第5話 No choice

 ――ドスッ――


 何か……鈍い音が、目の前にけ寄り現れた一人の小さな少年の姿が……そして。

「何っ……!?」

 不意ふいを突かれた神先かみさきさんの左太腿ふともも辺りに、小さな両手ににぎりこまれた何かが深く刺し込まれ、そのあと勢いよく引き抜かれたそれが今度は左足首辺りを深く切りつけ、そのまま教祖きょうそつかんでいた神先かみさきさんの手がゆるみ離れ、流れる様に教祖きょうそが地面にたたきつけられたのち神先かみさきさんもひざから崩れ落ちた、それはほんの一瞬いっしゅんの出来事。

 ……血!! 神先かみさきさんの……足っ! ちっ、血が!!!

「やれやれ。しばらく動けない様にけんは切っといたから。まあきみの様な頑健がんけんな人間なら、易々やすやすと治るんだろうけれど。おっと、動かないでね。このの命が無くなるのは流石さすがに気がとがめるよね」

 何が起こったのかさえ。動揺どうようして動くことも出来ず、ただひざからくずれた正座みたいになったままのあたしの後ろに素早く陣取じんどった少年が。

 この首元に横一文字よこいちもんじあてがわれた“それ”から、赤い血まりの色がこぼれながら……ぐ側に落ちていたバッグがいて……! 

 あたしの……あたしが持ってた包丁が、まさか……神先かみさきさんを傷つけることに……なった……? そんな……あたしが……あたしがこんな物を持ってたから……!

「ホント、何してんだか。出来できそこないの教祖きょうそを祭り上げてい気分にさせておいて、実質じっしつこの教団を操ってるのがこんなあいらしい少年だなんて、世間せけんは誰も思わないよね」

 ふるえながら泣きながら、幾人いくにんかの信者達が行くても見い出せないままただここにいるだけのはずだったけれど、突然その中から飛び出してきたこの子が、この場のりつめた緊張きんちょうを支配するかの様に。 

 決して刃物をにぎるその手はゆるめずに、にっこりと微笑ほほえむその美少年は……まだ小学生の、それも低学年程にしか見えないあどけなさをその笑顔にせてらしていた。

「そうさ、そこにいる神先かみさきさんの言う通りさ。こんな汚い世界は、大人達に作られたんだ。だから、両親もいなくて施設しせつむさぼくされるままに性的なあつかいをされていた僕は漠然ばくぜんとある日、この世界を変えたいって願ったんだ。そうしたら『可哀相かわいそうに……お前には、誰よりも“賢さ”をあげるね……だから一緒に遊ぼう』って。それから僕は、この世界のあらゆることが理解可能になった。勿論もちろん、その施設しせつにいた人間達は、誰にも知られることなく何処かにけどね。別にいいでしょ? あんなきたならしい大人達存在する価値も無いし、薄々色々気付いてたみたいな人間達も誰一人だって助けてはくれなかった訳だしさ。それに、たった一人でもそんなこと知ってる人達が残ってたら気持ち悪いもんね」

「お前は一体……!」

 倒れたまま、切り付けられた足をかかえ込んで荒い息で少年をにら神先かみさきさんが。

「ほんの一寸ちょっとだけ刃先はさきに毒を盛ったから苦しいでしょ? でも安心してね、別に死んだりはしないしちょっとしびれる位だから。さっきからずっと大層たいそうなこと言ってたけれどさあ。本当のその正体は、“公安”の犬のくせにね。何処どこの誰の息がかった番犬かだって知ってるんだから。ねえ、巨漢きょかんきみきみはただの生贄いけにえにされたのさ。君の“飼い主”が僕に頼んで、ここに君を呼んで教祖きょうそ殺しをさせてさあ。今、やったら騒いでるマスコミと国民向けにもきみ教祖きょうそ殺しの犯人に仕立て上げて教団は解体。ほら? 色んな政治家やら官僚やらの名前も挙がってる訳だから、色々面倒でしょ?

