第27話 トモチカトモヤ

 山間の道路を急いでいると、信号もなさそうなところで車が連なっていた。

「こんなときに」

 カルロスが焦りを見せる。昨夜の大雨の影響で土砂崩れがあったらしい。片側車線のみの通行規制が行われている。

 一文字がいかつい顔のままでつぶやいた。

「俺たちなんてちっぽけなもんさ」

 静かな物言いが、逆にやるせなさを感じさせる。

「だからこそ、必要なんだ。普段からの備えや協力がな。いざというときのために」

 現場の警備が進めの合図を出す。オープンカーは先を急いだ。

 やがて都内に入ってすぐの総合病院に一行は着いた。成りゆき上、錠も院内に同行した。

「おじさん」

 そう言って一文字に駆け寄る友近は、意外にもいつもの笑みを浮かべていた。

「トモ、姉さんは?」

「倒れて、意識なくて、それで……」

 が、言葉は思うようには出てこない。

 その後、担当医の説明を受けるため、一文字と友近は病室に入った。絶対安静、身内以外はお断りの状態だ。その間、錠はカルロスとともに廊下のシートで待機した。

「なあ、おっさんと友近って?」

「ああ、いろいろあったみたいであまり知られてないけど、トモのお袋さんはテツさんのお姉さんだ。ずっと女手一つでトモを育てて……。忙しいとは聞いてたから、過労かもな」

 錠は病室の向こうをじっとうかがった。

「今はトモのおかげもあって経済的には余裕があるみたいだけど、サッカー選手はいつどうなるかわからないから。それに続けてきた仕事は簡単にはやめられないからね。責任ある立場にもいるらしいし」

 錠はさらに遠くへ意識を巡らせた。

 やがて、一文字と友近が病室から出てきた。カルロスが立ち上がる。

「仕事中に倒れたって。なんとも言えんらしい。今夜がヤマだそうだ」

 一文字はカルロスに、今言えることを話した。友近はそのうしろに無表情で立っている。

 錠は座ったまま、その顔を見ていた。普段の友近の言動からはそんなふうに見えなかった。何の苦労もなくただ才能に任せて好きなことをしている、ゆえに明朗快活な少年。そう思っていた。

「俺たちは今夜はそばにいることにした。その準備もあって、俺はちょっと家に帰らなきゃならない」

 そう言って一文字は友近を見た。

「大丈夫ですよ。僕は大丈夫。大丈夫でなきゃ……」

 どこか気の抜けた笑顔で友近は返した。

「トモ、無理しなくていい」

「僕は笑ってなきゃ……、母さん、僕のために」

 精一杯笑みを保とうとする友近の肩に、一文字は手をかけた。

「トモ、すぐ戻るから姉さんのこと頼むぞ」

「……はい、わかってます」

 友近はそろりと病室のドアを開け、中に半分入ったところで笑顔をつくったまま振り返った。錠は立ち上がり、友近に声をかける。

「友近、じゃあな」

「はい。錠さん、すみませんでした」

 友近は静かにドアを閉じた。

 それを見守ってから三人は動きはじめた。そのとたんのことだ。

 ドアの向こうからおえつが漏れるのを耳にし、彼らは足を止めた。

 奥からこみ上げる何かが、錠の胸を揺さぶる。

「行くぞ」

 一文字の声に引っ張られ、一行は再び歩き出した。

 夕闇のなか、一文字を自宅まで送ったあと、クルマは錠の部屋に向かった。車中、並んで座る錠とカルロスの間に言葉はない。

 そこへ電話が入った。カルロスは着信表示を見たあと、暗い面持ちでそれに出たが、やがて声を弾ませた。

「そうですか。よかった。いや、よかった」

 どうやら一文字からのようだ。

「それじゃまた明日――。え? いや……。本当ですか。わかりました。確認します」

 今度は別の話題のようだが、カルロスは浮かぬ顔で電話を切った。しかし、錠には笑顔を見せた。

「トモのお袋さん、意識戻ったって。病院から連絡あったらしい。取りあえずは大丈夫らしいよ」

 それを聞き、錠も相好を崩したが、不意に潤みはじめた目を慌てて外に向けた。が、窓に映ったカルロスの含み笑いに気付き、開き直って言葉を絞り出した。

「なんでだろう、他人のことなのに」

「ふふ、トモは錠にとって単なる他人じゃないんだよ。それに――。錠にもいるからだろう、大事な人」

 錠は思わず遠くに目をやり、潤んだ景色をさらに揺らした。

「でも、しばらく寝たきりの状態になるかもって。動けるようになるのは今後次第だって」

「そうか、そのことでさっきは……」

「いや、それは別の、監督の件だ」

「監督?」

「緊急理事会で決まったらしい。解任だって」

 錠は一瞬言葉を失ったが、すぐに食いついた。

「なんで? 理由は?」

「いろいろな事情があるんだけどね。いずれ耳に入ることだから話すよ」

 カルロスは錠に内幕を話した。

 それによると、協会内にもさまざまな見解があり、加瀬ジャパン立ち上げ時からその戦い方に否定的な勢力も存在していた。これまで水面下で駆け引きが行われてきたが、今回の一次予選とテストマッチやチャレンジカップの戦況を受け、反対勢力が優勢になった結果だと見られる。

 その決め手となったのが、錠の起用だという。反加瀬派の言い分は、監督は結果だけ求めて手を抜き、そのせいでチーム全体の力が上がらず、停滞を招いたというのだ。その上での錠のミスだ。これが格好の材料になったわけだ。

