目覚めの木漏れ日

第5話

 志希は重力を感じていた。地面から強く引っ張られて頭が低く下がり慌てて顔を上げるものの、またすぐに強く引っ張られる。

 今日から始まった通常授業。

 今までの経験上、授業中であれば無視しがたい眠気に襲われ机に頭を押し付けることはあるが今は放課後。それも校舎を出て歩いているところだ。

 これはポジティブが取柄の志希にとっては珍しいことだった。珍しい分どう対処したらいいのか分からないのが問題でもある。

「友達作りってこんなに難しいもんやっけ」

 頭をなんとか持ち上げ、それでも気分は落ち込んだまま拗ねたように思いを口に出す。なにもかもが空回りだ。


 昨日、入寮式よりも前に行われた悠里の予言は的中し志希のルームメイトは悠里、棗、千景、樹。そしてここがどうにもうまくいかない。

 悠里は初日のホームルームに一度顔を見せ、今朝起こしてくれた時以降フードを被っている。

 棗はずっと不機嫌そうで誰とも関わろうとしない。朝一の機嫌が一番悪そうだったのは志希の気のせいではないだろう。志希と同じで朝に弱いのだ。

 千景は相変わらず女の子とばかり一緒にいてルームメイトには見向きもしない。

 樹も真面目な堅物のまま意地を張っているようにしか見えないが、特に千景と志希を徹底的に避けている。喧嘩したのは千景なので志希はとばっちりだと思った。


 ルームメイトだけではない。志希は昔から大人に嫌われる子どもだった。言うことを聞かないしやかましい。そして、だからこそ同年代からは人気があった。

 新しい環境、新しい集団で生活を始めるとき、まず大人に嫌われることは志希に染み付いた習慣だった。

 しかしそれがどうにもうまくいかない。恐らくそういう態度のせいで樹には嫌われたのかもしれない。樹だけではない。他の学生にも決して受けがいいとは思えなかった。


 なんとなくノリというか、纏う空気が違うのだ。不良っぽい学生はいるが悪餓鬼というタイプはいないように思う。

 困った。

 なにしろ今までそうやって友達関係を築いてきたものだから、それが通用しないとなると友達の作り方がさっぱり分からない。

 初日のホームルームでも友達百人作ることが目標だとしっかり意思表示したというのに。

 ふむ、しかし、困った。




 ふと視界の隅に白いものを捉えた志希の頭が上がる。何かが動いた気がした。志希からは帝祥荘の側面の壁が見えていたが、そこを横に滑るように動いたそれは草むらに隠れてすぐに見えなくなった。

 反射的に駆け出して帝祥荘の側面と草むらの間の細い道に入る。ひらり、と一瞬見えた長い尻尾は奥の角を曲がって消えてしまった。

 --猫や

 考えると同時に志希は走り出す。猫らしきものが角を曲がってすぐのところで止まっていることも考えて、できるだけ速くできるだけ静かに。


 しかし角を曲がってすぐ目に入ったのは猫ではなく少年と少女。あまりに突然のことに、猫が変身したのかと思ったほどだった。お互いの鼻と鼻がくっつきそうに近い距離で固まったまま視線だけをちらりと志希に向けているのは、壁を背に立つ千景。

 一瞬遅れて少女がその視線を追うように志希に振り向いた。うまくいっていないルームメイトの一人である千景のキス現場--事前か事後かは分からないが、それを見てしまった志希はまずい、と青ざめた。

 この近距離、しかも千景もこちらを認識している状態でこの場からどう逃げたらいいのか分からない。先に動いたのは少女だった。

 あ、と驚いた顔のまま後ずさり一言も話さずに志希の横を通ってこの場を走り去っていく。とても心地の悪い空気が残された二人を包む。白い生き物はどこにも見当たらなかった。


 志希はその空気をなんとか打ち破ろうと、あー、とか、えーっと、と歯切れの悪い音を口に出した。

「なんか邪魔したみたいで悪かったな」

 少しぼそぼそと口ごもりながらも悪気はなかったとはいえ悪かったことは謝らなければ、と志希はぺこりと頭を下げる。あの子にも悪かったって伝えといて、と続けながらあの少女が誰だったかを思い出そうとする。

