第29話 日本対ブラジル① つながり

 その日、陽が傾いても錠はゲームに手を触れなかった。壊れかけの壁を膝ごと抱え、どこかうつろな目でテレビの前に座っていた。脇には買っておいた惣菜とビールが置かれている。これから始まる中継を、何日か前まで見ないつもりだったその一戦を特別な思いで待っていた。

 時間どおりに中継がスタートし、ほどなく超満員の国立競技場で日本代表対ブラジル代表戦がキックオフとなった。

 この試合はワールドカップには関係ないが、カルロスの初采配であり、カルロスジャパンの船出となる。相手は強大だが、最終予選に向けて大事な試金石だ。

 スタメンは主に加瀬ジャパン同様の顔ぶれとなった。カルロスも枡田ではなく、司令塔に中羽ヒロを起用してきた。一方、ここ何試合かで使われてきた友近は控えからとなった。

「さあ、いよいよ始まりました、日本対ブラジル戦。実況は私、青嶋亮。解説は元日本代表、武堀健太さん。ゲストにはタレントの御菓子屋サンバさん、そして、なんと、水浦ユキヤ選手をお迎えしております!」

 いつも以上のテンションでアナウンサーはユキヤを紹介した。これは結構なサプライズだ。ぼんやりブラウン管を眺めていた錠も、思わず瞳孔が開いた。

「リハビリ中ということで、今日は特別に放送席にいらしていただきました。皆さんご存知のように、ユキヤさんはブラジルでプロになられたわけで、感概もあろうかと思います」

「はい、今日はすごく楽しみですね」

「ホンマならピッチで見たかったんやけどね」

 サッカー通の芸人、御菓子屋サンバが関西弁でそう漏らした。

「ええ、僕本人も同じ思いですね」

 いつものさわやかな口調でユキヤは応える。

 試合のほうは、序盤から圧倒的にブラジルがボールを支配した。日本はほとんどボールに触れない。立て続けにシュートを打たれるも、ゴールに至らず救われた。

「どうですかユキヤさん、日本代表、攻め込まれる場面が増えてますが」

「うーん、選手同士の動きが合ってないですね」

「どうすりゃいいんやろね」

「そうですね。もっとコミュニケーションを取っていかないと」

 中羽が時折りボールを得るが、そのあとのパスはつながらない。

「どうなんやろ、ユキヤからみて中羽は。普段から周りと合ってない気がするんやけど」

 錠は小さく、だろ、とつぶやいた。

「高飛車だからとちゃうかな?」

「はは、不器用ですけど根は素直なんじゃないかと思いますよ」

「おいらの番組に出よったとき、言うてたわ。子供のとき自分だけ凄かってん、それで出番ない先輩らにいじめられたいうて。そんなら文句言えないくらい凄うなったるいうて練習したって。どんだけ素直やねんて」

 押し込まれて前に出られなかった左サイドバック服馬の前にスペースが空いた。それを感じた中羽が左サイド前方に大きくボールを出す。服馬は駆け上がるが追いつかず、ボールはラインを割った。

 服馬は首をかしげながら、ディフェンスに戻る。

「あれやな、中羽、無茶なとこ振りよんな。ムチャ振りやで。リアクションできんて。生放送でいきなりそんなん振られたらたまらんわ」

「さすがサンバさん、うまいこと言うなあ。でもですね、それでいうなら、いつも準備をしておかなきゃいけないってことですよ」

 ユキヤはサンバのコメントにシュールなリアクションを返した。

「準備? それはつまり、パスの受け手は流れを読んで常に心の準備をしとかなあかんってこっちゃな」

「さすがですね。展開読んでる」

「いい受け手になれるやろ。って自分でウケててどうすんねん。おいらはウケさすほうや」

 ピッチの熱戦をよそに、実況席は笑いに包まれた。

「あのう、サッカーの話をお願いできますか」

 一緒に巻き込まれたアナウンサーが、すぐに仕事に戻る。

「いや、これはユキヤが振りよったんやで。ユキヤからのスルーパスやで。そんでおいらがゴール決めたんや。ってこれならどうやねん?」

「あ、有難うございます……」

「ははは。でもまあ、もっと言えば、つまるところ互いに理解し合ってなきゃいけないってことですよ。僕はブラジルではまず自分をわかってもらうことから始めたんです。そのためには相手のことも理解しないといけなかった。これは日ごろの練習からやっとかないとできません」

