第5話 魔術的身体技術

 中学三年生。

 進路指導の面談で、担任教師は頭をかいた。


「いや、受かるか受からないかでいえばほぼ確実に受かるというか……日下部くさかべくんの学力だと、むしろもっと高いレベルを目指した方が……」


 その正面。

 日下部ゼンは快活な笑顔で喋った。


「ええそれはもう重々承知で! しかし単に勉学だけなら、多少高校のレベルを落としたところで自学自習でどうとでもなるかと!

 しからば高校生活でしか経験できない、部活動を重視してみてもよいかと僕は思うわけでして!」


「部活……卓球部だよねぇ……

 そりゃ確かに星賀は卓球部強いけど、それだけなら学力的に上の高校にも卓球部がしっかりしてるところはあるし……」


 教師は手元の紙に目を落として、考え込んだ。


「つまり月見里やまなしくんと一緒のところに行きたいんだよね? 

 きみたちが仲がいいのは知ってるけど、ちょっとそればっかりというか依存しすぎというか……」


 言って、ふと教師は目を上げた。

 ゼンはにこやかなまま、しかし空気が何か違った。


「ははは。先生はおもしろいことをおっしゃる」


 ぴきり。

 笑顔のまま、ゼンのこめかみに青筋が立つ。


「僕が? ジンに? 依存している?

 はははご冗談をジンが僕に依存しているというならまだしも」


 ぴきり。ぴきり。

 とびきりの笑顔を保ったまま、ゼンは教師との距離を詰める。


「僕はねぇただ実力を示したいだけなんですよ分かります? 卓球に全力で取り組みながら学業も修めて文武両道完全完璧でありたいというだけで彼の存在などああいやどうでもいいというわけでなく上に立つ者としてね? 引っ張っていく義務があるというか?」


 中学の三年間で、卓球の実力は着実に上がった。

 卓球部部長も経験し、その上で成績も優秀だった。

 完全完璧。周囲から見て、ゼンは十分にその水準にあるといえた。

 それでも。


「彼の! 上に立つ! 者として! 引っ張って! いく義務が!」


 ジンは一度も、ゼンを格上として見ようとはしなかった。




   ◆




 ベンチに戻り、汗を拭く。

 拭いても拭いても、取りきれない。

 ほてった体から排熱するように、ゼンは熱い息を吐いた。


「ふざけているのは見た目だけか。想像以上に実力がある」


「うん……」


 汗で張りついた髪をぬぐい、それでもジンの目は陰気で、下を向いていた。


「キツイな……」


「はっは! 弱気かジン! まあ完全完璧な僕と違ってジンにはキツイかもな!」


 ジンは答えない。


(おい)


 ゼンジンに目を向け、ぴきりと青筋を立てた。


(いつもの調子はどうした。あおれよ、僕を。

 対戦相手なんていう有象無象に怖じ気づくんじゃない。僕の立場はどうなる。

 キミが僕以外の誰かに劣等感をいだいたら、僕の立場がないじゃないか)


 ゼンは表情こそ笑顔のまま、圧をかけるように顔を接近させた。

 ジンはうつむいたまま、前髪の隙間から目線だけ上に向けた。


ゼン。勝てそう?」


 ぴきりと、ゼンは笑顔をこわばらせた。


 それはどういう意味で言っている? 僕が頼りないのか?

 それとも……あの半田兄弟とかいうやからが、格上と感じていると?

 僕を差し置いて?


「勝つさ。勝てるさ。当然だろう」


 ほとんど牙をむくような笑顔で、ゼンは言ってのけた。




 半田兄弟は絡み合い、肌を触れ合わせた。


「兄者、ああ兄者。だんだん温まってきたよ」


「弟者、ああ弟者。体がほぐれて、熱く……どんどん熱が上がっていくよ」


 絡み合う。触れ合う。

 汗がもうもうと湯気を出し、シルエットを白くかすませながら、半田兄弟は求め合う。


 二人の卓球は、ゲームが進むほど強烈になる。

 ビジュアルの焼き付き。熱を持ち汗をかくほど、視覚効果は凶悪になる。

 そして体がほぐれ、柔軟性も。




 ゲーム間の休憩終わり。

 四名の選手は、卓球台についた。


(勝てるさ)


 打ち合う。打ち合う。

 ピンポン玉を。殺意を。意地を。

 勝ちにゆくプライドを!


(勝つに決まっているだろうなんのための鍛錬だったと思ってるんだ!

 中学三年間! 将来設計をねじ曲げてまで!!

 ジン!! キミに僕の存在を認めさせるために!! 鍛錬したんだろうが!!)


 ジンと一緒に。


 閃光、雷光、速攻!

 相手が強かろうが関係ない、前陣速攻そのスタイルは崩さない、崩すはずがない!

 ただ攻める、攻める、翻弄されても実力を見せられても変えることはない、ただひとつの戦法!

 それしか知らない。それしか知る必要はない。


ジンの得意戦法だからだ!!

 僕がそれを取り込んで、ジンのすべてを取り込んで、僕が絶対的に上位存在なんだと認めさせるんだ!!)


 速攻、速攻!

 攻め続け、攻め続け――


(……う、あ?)


 ぐらり。膝が揺れる。


(なんだ。卓球台が傾いている?)


 ピンポン玉が駆ける。返さなくては。

 前傾。打ち返す。狙いは……どこだ?


(卓球台の奥行きは、こんなに短かったか? いや……長かったか?)


 叩き込んだ打球がアウトになる。


「うっ……げぇッ……」


 後ろでジンが嘔吐している。

 ゼンは倒れかかるのをかろうじて踏ん張る。

 その向こうで、半田兄弟の仮面的微笑は、ひたすらに二人を向いていた。

 どこかパースの崩れたシルエットで。


 観客席。

 シルクハットにぴんと立った口ひげの男、星賀高校卓球部顧問・ピエール田所はうなった。


「あれが半田兄弟の恐るべき魔術的身体技術。

 ここからでは全貌は見えぬが、相対する二人はさぞ幻惑されておるのであろう」


「先生、あれはいったい?」


 部員からの問いかけに、ピエール田所は語った。


「半田兄弟の柔軟性、そしてバランス感覚。

 それを活かして体を常に傾けるとすると、対戦相手からは錯覚で卓球台の方が傾いて見える。

 また関節を外し自分のシルエットを膨張させたり収縮させたりすれば、距離感が狂って卓球台の長さを見誤りもしよう」


 ピエール田所の目は、鋭くゼンジンの背中を見た。


「きゃつらは今、まるで嵐の船にでも乗って戦っているような感覚であろう」


 試合は続く。続く!

 戦意はいまだ衰えず。


(勝つ……勝つんだ! 勝って僕以外の人間を格上になどさせない……!)


 しかし戦力は衰えて。

 ピンポン玉はゼンのラケットをすり抜けて、無情に後方に飛び去った。


 十一対四。

 半田兄弟、二ゲームを奪取。

 勝利まで、あと一ゲーム。

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