 錠は息苦しさを感じ、シートベルトを引っ張った。

「正直に言う。錠の代表入りは監督も僕も苦渋の決断だった。ユキヤ不在の緊急措置だった」

 それは錠も理解している。

「でもみんなを信用してなかったわけじゃない。だからこそ、錠は試合の終盤に使ったんだ」

 カルロスは言葉に力を入れた。

「とにかく思っていたのは、みんなのこれまでの積み重ねを無にするわけにはいかないってことだ。つまり勝ち残ること。それが最優先だった」

 錠はことの大きさを受け止められずにいた。言葉が何も浮かばない。

 そのとき、またカルロスの携帯が鳴った。今度の相手はその加瀬からだった。

「今ですか、錠を自宅まで送っていくところです」

 錠は耳を傾けた。

「いえ、私の責任もあります。私も辞任するつもりです」

 その後、しばらく二人のやりとりは続いた。

「そうですね、わかりました。みんなのために、そして監督のためにも務めさせていただきます」

 どうやら説得され、カルロスが監督を引き継ぐことになったようだ。おそらく協会から次期監督に挙げられているのだろう。反対勢力も、今このチームを引き受けるのは危険なはずだ。

「錠ですか。お待ちください」

 カルロスは携帯を錠に差し出した。錠は戸惑いながらも受け取った。

「錠か。すまんかったな。世間は言いたいこと言うてるけど、お前のせいやない。代表で起こったことは全部わしの責任や。その覚悟で大任を引き受けたんやから。こっちの事情で無理に引っ張り込んですまんかった」

「……いや、俺、その……」

「わしのことは気にするな。わしのことは、わしの責任や。期待に応えられるチームを作れなかったのも、周りの批判を浴びるのもわしの責任。お前を代表に選んだのもわしの責任やからな。ほんまに、すまんかったな」

 計らずも加瀬の謝罪は錠に現実を突きつけた。その矛先から逃れようと無言でもがく錠に、加瀬は最後の頼みを口にした。

「ただな、錠。もうひとこと言わせてもらえるなら、使い方次第ではアレはまだ使える。もし、わしの思いをくんでくれるなら、カルロスの力になってやってくれんか」

 錠は答えを出せない。

「まあ、決めるのは自分や。自分のことは自分で決めるもんやからな」

「……はい」

 錠は返事をするのが精一杯だった。目線を落としたまま、カルロスに携帯を戻した。

 カルロスの耳元からかすかに漏れる加瀬の関西弁が、対向車とすれ違うたびにかき消される。

「え、あ、そうですか。やっぱりテツさん連絡入れたんですね。僕も気にはなってたんですが。ひとまずは大丈夫みたいで、よかったですね」

 どうやら友近の母親の件のようだ。が、それがそこまで加瀬に関係あるのかと、錠は怪げんに思った。

「テツさんのお母さんのこともありましたからね、ヒヤッとしましたけど」

 一文字の母親にも過去に何かあったのだろうが、錠は今そこまでは気がまわらない。

「わかっています。そのあたりは日本代表を預かる者として徹底します、はい」

 カルロスが電話を切ったあと、二人の間に再び沈黙が訪れた。

 しばらくたってから、錠が切り出した。

「なあ、監督――、いや加瀬さんと友近もなんかあるのか?」

 カルロスはしばし無言でクルマを走らせたが、四、五台の対向車とすれ違ったのち、

「ここだけの話、錠には話そう」

 錠への信用を強調して口を開いた。

「昔、加瀬さんとテツさんのお姉さんは交際していたらしい」

 錠は前を見据え黙っていたが、カルロスは察して言葉を続けた。

「そう、二人の間に生まれたのがトモだ。加瀬さんは社会人リーグで選手として活躍していたようだけど、テツさんのお姉さんはまだ大学生だったらしいから――。まあ、それからいろいろあったんだろう」

 錠は大人の顔をして話を受け止めた。が、次の言葉には動揺を禁じえなかった。

「この話、トモは知らない」

 一文字の姉は母方の旧姓を名乗っていることを聞き、そのいきさつを推察して錠はさらに気が塞いだ。

「二十年くらい前だから、まだ日本のサッカーが世間から注目されてないときのことだ。今、知られたら大変な騒ぎになる」

 錠は今日一日で一気に出てきた複雑な事情に、疲れを感じずにはいられなかった。その口からまた邪推の言葉がこぼれて出る。

「なんだよ、結局身内でつながってるだけじゃ……」

 錠は途中で口をつぐんだが、カルロスは錠を横目で見やった。

「錠、もうそういうのやめるんだ。自分でもわかってるんじゃないのか」

 錠は目線を左にそらした。そこに映る自分からさらに目を背ける。

「監督はそんな人じゃない。トモの代表入りは、誰もが望んでいたことだ。むしろ僕が監督の背中を押した」

 錠は、同じ母子家庭ながら、友近と自分、似て非なるものに思えた。

 帰宅後、錠はしばしゲームに興じたが、やがて襲ってきた全身の疲労感に、コントローラーを放り捨てた。

 そしてその場に横たわり、このまま夜を明かそうと目を閉じた。車からの景観が目蓋の裏を流れていき、今日一日の出来事が押し寄せるように思い出される。ヘッドライトの灯りにすり込まれたカルロスの言葉から、錠は友近の境遇に思いをはせた。

 近くにいても知らないなんて――。

 錠には少なくとも思い出はある。

 だが、覚えていても会うことさえない。いや、忘れたくても記憶がよぎる辛さもある。

 あいつは今も愛されてんだろ。俺は捨てられたんだ。

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