 ユキヤは笑顔のなかにも重みのある体験談を語った。

「普段から出し手と受け手で息を合わしておかなできんてことか。さっきのだと、ボケてもないのにいきなり頭ハタかれる感じやで」

「芸人さんもコンビなら、それこそ段取りが大事なんじゃないですか。ボケとツッコミ。いくら自分が凄くても一人じゃできないですから。サッカーも出し手と受け手あってのパスですからね」

「おいらはピン芸人やからなあ、ちょっとなあ……。中羽もそうなんやろね」

 議論のさなか、ピッチ上では競り合いのなかで中羽が弾き飛ばされた。ボールは奪われたが、中羽はすぐに立ち上がり、相手を追いかける。ユキヤはそれを見ながら話を続けた。

「ただ、彼の場合は特別な気がします。試合に出るようになったばかりで、今はみんなのプレーの幅を見極めてる段階なんじゃないかな。司令塔として」

「それはユキヤさん、他の選手たちがどれぐらい走れるか、どれぐらいやれるのかを測っているということでしょうか」

「ええ。彼には彼の理想のプレーがあるでしょうから、それについてきて欲しいと思っているはずです」

「試してんねや。結局上からなんやな。理想いうても、それをずーっと続けるいうのも、素直いうか、もう頑固者や。ズドーンてな直球しか蹴れんのとちゃうか。流本は曲球しか蹴れんちゅう噂でっけどな」

 うるせーよ……。

 錠が見つめるなか、日本はブラジルのボールまわしに翻弄され続けた。やはり力の差は歴然だ。

 だが、ここで守備陣がなんとか奪い返し、日本ボールになった。

 日本は一気に速攻に出た。素早く前線へボールをつないでいく。ブラジルは前がかりになっていたため、守備は手薄だ。相手からのプレッシャーが弱ければ、日本選手の技術は活きてくる。

 ここでサイドに流れた中羽にボールが渡った。中羽はすかさず、ゴール前にセンタリングを上げる。ディフェンダーと競り合いながら、巨体を投げ出し飛びつく高村。ヘディングは強烈なシュートとなった。が、キーパーが横っ飛びでパンチング、ピッチの外へ弾き出された。

 沸き上がるスタジアム。

「いや、惜しい! 実に惜しかったですね。中羽のセンタリングから、高村のドンピシャのヘッド!」

 そのあとのコーナーキック。今度はキッカー中羽からファーサイドに駆け込む小原へ、これもぴったり。しかし、小原のヘディングは今度はディフェンダーに当たり、こぼれ球をキーパーに押さえられた。

 観衆がどよめきを上げる。

「ユキヤさんどうですか、ブラジル相手に立て続けのチャンスでした」

「いずれも中羽選手から。さすがですね。チームの現状に合わせてきましたね」

「受け手のほうに合わせたいうこっちゃな」

「というと、自分の思うベストなポイントではなく、味方の打ちやすいところに合わせているということでしょうか」

 アナウンサーは、ユキヤのほうに顔を向けて尋ねた。

「ええ、やはり勝ちたいんでしょう。そのためにはどうすればいいか、ということじゃないですか」

「テストは一時中止だと」

「受け手がもっと早く動いていたら、もっといいボールを入れられた。そうすれば余裕をもって決められたと思いますけどね」

 速やかに陣形を整える選手たちを見ながら、ユキヤはそう分析した。

「そういえば岡屋選手が言ってましたよ」

 ここで解説の武堀がようやく言葉を挟んだ。

「自分は俊足だけで選ばれて、それを代表のために活かすことが役目だって。それしかないんだって。それを最大限に活かしてくれるのが中羽なんじゃないかって」

「岡屋選手がそんなこと言ってましたか? 意外ですね」

 岡屋のキャラクターを知るアナウンサーが、悪ノリ気味に言った。

「日本が強豪から点を取るには、一番速い自分が全速力で走って、一番背の高い高村が一番高いところで合わせるしかないと。つまり、スペシャリストのみんながギリギリのところまで力を出して、初めて可能性が出てくる。中羽ならそれを引き出せるかもしれないって言ってました」