 同じクラスだったのは確かだ。入学式の日に棗に話しかけていたし寮の歓迎会でもいたのを志希は覚えていた。しかし、名前はなんだっけか。


「気にすんな、むしろ助かった」

 言った千景はうっとおしかったとでも言いたげにふうとため息をついた。は、と志希はそんな千景に鋭い視線を向ける。

 千景は女をとっかえひっかえしそうな印象があった。

「あかんで、そんなん。好きでもない女の子とこういうのは、あかん」

 とっさに志希の口をついて出たのはそんな説教のような言葉。聞いた千景はきょとんとした顔で志希を見た。と、すぐにニヤニヤした表情を浮かべる。

「やっぱお前はそういうやつなんだな」

 言ってなるほど納得と頷く。こんな説教に素直に反省しないのは当然として、否定するでも言い返すでもなく勝手に何かを納得している。

「そういうやつってなんやねん」

 少し喧嘩腰になってしまったかもしれない、と思いつつも後に引けない志希。ああ違う。こういう雰囲気になりたいのではなくてただ普通に友達になりたいだけなのだ。

「本気で好きになった人としか付き合わない、みたいな」

 おどけたように言う千景に志希は一瞬聞き間違えたかと思ったが、千景の表情がまだニヤニヤしているので聞き間違いではないと悟る。

「あたりまえやん」

 何を言っているんだこいつは、という意味を込めて力強く言う。

「彼女いたことないだろ」

「悪いか」

「いや、いいんじゃね」

 てっきり馬鹿にされると思ったが千景は軽いノリで言うと先程の少女と同じ道を通って去ろうとする。志希も我に返り携帯で時間を確認すると急ぎ足で千景の後を追った。


「そういやさっきの子、誰やっけ」

 千景はそう聞いた志希に驚いた顔で振り返った。

「女の子の名前くらい覚えとけよ」

 呆れたように言う。女子だけ、と聞くと野郎のなんか覚えなくていいだろ、と一蹴された。

「たかなし、ゆかりこ」

 会話の続きだったので聞き逃すところだった。志希は自分が尋ねたことも忘れて何がと聞きそうになったが、寸でで止まる。先程の少女の名前だ。

「そんな子いたっけ」

 聞くと、

「読めなかったんじゃね」

 と千景。

「小さい鳥が遊ぶ、で小鳥遊。紫の子で紫子」

 そうや、おった、と志希は思い出す。クラスメイトの名前をざっと確認した時に読めない名前だと思って読み飛ばした名前だ。だから自己紹介を聞いても結びつかなかったのだ。


 特に関わったこともない志希はそういえばおるな、と返す。あとは読めんかったなー、そう読むんかー、などという志希の抜けた感想だけが独り言のように続いた。

 帝祥荘の正面側に戻るとそのまま中に入るのだろうと予想した千景が立ち止まり、背中にぶつかった志希は何事かと千景の横に並ぶ。

「どこ行ってたのよ、志希」

 ふわふわと髪をなびかせる葵と、パーマがかかった蜂蜜色ミディアムヘアーの胡桃がいた。

 悪い悪いと謝りながら二人に近づく志希に胡桃は優しく微笑みながら

「志希くん、椎名くんと仲良くなったんだね」

 と言う。志希が胡桃の視線を追うと、先程から違和感を覚えていた理由が容易に分かる。

 千景が、がしりと志希の腕をつかんでいるではないか。なんやこれ、と視線で問いかけるが千景は応えず逆に引き寄せて志希の首に腕をまわすと

「そうそう、仲良くなったんだ。な、志希」

 などと言う。

 何言ってんねん、とツッコミかけた志希ではあるがそこに突き刺さるのは、よかったねー、というきらきらした胡桃の視線。

 信じ切っている。今さら、嘘だ、と言うこともできない。志希は訳が分からず、しかし千景も仲良くなりたかったのだと嬉しく思いながらおとなしく頷くことにしたのだ。

「だから、おれたちも仲良くなろうな」

 言って葵と胡桃に近づく千景の後ろ姿を見て志希はやっと気づいた。こいつ、葵と胡桃と仲良くなるためにオレを利用しよった、と。




 葵は初日のホームルームの時からずっと、気が付けば悠里を目で追っていた。彼はほとんどいつもフードを被ってはいるが顔を隠すためというよりは癖のようなもので教師から注意を受けた時は外す。その時だけではあるが。

 どうしても目を引くそれに、他の多くの学生と同じにように葵もまた引き寄せられるようだった。志希とは仲良くなってきたしその志希が打ち解けたらしい千景とも昨日は一緒に勉強した。しかしそのルームメイトたちとはまだまだだ。

