第20話 当代聖女1

「ちょっとそこのお前、お茶がまずいわ。入れ直して!まったく、紅茶の一つも満足に入れられないなんて」

「そこのお前たち!何を見ているの?早く朝の支度の準備をなさい。このようなことも満足にできなくて侍女だなんて、嘆かわしいこと!まったく、もっと優秀な侍女を寄越して欲しいものだわ」


 紅茶を入れなおすため、侍女は青ざめながら部屋を出て行き、そばに控えていた三名の侍女が聖女の朝の支度にとりかかる。そもそも、勝手に動かれると目障りだから指示するまで黙って立っておくようにと言ったのは誰だったか。


 フランネル王国の王宮の南にある宮殿、聖女が滞在する“光の離宮”ではいつもの朝の光景が繰り広げられていた。いや、普段よりは“小言”だし、まだ物も飛んでいない。

今朝の離宮は、いつになく穏やかと言える朝だろう。


 “光の離宮”は当代聖女の在任期間中、聖女に与えられる離宮である。

 そのため、聖女がその任務に集中できるように、聖女が政治的に利用されたり、高位のものに何かを強制されたり害されたりしないようにと、聖女の権利や安全を守ることを第一に配慮されている。

 なぜならばこの離宮には、どのような高位の貴族であっても聖女の許可なく立ち入ることはできないからだ。

 離宮の門や扉の前にはもちろん騎士が警備を行っているけれど、入り口の扉は訪問して触れた人物が登録される魔道具になっており、その人物の入室を許可するかどうかを聖女が決めることができるのだ。そのため、聖女がその者の入室を認めないと判断すれば、その後の入室は叶わなくなる。

 就任当初、それらの説明を殊勝な様子で聞いていた当代聖女は「よく理解したわ」と頷いた。


 そして現在、その離宮の扉をくぐれるのはただ一人である。

 当代聖女に、聖女としての振る舞いを諭していた筆頭侍女も、慰問活動を行うよう再三促していた教育担当者も、離宮の予算について進言する担当政務官も、さすがに目に余ると娘の様子を窘めるために度々訪れていた侯爵夫妻はついに先月、聖女にとって耳障りな言葉を紡ぐ者たちは「用があれば呼ぶのでそれ以外の立ち入りは無用」と事実上の立ち入り禁止を言い渡されている。

 実に前代未聞の“光の離宮”なのである。


「今日の装いは少し地味だったかもしれないわ。あの方の瞳の色に…いえ、それはまだ早いわね」

「いいえ、やはりあの方の瞳の色に合わせるべきだわ!最も大切なことは、わたくしの気持ちをしっかり理解していただくことですもの。そうだわ!」


 そんなことを言いながら「ほほほ」と優雅に笑うのは、当代の聖女、エリザベータ・グランボワールである。ちなみに、今朝のエリザベータはたいそうご機嫌だ。


 エリザベータは鏡台の前に腰掛け、侍女に腰まである金色の見事な髪にブラシをかけさせながら今日の予定を考える。

 ーー髪を洗う前に丁寧にブラッシングを行うことは美しさを保つ秘訣の一つだと母に教えられて以来、エリザベータが欠かさずに侍女にさせている習慣の一つだ。美しくあるための努力は決して欠かさない。それは、エリザベータが何よりも優先すべきことでもあったーー

 湯浴みの後は、マッサージをさせて肌の手入れをさせ、仕上げに爪の手入れだ。そして今日のエリザベータを最も引き立てるメイクとヘアアレンジを施し、ドレスを纏うのである。


 やらなくてはならないことはたくさんある。淑女の支度には時間がかかるのだ。できの悪い侍女のせいで何か一つでも省くなど許されないのである。

本日の午後に待っている予定を考え、ぐずぐずしてはいられないわと気が逸るエリザベータだった。


「昨日選んだドレスはやっぱりやめるわ。そこのお前たち、青い色合いのドレスと小物類を全て持っていらっしゃい。後でわたくしが選べるようにそこに並べておくのよ。ジュエリーや小物類も全て。いいわね?」


