第3話 帰ったらハルヒ読もう
「──というわけや。大変な時期やけど、仲良くやってこうな」
翌日、何食わぬ顔で美波さんは戻ってきた。
なぜ消えたのかと聞いても「知りません」の一点張りで当人しか知りようのない真実が迷宮入りだ。
ま、機嫌を損ねて帰ってしまったとかじゃなさそうだし、シリアスになる必要もないだろう。
「この時期に入ってくるやつなんざどうせ半端なやつだぜ? 何で助けてやったんだ」
「……困ってたらサポートするだろ」
「はは、きっしょ」
部活が始まる直前、共に競い合うライバルである
こいつは美波さんのことを快く思ってはいないみたいだ。
うちは県内ベスト4常連で、決して弱くはなく上位の選手はみんなモチベが高い。
男女共用のトラックで同じメニューをこなす以上、やる気のない奴が入ってくると悪影響が出るかもしれない。
だからこその嫌悪感だろうな。
「次、300メートルダッシュや」
俺の出場種目は5000メートル。
なので理想は5000メートル全てを全力走で終えること。
そんなの絶対に無理なんだけど、限りなく近付くための訓練を積むのだ。
「おい、何だよあれ」
個人的に一番嫌いな練習メニューなのだが気が付けば全10本のうち8本目が終わり、足を止めないためにジョグをしながらスタートラインに戻る途中、幸太郎が急に肩を組んできた。
「……あれって?」
「新入りだよ新入り。あいつまじやべえって」
「やべえ……?」
新入りといえばもちろん美波さんのことだ。
見れば、何がどうやばいのかはすぐに分かった。
美しいフォームにブレない体幹。
大地を蹴るたびに加速して、誰よりも早くゴールする。
初心者とは……?
「……ああ、だよな」
いらねえだろ、俺の指導。
まじであの人速攻レギュラーコースだって。
なんたってあんなに早いんだよ。
「でもよ、前髪長いよな。あれ前見えてんのかな」
「……危ないからそれだけ注意しとくわ」
「ん、お前が入部させたんだ。責任持って面倒──って、言ってるそばから」
さっき走り終えた美波さんが猛然とこっちにやってくる。
「ま〜さ〜と〜く〜ん!!」
一ミリも息乱れてないし……。
ほら、幸太郎がドン引きしてるじゃん。
「……何だよ」
「手取り足取り教えてもらいにきてやりましたよ!」
そんなキラキラした声で言われても。
「……俺、教えることある?」
「無いな、まさと」
「ほら、幸太郎も言ってるぞ」
幸太郎はめちゃくちゃショックを受けてる様子だ。
新人のペーペーが凄まじい才能を見せつけてくれちゃってるんだから、萎えてるんだろう。分かるぞ、その気持ち。
「幸太郎、さんは関係ありません。教えることがないなら、次、競争しましょう」
「競争? 美波さんはDグループでしょ」
「Aグループに上がれって言われたんで、先生に」
「……あっそう」
だからここまで追いついてきたのか。
「……やろうか」
「負けませんよぉ!」
スタート地点に足が──触れる。
この瞬間、一気に視界が狭まり進むべき道だけが脳裏に焼き付いてゆく。
ぐんぐん加速しAグループの中でトップに躍り出る。
俺の後ろは……足音的に幸太郎じゃない。
聞いたことのない足音とリズムがじわじわと距離を詰めてくる。
誰なのかは予想できるし、誰だとしても絶対に負けてやる気はない。
「はぁっ、はぁっ、くそ……もう限界」
何とか練習の終わりまで走り通し、膝に手を置いて荒く呼吸を繰り返す。
長距離練習特有の胸の圧迫感がやっぱり心地よい。
「やり切ったって顔してるな」
「幸太郎か……俺は負けねえぞ」
決意を固めるようにして、重く吐くように言う。
視線の先には激しく地面を踏み鳴らしながら近寄ってくる美波さんがいる。
「あ、俺先帰るわ」
幸太郎は無責任に逃げた。
美波さんは前髪を掻き上げた。
「ふぅ、やっぱりまさとくんは速いですね」
「やっぱり……って。あ、美波さんも速かったよ」
「へぇっ!? あ、ありがとうございます!」
瞬間的に頬を赤くして頭を下げる美波さん。
艶の良い黒髪がふわりと鼻先を掠めた。
いや、そうオーバーなリアクション取られたら反応に困るな。
「わっわわたしっ、もう帰ります! お疲れ様でしたぁ!!」
「お、おう。お疲れー」
しゅばばっと荷物をまとめて美波さんは帰ってしまった。
本当に嵐のような人だ。
てか、練習終わりでもあんなに動けるのかよ、自信無くすなぁ。
「ふぅ…っ」
なんか今日はめちゃくちゃ疲れた。
「帰ったらハルヒ読もう」
すり減った精神に栄養を与えないとな。
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