 しかし葵は悠里とも仲良くなりたかった。同じクラス、同じ寮。仲良くなるための時間はたくさんある。葵の中で、どこかわくわくとした気持ちが大きく膨らんでいた。


 葵は手にしている教科書をぎゅっと胸に抱えこむと、ふふ、と笑顔をこぼした。移動教室のために廊下へと向かう。

 がたり、と勢い良く椅子が引かれる音が響いた。

 教室を出ようとしていた葵は、なんだろう、と半歩戻る。後ろの梓はすでに立ち止まっていた。

「だから教師でもないお前に言われる筋合いねえよ」

 千景が唸るように言った。先ほどの椅子の音は千景が勢い良く立ち上がったせいだろう。

「こんなこと教師だなんだ関係ないだろ」

 樹も引いていない。

 いつもへらへらしている千景の冷たい表情も、真面目が服を着たような樹の強気な態度も葵たちは初めて見た。

 出会ってまだ数日。知らないことだらけだし初めてのことだらけだ。それでも予想外だった。


 千景は女の子といることが多くていつも優しい笑顔を浮かべている。落ち着いているというか大人っぽくて、それでいて人懐こいから犬のようだ。

 こんな風に苛立ちを纏った冷たい雰囲気など想像したこともなかった。

 それに対して樹は真面目一色。いつも一人で本を読んでいるところしか知らない。それと棗に対してのへりくだった態度。

 ほとんどみんなが、樹は自分の意見など言えないタイプだろうと思ったはずだ。それが千景に向かって怯むことなく睨みつけている。


 教室の中にはまだ移動していない半分ほどの学生が残っている。驚き、誰もが声を発さずに息を潜めている。

 厄介事は遠慮したいとばかりにそそくさと出て行く者たちもいる。どうしよう、どうしたらいいだろう、とおろおろしている人もいる。

 それを見ながら梓は静かにため息をつく。睨み合う二人に、ではない。

 一連の出来事に、まだ自分の席で本を読んでいた棗は眉すら動かさない。視線すらよこさない。

 一方の悠里は机に突っ伏して眠っているようだ。移動教室を忘れているのかもしれない。


 と、その悠里がむくりと上体を起こした。ふわ、とあくびをして黒板の上の時計を見る。がたりと音を立てて立ち上がり、教科書の類を手にして無言で教室を出て行った。

 悠里は千景と樹の言い争いに何の反応も示さなかった。にもかかわらず千景と樹は出て行った悠里をしっかり目で追う。

 千景は少し苛つきを残しながらも罰の悪いような顔をした。樹ははっと目を見開き恥ずかしそうな顔をした。

 結局、残りのみんなも一言も発さずに教室を出たのだった。廊下を歩きながら葵が一言。

「無関心って怖いわね」

 葵も梓と同じ気持ちであったようだ。

「確かに難しそうやな」

 理紅は手洗いに行っている志希のことを考えながら言った。


 放課後、帝祥荘の図書館でしばらく勉強をしていた樹がそこを出るとオープンカフェで千景たちを見かけた。志希と葵と胡桃と一緒だ。彼らは試験の勉強をしている。

 今日の言い合いを思い出し、樹はすぐに目を逸らした。分かってはいたがつい服装の注意などしてしまった。言うんじゃなかったと今は後悔している。

 明日は新入生歓迎会が予定されている。そして休み明けは新入生試験だ。樹としては新入生歓迎会なんていらないから試験勉強をさせてくれと言いたいところ。しかしそうも言ってはいられない。樹は勉強道具を抱え直すと食堂に向かった。


 集団生活において強い者と弱い者に分かれるのは息をするほど当たり前のことなのかもしれない。樹はそう思う。

「おい、どけよ」

 食堂の入り口で急に後ろからかけられた声に樹はびくりとした。彰の取り巻きたちがにやにやと仁王立ちしている。

 ぼくがどかないと通れないほど太っているのか、とは口が裂けても言えない。なるべく波風を立てないよう樹はおとなしく道を開けた。

「がまん、がまん」

 自らに言い聞かせるように樹は呟いた。考えるだけ無駄なことは考えない方がいい。そんなことをするくらいなら勉強をしている方がよっぽど建設的だ。だから樹は基本的に自分の意見を主張したりしない。それなのになぜだろうか。なぜだか千景には意見を言ってしまう。放っておけばいいものを。

 さっさと食べて学習室に戻ろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る