「なるほど。そのために見極めているんじゃないかということですね、ユキヤさん」

「ええ。時間はかかるかも知れませんけどね。僕も早く一緒にプレーしてみたいですね」

「さすがにユキヤには自分から合わせてくやろ。にしても、岡屋とはもう合ってるんかな」

 サンバが武堀に尋ねた。

「さあ。でもぶっちゃけると、たとえ嫌いでも上に行くには中羽の力が今は必要だって、岡屋は言ってましたね」

「目標のためにはいがみあってる場合じゃないってことでしょうか」

「何か、わかりますね。思えば僕らもそうだったんじゃないかな」

 そう言ってユキヤは武堀を見た。ユキヤと武堀はともに前回の予選を戦った仲間だ。いわゆるドーハの悲劇の一員である。

「確かに前回大会のときも初めはライバル意識のほうが大きかった。僕ら攻撃陣は特にね。ブラジルからユキヤくんが戻ってきて、負けないぞってね」

「それはひしひしと感じましたね。怖いくらい」

「でも、それでレベルアップしていった。ユキヤくんの存在に引っ張られて」

「今の代表はどうなんやろ」

「岡屋についていえば、中羽の要求に応えるだけじゃなくて、さらにそれを越えてやりたいって言ってました。一人でぎゃふんとかなんとか言ってて、そこはよくわからなかったですけど……。でも、いい関係なんじゃないでしょうか」

 武堀の話に、錠は膝を抱えたまま眉をひそめた。

「岡屋も素直やからね。まっすぐしか走れないんやろ?」

「ははは、それはどうですかね……」

 実況席には小さな笑いが起こったが、スタジアムではこれ以降、中羽がボールを持つたびに歓声が巻き起こった。

 しかし、マークも厳しくなり、ブラジルの壁を破ることはできない。

 中羽がボランチの木田に何やら話しかける姿をカメラは捕らえた。日本が苦戦を強いられるなか、中羽の映る回数は増えていく。

 何もできやしねえよ――。

 それでも中羽がボールを持つと、スタジアムは沸いた。ここはボールを落ち着かせ、一度うしろの木田に預ける。そこから空いているスペースに動き、パスを要求。

「なんでもないプレーのように見えるけど、周りをよく見てる」

 ユキヤが中羽のプレーに言葉を添える。

 中羽は的確な木田のリターンを受け、今度はダイレクトで前線に蹴り込んだ。

 鋭いボールが南澤の足元に届く。

「ほら、ノールックパスだけどぴったりだ。見てないようで見てるんですよ」

 南澤はドリブルで持ち込んだが、ここも突破には至らず。攻撃重視のイメージがあるブラジルだが、今の日本ではまだその守備をこじ開けるのは難しい。

 中羽は単独突破を試みる。相手は激しくプレッシャーをかけ、ボールを奪った。だが、反則となった。フリーキックだ。

 中羽がキッカーを務めるが、そのボールはキーパーがサイドキャッチ。いいシュートだが、決めることはできなかった。

 錠は無表情で鼻を鳴らす。

「ここでレインボーやったらおもろかったんやけどな。失礼やけど、もうあれでないと点取れんのちゃうやろか。世間ではもうダメって言うてるけど、普通のキックより可能性あるやろ」

 これを受け、武堀がここぞとばかりに仕事に入る。

「交代枠の問題もありますけど、走れない、守れない選手をずっとピッチに置いておくのはリスクが大きすぎますからねえ。一点取ってもすぐに取られてしまっては……。それに選手のなかにはい


ろんな意味で反発があるようですよ」

「まあなあ、おいしいとこもってかれんのは嫌やろうけどな。せやけど、ドラマだって芸人出て本職の俳優より目立つってことあるもんな」

「『踊る! 男女七人から騒ぎ』のサンバさんみたいに」

「いや、さすがユキヤ。わかってるわ」

「ははは。でも、どんなゴールでも同じですけど、キックオフから一人で決めたわけじゃない。誰かがそこまでつないできたわけです。チームの得点なわけです」

「なるほど。得点者がそれをわかってあげるとそれまでのプレーが報われますね」

 実況アナウンサーはユキヤのコメントに深くうなずいた。

「はー、ユキヤがそう思ってるんや。これは深いね」

「僕は最後の仕上げをする役割だと思ってますね」

「でもユキヤは自分でもチャンスつくるやんか。逆に武堀くんなんてほんまそう、最後の仕上げだけやったもんな。ごっつあんゴールばっかりて言われて」

 武堀は苦笑するよりほかなかった。

「武堀さんはゴールの嗅いのするところをかぎ分けると言われてました。そこにボールがこぼれてくるのがわかっているかのように、そこにいる。それはポジショニングのよさってことだと思うんですが。ユキヤさん」

 アナウンサーは的確なフォローを入れた。

「そうです。それも練習や経験があってのことです。そこまでの準備ができているからこそ楽に点を決められるわけです」

「楽にではないですけど……、いつもけっこう緊張してたっていうか、まあ集中力ってことですかね」

 武堀はそう言いながら、こぼれんばかりの笑みを浮かべた。

 その後、日本は盛り返すも攻めきれず、前半終了。〇対〇、無失点は大健闘といえた。

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