第6話 最高の敵意

 中学のころは……あとは、何があっただろうか。

 ジンと出会い、ジンと卓球をし、ジンと卓球をし続けた。

 他のあらゆることをねじ曲げて。


(僕には、何がある)


 優等生なのは変わりなかった。

 成績優秀、品行方正、誰もがゼンに敬意を表す。

 ジン以外は。


(僕には、何が残る)


 ジンの目を、他と同じにしたかった。

 この男にも、自分を尊敬させたかった。

 それだけを考えていた。

 そのためだけに、卓球を、続けた。




   ◆




 ゲーム間の休憩。

 深い息遣いとほとばしる汗の熱気の中で半田兄弟は絡み合い、貼りつき合い、ひとつになろうとしていた。


「ねえ兄者。次のゲームで、終わりかな」


「ああ弟者。次を取って、それでこの試合はぼくたちの勝ちだ」


 二人は一卵性双生児である。

 つまり本来ひとつの細胞だったものが、分かたれて二人になったものである。

 だから二人は、本能的に求め合う。

 ひとつになる手段を求めている。


「ぼくらの卓球が、勝つね、兄者」


「ああ。またひとつぼくらの一体感の証明ができるよ、弟者」


 その手段として、卓球をする。




 ゼンジンサイド。


「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」


 ゼンは息を荒げる。

 汗が滝のように流れて、寒い。

 隣でジンも、青い顔をしてかひゅーかひゅーとあえいでいた。


「キっ……ツイ……」


 ジンが吐いた弱音を、ゼンはバグったような快活な笑顔で突っかかった。


「どうかしているのかジン!! いくらキミが貧弱隠キャだろうと、そんな言い方今までしてきたか!?」


 ジンは答えない。

 長い前髪が目を完全に隠して、汗の蒸気が白く輪郭をぼやけさせて、存在自体があやふやになるようだ。


(おい)


 ゼンは、ジンの両肩に手を置いた。


(ウソだろ)


 ゼンは快活な笑顔を貼りつけたまま、ジンの顔をのぞき込んだ。

 ジンの顔は、青白い。

 まるで。


「っ……!!」


 ゼンは笑顔の仮面を取り去って、吠えるように叫んだ。


「ふざけるなジン!! 僕以外の誰かに屈するなど!!

 キミはなんのために卓球をしてきた!? 僕はなんのために卓球を続けたと思ってる!!

 ふざけるなよこんなところで折れるなど僕は認めないぞ!! おいジン!!」


 揺さぶられて、ジンは目が隠れたまま、ぼそりと言った。


ゼンは、勝てる……?」


「ああ勝つ!! 勝てる!! 勝つに決まってる!!

 僕がついてて勝てないわけがないだろうジン!!」


 ゼンは必死で叫んだ。

 その声に、ジンの前髪から、ちらりと目がのぞいて。


「言ったね。

 自分が言ったこと、ウソにしたりしないよね、優等生」


 ぞっ、と。

 ゼンの背筋を、そんな感覚が駆け上がった。

 見えたジンの半分隠れた眼差しは、その下で薄く口角を上げた口は、挑発的だった。


「……っは」


 怒りが、ゼンの口を笑わせた。

 快活でも、優等生的でもない、獣のような笑みだった。


「はっはっは!! ははははは!!

 ああ、ああそうだとも!! この僕に二言などあるワケがない!!

 勝つと言ったら勝つ!! 当然だろう!!」


 ぴきぴきと、こめかみに青筋が立った。


 つまりジンは、ゼンをコントロールしていたということだ。

 屈したように見せかけて、ゼンに発破をかけて、言質をとって、追い込ませた。

 ここまでの弱気に見えた態度も、すべて、ジンの計算通り。

 そういうことなのだろうと、ゼンは理解した。


(つくづくふざけた男だ、ジンンン……!

 だからこそだ、だからこそ、キミに僕が格上だと認めさせるのが、楽しみで仕方ないよ……!)