 入り口付近の壁沿いに控えていた三名の侍女が一礼し、衣装部屋に向かった。


「何から何まで指示をしなくてはいけないなんて!わたくしは忙しいというのに…お前、もういいから湯浴みにして。わかっているとは思うけれど、ポメロー夫人がいらしたら、いつものようにお茶とお菓子をお出ししておきなさい」


 いいわね?と確認しながら、エリザベータは侍女を引き連れて続き部屋にあるバスルームへ向かう。



(はあ…今日も憂鬱だわ…)

 ため息をこらえ、心の中でこっそりつぶやくステイシーは光の離宮付きの侍女である。王城で侍女を始めて8年。侍女の中では中堅どころだ。

 王城はもちろんだが、離宮に配属する者はもちろん、下働きの者から侍女に至るまでも徹底した身分調査を行って安全が確認されており、ステイシーも例外ではない。

 ステイシーの実家は貴族とは名ばかりの地方の貧乏男爵家だ。まだ小さな弟妹がいる為、ステイシーは侍女を務めながら実家に仕送りをしている。ちなみに、一度だけ配置替えの希望を出してみたことはあるが、聞き入れられなかった。



「今日もあいかわらずね聖女様は」

「何言ってるの?今日は怒鳴り声もないし物も飛んでないのよ?だいぶマシな方よ」


 衣装部屋に向かう道すがら、同僚のカロラインとデリアの声が響く。下働きの者と侍女しかいないこの離宮だからこそ咎められない行為だった。


「あの子、大丈夫かしら…」


 青ざめていた侍女はこれまでにも度々聖女に怒鳴られたり物を投げつけられたりしている。


(確か私と同じように実家に仕送りをしていると言っていたわ。私と同じで辞めたくても辞められないに違いないもの。せめて離宮から外してもらえたら良いのだけれど)


「配置替えはきっと無理よ。今月に入ってすでに三人辞めてるんだもの。ただでさえここはひとがいつかないのに、配置替えの希望なんて通る筈ないでしょう?」

「今月の三人ね。退職届は受理されていなかったらしいけど、翌日から来なくなられたんじゃ仕方ないわよね」

「この4年間でいったい何人が辞めたかしら?」

「ステイシー、人のこと心配している暇はないわよ?いつ導火線に火がつくかわからないんだから」


 二人の言葉は、まるでステイシーの心を読んだかのようだ。

 カロラインは伯爵家、デリアは子爵家の出であり、一般的な貴族家によくあるように実家から行儀見習いに出されているらしい。しかし、カロラインの実家は伝統のある名家と呼ばれる家柄だし、デリアの実家は子爵家だがそのあたりの下手な侯爵家よりは裕福な資産家として評判の家柄だ。ステイシーの実家のように特にお金に困っているわけでもないので辞めようと思えばいつでも辞められるのだが、実家に戻ると嫁がされるのが嫌だからと侍女を続けていると聞いた。


「あ〜あ〜。先代の聖女様は良かったわね」

「カロラインだって魔力が多いのに、聖女選定に出ればよかったじゃない?」

「いやよ、私はそんな柄じゃないし、先代の聖女様の評判を聞いていたら誰でも尻込みしたと思うわ」

「先代の聖女様、穏やかで優しくて、聖女の鏡のような方だったわね」

「誰にとは言わないけれど、爪の垢を煎じて飲ませたいわね」

「本当に!当代になってから慰問活動は4年間たったの2回よ?それも治癒院は平民がいるからとか、自分は病弱で魔力を使うと倒れるとか…連日連夜、茶会に晩餐会に舞踏会にと出席しておいて、どの口が言うんだか」

「当代聖女サマのお仕事は社交らしいと評判よ。しかも、社交にかこつけて次から次に衣装をあつらえてるじゃない。私たちの血税を!!」

「ちょっとカロライン、さすがに大きな声で言いすぎよ」

「やだデリア、それって小さな声ならいいってことでしょう?」

「あはは、違いないわね!」


 二人の話を聞きながらステイシーも思い出す。


(本当に、先代の聖女様は素晴らしいお方だったわ…)

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