 令状? だって、君を“都合のこま”にする為に警察組織に引き入れた君のボスが、君のことを分かってない訳がないじゃないか。後々のちのち体裁ていさいの為の令状発行と、君の暴走をそのまま予見よけんしたこの計画に僕も最初から参加してたってこと。

 そして実質、今度は僕がここの人達をそのまま引き継いで救済きゅうさいしていく“全く違法じゃない”組織に名称変更もして生まれ変わって。まあ、当面とうめんの僕らのボスになる政治家やらを支える側に立つのさ。」

「勿論、それだけじゃ終わらないよ。ただの宗教団体の経営なんて笑っちゃうよね。だから、ねえどうかな? 神先かみさきさん。僕に付いて本当に今度こそ一緒に世界を変えようよ。勿論その“偽教祖きょうそ”にはここで死んでもらうけれど。希望のぞみゆうきみはまあねえ……お茶みでもしてくれればいいんじゃない? あ、女性蔑視べっしとかじゃないよ。ただ、君には何の才能も無いでしょ? 僕の計画通りに、今の所は大人達の悪巧わるだくみにみしたりでもしてさあ。あっというに僕と神先かみさきさんなら、世界だって変えられるよ。まさにこれこそが、“神のおぼし”、めぐり合わせってやつでさあ!!」

 少年は、おさえ切れない抑揚よくように乗せた興奮を、あたし達に楽しそうにまくし立てた。

「違う……お前はまだ……まだ子供だ……お前は、お前も、まだ、守られる側なんだ……大人の真似まねなんてしなくていい……今ならまだ間に合う……こんなこと止めるんだ……これは、俺達大人がケリをつける話なんだ……」

 神先かみさきさんは苦しそうにそう言葉を、に話して言い聞かせるように。

「だからさあ、その大人達がもう既存きぞんの理論・社会的構造矛盾むじゅんの世界で行きづまったんじゃないか。人的資源も無駄に戦争やら何やら。もっと別に宇宙開発の推進すいしんや、この地球の内核ないかくやらの調査やら。世界をまたけてまで、相変わらず国家ですら詐欺さぎまがいの毎日なんてどうかしてるよ。間違いなく僕がいれば世界は変えられる。けれど、自己矛盾じこむじゅんで悪いんだけど、この子供の姿のままじゃどれだけかしこくなってもちゃんと認められないんだよねえ、この世界じゃ。だからこそ、神先かみさきさんみたいな人が今の僕には必要で。まあ、その価値観、それすらも変えなくちゃいけないし。だけど間違いなく保障するよ。僕達なら世界は変えられる。あ、でも僕達に逆らう様な人間達は“排除”するよ勿論もちろんね! だって、神様に力をもらった僕達にとなえるなんて正気しょうきじゃないもんね」

 たからかに本来なら大人達がそうるべき理想と、けれどそこに付随ふずいするその絶対的・支配的王政おうせいうたいながら堕天使だてんしみたいな少年が、満足そうにあたしの後ろで笑ってる。

 そして、苦しそうにじりしぼり出す声のぬし神先かみさきさんが。

ゆうちゃん……これが真実なんだ……この世界に存在する“全ての宗教のあるいは神と自称じしょう啓示けいじを受けたとしょうする者達)する人間達”はみな、神が、ただ“可哀相かわいそう”だと思って力を与えた、ただそれだけの存在なんだ……つまり、それらの宗教団体の教祖きょうそ(それに近い存在も)はすべからく全員“本物”なんだ。けれど、その“本物達”は神の視点から見て、子供に与えられた“玩具おもちゃ”の様な力しか持たされていない。だから力をもたらされたと言ってもこいつみたいに幾らかしこくなっても、それが世界をみちびく真の力にはることは無い。何故なぜなら、誰一人そいつが“神になったわけじゃない”から。神のように何らかの事象じしょう改変かいへんや創造をもたらす力なんて、俺もふくめて誰ひとりにだって与えられてやしないから」

神先かみさきさんの“それ”は、随分ずいぶんと失礼な言い方だなあ。今までのクズ共は確かにそうだったかもしれない。でも、僕にはこの年齢としで、神より与えられた叡智えいちがある。与えられた“時間”は過去の天才たちよりも――それが有限だとしても――はるかに長いはずでしょ。僕が実現出来ることは、どんな誰よりも圧倒的に多いはずさ」

 口をとがらせながらそう言って、少年があたしの喉元のどもとにあった凶器をスーッと、横に引いた。

めろ!!」

 神先かみさきさんの怒声どせいが制止をはさんで。けれど、何の痛みも無かった首元からはおそらく……。

「殺したりしないから大丈夫だよ。だけど、別に手や足の一本ずつ位、君の行動如何いかんの結果としてどうにかなったって、それは僕の所為せいじゃないでしょ。これだけ建設的な提案をしてる僕に対する礼儀がなってない方が悪いんだし」

 あたしが包丁なんて持ち込んだ所為せいで……本当は……あたしになんて、本当は何も出来やしないのに……やり場の無い怒りと無念むねんの感情をふるい立たせるために……無理矢理にでも自分をけし掛けるために持ってたこんな物で……こんな物のため神先かみさきさんが……!