 深い笑みが、心の底から沸き立って戻らない。

 ジンは早々にゼンに背を向けて、卓球台に歩み寄った。

 そうしながら、途中で立ち止まり。


ゼン


 ぐうっと、前傾姿勢を取って。


「前陣速攻、ガッツリいこう」


 それから振り返って、半分隠れた陰気な目をゼンに向けた。

 ゼンはにこりと笑い、そして青筋を立てた。


(指図をするな、クソ陰キャ)


 ジンは無感情に、無感動に、ゼンに視線を向け続けた。

 それから、左手のこぶしを突き出してみせた。

 ゼンはにこりと笑顔の仮面を深めて、そのこぶしに、自分のこぶしをぶつけてみせた。


 こつりと当たる感触が、心拍と連動したように感じた。




 四ゲーム目!


(ここを落としたら終わりだ……!)


 ゼンは打ち続ける。

 前陣速攻。さらに深く!


(終わるわけがないだろう! そうだなジン!!)


 火花を散らすような電光石火の攻撃!

 半田は受ける、それすらかったるいと思わせるようなジンの対応! 速い!


(前陣速攻……それで十分……それしかないし……)


 冷える。技のキレにより空気が凍る。

 そう錯覚させる、前陣速攻の瞬発のきらめき。


(……それだけあれば、勝てるよ、ゼン


 ひたすら前に出て押し込む!


(おかしいなぁ……)


 対応しながら、仮面的微笑を続けながら、半田は首をかしげた。


(ぼくらの体術による幻惑が、効いてない?)


 さっきのゲームでは、完全に翻弄されていたように見えたのに。

 何が違う。見れば分かる、前陣速攻が、より前のめりになっている。

 食らいつくように。何に? 打球に。半田兄弟に。いや……卓球台に!?


(まさか!?)


 観客席。

 シルクハットにぴんと立った口ひげ、ピエール田所は語った。


「半田兄弟の魔術は、自身の体位と卓球台との比較により錯覚を起こさせるもの。

 対して前陣速攻は、卓球台になるべく張りつき前のめりに戦う戦法。

 極限まで卓球台に接近すれば、台の寸法を見誤りもするまい」


 両手の指でフレームを作るように、試合状況を見やって。


「幻惑に次ぐ幻惑で、トリッキータイプと判断したところに小手先だけでない力量をも見せつけられて、勘違いしてしまうが。

 すべての魔術をはがした素の力量は、せいぜいが五分……むしろゼンジンの方が、少し勝ると我が輩は見ている」


 ピエール田所は、目を強く細めた。


「相手は格下ぞ、ゼンジン


 炸裂する速攻!

 ペースをつかみ続ける、幻惑させるスキなど与えない、それこそが前陣速攻の強みだ!


(押しつける……押しつける……押しつける!

 僕は火だ! かがり火だ!

 成績優秀品行方正文武両道、誰もが規範とし後にならう模範的完全完璧最優秀!

 正しき僕をねじ曲げるなど、何者にもできはしないッ!!)


 隣で戦うジン以外は。


(俺はペースを合わせるのが嫌いだ……合わされるのも嫌いだ……

 だから押しつける、冷たく突き放す、その結果がこの前陣速攻だ……

 誰もついてこれないし、ついてこさせない、そういう戦い方だ)


 隣で戦うゼン以外は。


 強く打つ、速く打つ、わがままに打つ!

 意地をただ一方的に押しつける!


(ちょっと……おかしいな……)


 半田兄弟は仮面的微笑を続ける。見つめ続ける。

 見返す相手の目は、見返していない。


((前に立つなよ、有象無象が))


 拒絶の前陣速攻が、半田の防御を割り開いた。

 半田の正面、快活に笑うゼンの燃える目が、陰鬱に沈むジンの凍る目が、ただひたすらに拒絶の意志をともらせていた。


((僕の・俺の敵は、隣のこの男だけだ))

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