒いわ。中に入れてくれない?ちょっとお腹も空いてるわ」

「もうこんな時間なのよ......」

彼女が言う間もなく、女の子は部屋に入っていた。

 しかたなく、女は台所で食パンにマーマレードを塗った。それと牛乳を出した。女の子はムシャムシャと、床まで届かない足を揺らしながら食べた。

 「わたしは甘いものって大好き。おばさんも好きよ。あとケーキはないの?さくらんぼとか」

女は苛つきながら言った「食べたらもう帰るのよ.....お母さんが待っているでしょ?こんな時間にはもう来ちゃ駄目よ.....」

「わかったわ」と言って、女の子は雪のなかを帰って行った。



――――――――――――――――――――――



 女はその夜、見たこともないような悪夢に唸らされ、よく眠れなかった。女の子のことが忘れようにも忘れられなかったのだ。

 その日は近所の図書館に行った。料理雑誌を数冊借りて、家に帰る途中、誰かがうしろをついてきているような感覚があった。彼女は気づいたのだが、確かに図書館で、わたしのことをじろじろ見ている色の浅黒い男がいたのだ。川から吹きつける雪まじりの風に耐えながら、彼女は不気味だと思い、足早にアパートに帰った。

 夜になり、籠の中の文鳥に餌をあげていると、玄関のベルが鳴った。「はあい」と彼女は言った。ドアを開けると、昨日の女の子がいた。それも二人も.....

 あなたたち何しに来たの?と苛つきながら彼女は訊ねると、おばさんの家に遊びに来たんじゃない、と姉が言った。

 妹がソファーに座り、姉は「この花きれいね」とテーブルの上のパンジーを触り始めた。女は、洗面所に行って水を飲んだ。良くない動悸がたしかにしているし、鏡の中の顔は目の下にクマができている。洗面所から出て、女の子に言った「あなたたちすぐに帰りなさい!ここはわたしの家よ!」

 と、姉のほうが、パンジーの生けられた花瓶を持っていた。両手を離し、床に花瓶が落ちた.....


 と、そこで女は夢から覚めた。全身に冷や汗をかいていた。たしかにそれが夢だったことを確認し、震える手でサイドテーブルの上にある煙草に火を点けた。5分にくらい煙をくゆらせていると、玄関のベルが鳴った。夢ではなかった。

 ドアを開けると、二人の女の子がいた。


「今日も来ちゃったの。だっておばさんの家、居心地がいいんだもの」


 女は泣きながら、隣の部屋のベルを鳴らした。「ちょっと、助けて下さい!お願いします!またあの女の子が.......」


 女の隣りの部屋は、若い夫婦が住んでいて、もう眠りに就くところだった。旦那が玄関まで行くと、女はコンクリートにしゃがんで、泣き崩れていた。


 「あの女の子が....また来たんです....」



 若い夫婦は、二人で隣りの部屋に行ってみたが、どこをくまなく探してもそんな二人の女の子は存在しなかった。後で大家が警察に連絡したが、女はただ泣き崩れているばかりだった。ただ彼女が理解したことは、自分はあの女の子たちに邪魔をされたとしても、孤独がどうしようもなく染み付いてとれなくなっているという事実だけだった。



      ―――――カポーティを練習台に

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