「僕は、自分のことが可哀相かわいそうだなんてこれっぽちも思ってもないよ。だって、こんな風に大人達を自由自在に操れる程の叡智えいちもらったんだ。分からないの? もうここだけじゃないんだ。たくさん、色んな会社やら何やら。それに全部とは言わないけれど、警察内部の偉い人達だって大きな企業だって、政治家だってさあ」

 少年のその幼気いたいけさが尊大そんだいに、けれどマンガチックに、だけど、これらの言葉は恐らく全部真実であって……。

「頭が良くなっただけじゃ、こうはならなかっただろうね。みんなさあ、若い男も若い女もい年したおばさんもおじさん達も、もっと歳を取った人達も、こんなに、そこらにいる美少女よりも美少女みたいな美少年な僕と色んなことをしたいって、泣いてお願いしてくるんだよ!! 頭のい僕にしか出せない色んな反応が見れるってさあ!! ああ……しいたげられてた“あの頃の僕”じゃない、もっと、もっと早く僕は僕自身の魅力に目覚めてれば!! もっともっと自由に色んな人達をこの手で操ることが出来ただろうに!!」

 回顧かいこ妄想もうそうにのめり込んだ美少年の声が、よりあでやかに増しながら。

「まあいいや。さあ、神先さんは早くその教祖きょうそを消してよ。ちょっとしびれてる位何てことないでしょ。君のボスの思惑おもわくとは違うシナリオを、僕がちゃんとえがいてあっちはあっちでちゃんと納得させるから大丈夫だし、そんなの簡単簡単!」

 その言葉は平然とよどみなく、あたかも無邪気に、けれどその冷酷れいこくさを悪魔のようき散らしながら。

めてよ! そんな簡単に人を消すだなんて!! 神先かみさきさんもそんなの絶対にダメ!!」

 視線の向こうに倒れ込む、神先かみさきさんと教祖きょうその二人に駆け寄ろうとするすきも無い。ひたいからほおつたい落ちた汗がこぼれたこの刃物の鋭利えいりさにだって、微塵みじんの油断もあるわけも無く。

「何で? どうせその教祖きょうそをそのままにしてたら、全然全く何の役にも立たないのに、また馬鹿な人間達がむらがってくるだけだよ? 馬鹿に馬鹿がむらがってどうするのさ? 逆に、今まではそう仕向しむけてたんだからさ。ほら、いっそ早く消しちゃおうよ神先かみさきさん。このお姉ちゃんが先に死んじゃってもいいの?」

 そう言って今度は、得物えものを握る手を縦に変えその刃先はさきをあたしのあごの下に押し当てた。

「待て!! 分かった、やろう。どうせそのつもりだったんだ」

 だめ………だめだめだめだめダメ!! そんなのって!!

「や、やめてくれ! 頼む何でもする!! お、お前の様な子供にも何でもするから!! 土下座でも何でもする!! 頼む!! 私を生かしてくれ頼む!!」

 その声もふるえながらそこにしたまま顔をこちらに向け哀願あいがんし続ける教祖きょうそを、少年はただ笑いながら、嘲笑あざわらいながら。

実務じつむも何も取り仕切しきることもせずに、ただただ説法せっぽうと、その妙な力を見せびらかすことだけでさあ。実質、誰がこの教団の舵取かじとりをしてたのかも知らなかった様な人なんてらないよ。本当は、自分の教団の収支しゅうしも知らないんでしょ? 帳簿ちょうぼも見ないっておかしいよ絶対に。僕がもぐんでなかったらとうに無くなってたよ。こんな大学の超常現象サークルくずれみたいなのが、取り敢えず起業してみましたって連中の集まりなんてさ」

「そ、そんな……た、頼む……何でも……何でも……」

 最早もはや敗者はいしゃとしての価値すら与えられず、自身の生殺与奪せいさつよだつにぎる少年に哀願あいがんし祈り続ける教祖きょうその顔には、茫々ぼうぼうとして流れ広がる涙や、油よりもい汗や、れ流れる鼻水やらあらゆる液体にまみれた表情が、壊れた百面相ひゃくめんそうみたいに狂ったようおどり明かしていた。

非合法ひごうほうなやり方でじゃんじゃんお金をかせいで偉い人達と繋がりパイプを作って、その後始末あとしまつ一身いっしんに受けさせる為にずっと“ってあげてた”んだよ。内輪うちわの実際を何も知らなかっただけで、い思いもたくさんさせてあげたでしょ? さあ、大人なら責任を取らなくちゃね!! さあさあ! 神先かみさきさん! ひと思いにそいつっちゃおうよ!!」

 少年は、あふれる興奮こうふんを、それ以上の興奮こうふんで満たされた香辛料こうしんりょうでもっておおいくすみたいにさけんだ。

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