永訣の朝に

@belly

第1話 

「……あれ、今、……何時?」

 頭の中でぐわんぐわんと鳴り響いていた痛みは、今はもう聞こえない。

 覚束ない足取りでベッドから下りる。スッキリしない気持ちのまま、自室を見回した。よく言えばシンプル、はっきり言えば無味乾燥。必要最低限の物で揃えられた人間味の無い空間は、なんだか薄暗い。

 2月も終わりが近づき、窓の外には雪景色が広がっている。庭に咲く椿には雪化粧が施されており、赤と白のコントラストが正に童話の姫のように美しい。街を照らす陽光で、時刻はとっくに午後を指しているということが分かった。

(母さんを怒らせたかも……。)

 心臓にヒヤリと冷たいものが流れた。ただでさえ、今日はれん兄さんが、実家に帰ってくる日だ。大学も無事に終わって数ヶ月ぶりの帰省。母さんは特に楽しみにしてるし、仕事で忙しい父さんも今日は帰って来てくれるかもしれない。家族一同が揃う機会なのに何の準備も出来ていない。そもそも今日は平日だ。学校もあるのに、昼過ぎまで寝過ごしていた自身に戦慄が走る。

 普段の我が家────鈴村家の朝は早い。夜も明けぬうちに起きて身支度を済ませ、1階のキッチンへと降りる。朝食を手早く作った後は、寝ぼけまなこの母を起こして一緒に食事を済まし、軽い雑用を終わらせたら急いで高校へと向かう。それが普段のルーティンだった。

 なのに、学校に連絡すらしてないし、そもそも家事を何一つやってない。

(……どうしよう。いや、明日からは休日だし、気を持ち直そう。今日を乗り越えれば、時間は作れるし。)

 冷や冷やした気持ちを抱えて、木目調の年季が入ったクローゼットへと手を伸ばそうとした。

(……ああ、そうだった。もう、学校に行く必要は無いんだ。)

 半開きの扉から見えるのは、制服のネクタイに吊り下げられ、宙吊りになった魂の無い肉体。ゆらりゆらりとゆれるそれは、ネクタイのひもが解けて床に転がった。ごとりと無機質な音が部屋に広がる。

 足元に転がっている物は、何度も鏡で見た自身だった。


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