第6話 アウェイ② 素人の屈辱


 本番の一週間前、日本代表はシンガポールでの合宿を打ち上げ、敵地オマ

ーンに乗り込んだ。

 錠はまた中羽と同じ部屋だった。錠が機嫌を損ねて以来、二人の間に会話

はほとんどない。あるとすれば中羽のほうからだが、それでも二言三言、必

要最低限のことを淡々と聞く程度だ。錠から話しかけることは決してなかっ

た。かってがわからないことがあるときは、カルロスに内線をした。

 初日の晩、食事は現地の料理を食べることになった。日本から連れてきた

料理人を厨房に入れてもらえなかったのだ。アウェイの洗礼というやつだ。

 翌日、何人かの選手が腹痛を起こした。症状は重くないようだが、慣れ

ない物を食べたからだろう。錠は疲れで食事が喉を通らなかったこともあっ

てか、なんともなかった。

 チームはこの日、紅白戦で戦術確認をする予定だったが、人数が足りない。

そこでやむなく錠を入れることになった。

「仕方ないやろ。錠、サブ組のディフェンスやってくれ」

 錠に拒否できるはずもない。

 この日、マスコミは練習場から締め出された。今、錠のプレーを見せるわ

けにはいかないからだ。

 ピッチに立った錠は半ばやけになっていた。

 なんで、こんなことまで手伝わなきゃいけないんだよ。どうすんだよ。な

にすりゃいいんだよ。

 口にはできない不満があふれ出る。だが一方で、適当にボールを追っかけ

てりゃなんとかなるだろう、どこかでそんなふうにも思っていた。

「大丈夫ですかね、監督」

 錠の実力を一番知るカルロスが案じて言った。しかも錠には経験のないデ

ィフェンスのポジションだ。

「錠の場合、逆に本職ちゃうからこそ思いきりできるってもんやろ」

 監督は他人事のように笑った。

 この日の紅白戦は、レギュラー組対いわゆるサブ組の形で行われた。

 錠はサブ組のセンターバックを任された。監督の言うとおり、フォワード

登録の錠には言いわけのきくぶん、かえってよいかと思われた。が、実際に

始まってみれば、素人同然の男に本職も何も関係がなかった。そもそも技術

以前に体力が圧倒的に違った。

 錠はレギュラー組に次々とスピードでちぎられ、接触プレーで弾き飛ばさ

れた。ポストプレーヤーの高村はもちろん、小柄で接触に弱いと言われる枡

田相手にも力で押された。競り合うたびに転がる錠に、誰もが首をかしげた。

「何やってんだ、お前」

 同じサブ組の中羽の冷めた言葉が追い打ちをかける。

「これほどとはなあ」

 ベンチの監督も呆れ顔でぼやいた。

「まあ、しょうがないでしょう」

 ディフェンスにはカバーリングやマークの受け渡しなど、いくつか基本的

な決まり事がある。だが、錠にはそんなことは全くわからなかった。味方と

の連携もうまくいかないため、なおさら攻め込まれた。

 選手たちは監督以上に錠の経験値を知らない。

「お前がそっちにつくんだよ」

「そんなこと考えればわかるだろ」

 錠は相手に翻弄され、そのたびに味方に怒鳴られ、やり場のない思いでい

っぱいだった。

 こいつら、勝手なこといいやがって。わかるわけないだろっ。

 ディフェンスなんて未経験なんだ、そう言いたかった。しかし、そんな暇

もないほどに押し寄せる波状攻撃。

 組織プレーなんてくそくらえだ、俺を型にはめんじゃねえ。

 錠はやがて何かが壊れたように、ボールをそして相手を追いはじめた。ぶ

っとばして奪い取ってやる。そんな気概で飛びかからんとするも、しかし、

あっというまにちぎられていく。

 それでも、こんなに走ったことはないくらい走り回った。が、やがて足が

ほとんど動かなくなった。それでも追おうとするが、今度は足がつった。

 ここでゲームはストップした。

「さすがにもうダメみたいですね。選手たちの士気にもかかわるんじゃない

ですか」

「うむ、上がらせろ」

 肩を借りてピッチの外に出された錠は、横たわって痛みにうめいた。

 その日の練習後、選手たちの目は冷ややかだった。どんな秘密兵器かと思

っていたが、なんのことはない、見たとおりの素人だった。

「なんだあいつ、二十分もたなかったぜ」

「監督も何考えてんだか。あれじゃ、どこにも使えんぜ」

 周りの雰囲気は錠にも伝わった。

 来てくれっていうから来てやったんだろ。

 錠は屈辱に身を焦がし、他の選手への敵対心をさらに膨らませていった。

 翌日は全員が練習に復帰し、取材も許可された。

「なんてこった、秘密兵器が試合前に故障か?」

 足を引きずって歩く錠を見て、取材陣が一斉に寄ってきた。

「どうしたの、ケガ?」

 その質問に、そばにいた加瀬が割って入る。

「アマチュアだから回復が遅いだけや、はっはっは」

 加瀬は煙に巻くように笑って言った。

 錠はまた全体練習から外れ、この日のメニューはストレッチだけとなった。

 当然だが、記者たちも錠にはいろいろと疑問をもっていた。練習に入る代

表を見ながら議論が起こる。

「おい、あいつほんとに使えんのか」

「さあ、練習も別メニューだし、本人はなんにも答えないし、わからないな」

「学校の関係者も全然知らないって」

「本当に訪欧大なんかいな」

「高校も不祥だし、本当にド素人かも」

 やがて流本錠素人説が方々に流れはじめた。

 試合の三日ほど前のことだ。錠はいまだにチーム内で浮いた存在だった。

食事のあとも、空いた時間は一人で過ごした。錠がいつも行くのは、代表が

泊っている階の一つ上のラウンジだ。この日の夕食後も、ひとりソファにも

たれて目を閉じていた。

 錠が眠気に襲われはじめたそのとき、ラウンジ一体に聞きなれた言語が響

きわたった。

「お、流本錠じゃねえ?」

「うそ。わ、ほんとだ」

「な、いきなり会ったぜ、代表に」

 それは茶髪の日本人二人組だった。彼らは当たり前のように錠に近寄った。

髪を切った錠の姿は、すでに日本でも報じられている。

「なに、この階にみんないるの」

 どうやら応援に来たサポーターらしい。

「いや」

 まずいと思った錠はぼそっと答えた。

「俺がカトでこいつがミタ。秘密兵器らしいけどよろしくな」

「あ?」

 二人は錠の両脇に座り込んできた。

「出身どこ」

「高校どこでやってたの」

 いろいろと聞いてくる二人に対して、錠はまた眉間にしわを寄せた。

「お、なんだよ、怒ってるのかよ」

 錠はその場を去ろうと立ち上がった。

「うわ、なんだこいつ、やんのか」

 茶髪が慌てて構えたそのときだ。

「おい、どうした、何やってんだ」

 もう一人、日本人が現れた。今度は丸刈りの青年だ。

「やめろよ、選手に迷惑かけんなって言ってるだろう」

「だってゲン、こいつが」

「いいから、言うとおりにしろ」

 丸刈りの男の言葉に、二人はおとなしくなった。

 それを尻目に、錠は黙ってその場を離れた。

「なんだ、よろしくって」

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