第32話 和睦の使者と援軍要請
義信が拠点を構える飛騨南部では、着々と織田軍を迎え撃つ準備が進められていた。
織田軍の進軍を遅らせるべく、街道には岩や土を積みあげ、その後方では幾重にも逆茂木や柵を立てて守りを固め陣地を築いていた。
「地元の者を徴収して、夜を徹して作らせた甲斐がありました。これなら、織田軍を迎え撃てることでしょう」
立ち並ぶ土嚢と逆茂木を見て、飯富虎昌が気を良くする。
そんな中、義信の元に小姓がやってきた。
「織田軍から使者が参りました」
陣に戻ると、織田からの使者が待っていた。
「我が主、織田信長から文を預かっております」
曰く、
『我らも公方様の上洛を手伝いたいゆえ軍を興した。武田様と一戦交えるつもりはないゆえ、安心してほしい。つきましては、我らも上洛軍の末席に加えて頂きたく、参上いたし申した』
とのことだった。
「なんと……」
これが正しければ、織田信長には戦意はないということか。
慣れぬ土地で倍の兵を相手に戦わずに済むのなら、それに越したことはない。
……だが、それはそれで都合が悪い。
「昌幸、この者を斬れ」
「はっ」
真田昌幸が刀を抜くと、織田軍の使者を斬り伏せる。
突然のことに飯富虎昌が目を剥いた。
「なっ……なにゆえ織田の使者を切ったのですか!」
「
仮に、ここで義信が織田と手を組んで上洛しては、義元を討たれた今川家臣たちが暴発しかねない。
また、義信自身も今川の領地を継承するにあたり、織田信長の討伐は避けては通れないものと思っていた。
下手に織田信長と手を組んで今川家臣たちの反感を買うくらいなら、最初から敵対しておいた方が都合がいい。
昌幸に命じて事切れた使者の首を斬らせながら、義信は遠くを見つめた。
「第一、勝てぬからな。正面から政争になっては」
義信らしからぬ弱気な言葉に、飯富虎昌がすかさず口を挟んだ。
「なりませぬぞ。お館様がそのような弱気では……」
「では、織田信長と手を結んで上洛をしたところでどうなる。畿内を制圧したとて、尾張美濃の織田領に領地を分断され、統治が難しくなるだけだろう」
また、現状織田信長が武田に匹敵する国力を持っているのも大きい。
国力が同等な者同士が同時に足利義昭の家臣となれば、幕府内で勢力争いをすることになるだろう。
そうなれば、領地が畿内にほど近く、商業を基盤とした織田信長が優位に立つことは目に見えていた。
「なっ……これはいったい何の騒ぎじゃ!」
足利義昭が陣に入るやいなや、声を荒らげた。
義昭の視線の先では、織田軍に返す首を作るべく、昌幸が使者の首を袋詰めにしていた。
「なっ、何をしておる! 首を袋に詰めて……。まさか、織田の使者を切ったのではあるまいな!?」
問い詰める足利義昭に、武田家臣たちの誰もが口をつぐんだ。
ここで本当のことを言っては、足利義昭から反感を買いかねないことは目に見えていた。
誰か、うまい言い訳を──
「いえ、袋に詰めているのではなく、
義信が前に出ると、足利義昭が首を傾げた。
「……どういうことじゃ」
「先日、織田方に和議を呼びかける使者を出しました。ところが、無惨にも当家の使者が首となって返ってきたのです。故郷を離れ、見知らぬ地で朽ちさせるのはあまりに忍びない……。それゆえ、この者を弔わんとしていたのです」
義信の言葉に、武田家臣たちが勢い良く首を縦に振る。
「そういうことだったのか……」
義信の言葉に納得したのか、足利義昭がほっと息をついた。
「信長が和議を拒むとあらば、戦にて応えるのみ。公方様の御身を危うくすること、心苦しい限りにございます。しかし、ここを堪えれば上洛が叶います。どうか、今しばらくのご辛抱を……」
神妙な面持ちの義信に感じ入ったのか、足利義昭が義信の手を取った。
「顔を上げてくれ。織田が攻め寄せたのは、お主が悪いわけではない。……私にできることがあれば、何でも言ってくれ」
「……もったいのうお言葉にございます」
義昭の温かい言葉に、義信が顔を伏せるのだった。
足利義昭が陣を離れると、義信は家臣たちを集めた。
「この戦、何がなんでも負けるわけにはいかぬ……。我らが勝利を確かなものとするべく、援軍を募るぞ」
「はっ、すぐにご隠居様に文を送りましょう」
飯富虎昌が席を立とうとしたところで、義信が止めた。
「いや、援軍は上杉に出してもらう」
「は!?」
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