第14話 時を忘れて
今日もよく晴れた日だ。
日差しは弱まって、冬らしい肌寒さがなんだか心地良い。
マフラーがちょうどいいな。
「おはようございます」
「おはようございます」
眼鏡の子といつもの挨拶を交わし、今日も一日が始まる。
なんか今からすでにドキドキするなぁ。
チャットで話してるもうひとりのゆっこん、どんな人なんだろう。
早く授業が終わらないかな。
◇◆◇◆◇◆◇
世界史の時間は先生のゆったり系の声のせいか、いつもならうとうとしてしまうのだけど、しのいだ。
たぶんこの特別な日に、気分が高揚しているのも関係してるんだろうな。
放課後は約束の時間まで、図書館で宿題などを済ませていた。
17時過ぎまでがんばり、夕日が西の空を赤く染めるころ、僕は約束の人を待とうと、予定より少し早めに帰路につく。
「あ」
17時45分。
帰りのバスでバス停に降りると、色とりどりの落ち葉がレンガの道を埋めている中で、夕日に染められたあの人が立っていた。
背までのストレートの黒髪。
ぐるぐるの大きな眼鏡に、膝下までの長いスカート。
「君は……」
「かなたくん……」
彼女の顔には、いつもの微笑はない。
いやむしろ、その表情にはどこか、思い詰めたような色を感じた。
「おはよう」
だからかもしれない。
僕は夕暮れ時のこんな時間でも、いつも交わしてきた挨拶の言葉を口にする。
すると彼女は大きな眼鏡の奥で、ふっ、と笑い、おはようございます、と言ってくれた。
「会いたかったよ」
「私も」
「よかったら」
「よかったら」
二人の言葉が重なる。
そして僕らは顔を見て笑い合う。
「夏向くんと一緒に帰りたいなって思ったの」
「僕も。君と歩きたかった。こっちの方向でいいの?」
「うん。双葉通りまで同じよ。妹の家と同じだから」
「妹さん……?」
その言葉で、もしかして、と思う。
「ふふ。申し遅れました。私、
目の前の人が黒髪を揺らして、ぺこり、と頭を下げた。
「えっ……双子……」
「うん」
初耳だった。
同じクラスの結由は双子がいるとか、一言も言わなかったぞ。
つーか、僕が情報に疎かっただけ? みんな知ってたのか?
「……でもそうか、だから『ゆっこん』なんだ」
そこで、急にすべてが理解できた気がした。
『ゆゆ』のあだ名がどうして『ゆっこん』になるのか、わからなかったところがあった。
『ゆゆ』ならそのまま呼ぶ方が多い気がしていたから。
そういうことなんだ。
「うん。私は目が悪いから、ゲーム中は眼鏡が手放せなくて。最近になって、コンタクトレンズも試しているのだけど……」
やっぱりαPEXは眼鏡の方がやりやすいの、と優恋さんは付け足した。
「なるほど」
「事務所に顔出しして配信した方が絶対いいと言われて、宝田さんと妹と相談して、こういう形になって」
つまりいつも姉の優恋がゲーム配信しているが、顔が映り込むトークの時は妹の結由が配信する、という具合。
先日のように顔出しでプレイする時は、手元の不自然さを宝田に指摘されたらしく、結由がゲームの方もやっているらしい。
優恋さんほどではないが、妹の結由もそれなりにαPEXができるので、視聴者の目はまだごまかせているそうだ。
「だから学校では妹が『ゆっこん』で、私は目立たないように過ごしているわ」
「なるほど」
そういう意味でも、あの眼鏡は都合が良かったのかな。
「もしかして、この間のYちゃんって……」
僕が訊ねると、優恋さんは頷いた。
「あっちが私。『ゆっこん』はあの日だけ、結由が操作していたの」
「そうだったのか……」
どうりでYちゃんの方にばかり、息が合ったわけだ。
まあ正直に言えば、あの日はゆっこんより、誰か知らないYちゃんが異様に頼もしいと感じていた。
今、このしっとりとした声を聞いてもわかる。
僕が動画を見て、ずっと好意を寄せていたのは結由じゃなく……。
「結由のがかわいいでしょ」
大きなメガネをわずかに下げながら、優恋さんが僕を上目遣いに見る。
「そんなことないよ。眼鏡とか別に気にしないし」
「結由ね、夏向くんが好きなの」
「……えっ!?」
僕は我が耳を疑った。
まさに青天の霹靂、というやつだった。
「双子じゃなくてもわかるわ。だって、ディズニーランドに誘うくらいなのよ」
「あ、ありえないよ。結由、あんなに人気者なんだよ。僕なんかに……」
僕はさすがに動転していた。
ゆっこん、いや結由は大物配信者なだけじゃない。
あれだけの外見の持ち主だ。
当然、学校内の人気はアイドル並み。
男なんて選びたい放題。
同じクラスの陰キャの僕をわざわざ選ぶ理由なんて……。
「ふふ、慌ててる」
「そりゃ慌てもするよ」
「付き合ってあげて」
「……つ、付き合う!?」
いやいやいや、彼女いない歴17年の僕ですよ!
あんなすごい人とつきあ、あわ、えれるわけな……
「あの子、私と違って視力は両方1.5あるの……きゃっ」
そこで優恋さんが足元の凹凸につまずいた。
とっさに優恋さんを支えようとしたけれど、体勢が悪かったのもあって支えきれず、身を挺する形で僕も一緒に倒れ込む。
――ドサドサ。
「……だ、大丈夫?」
僕たちは重なるようにして倒れていた。
男子力を発揮して、なんとか優恋さんと地面の間に割り込むことができたのは幸いだった。
「ご、ごめんなさい」
「僕は平気だよ」
受け止めただけだから、全然大したことはない。
でもふんわりと香る石鹸の香りに加えて、彼女の柔らかい感触がすごくて、胸が早鐘のように高鳴っていた。
「………」
「………」
優恋さんの頭が僕の顎のところにあって、脚は絡み合っている。
そのまま、3秒、4秒、5秒と経っていく。
本当はすぐ離れるべきだとわかっていた。
けれど……。
でも優恋さんもどうしてか、動かずにいた。
――きゅっ。
いや、離れるどころか、彼女は抱き合う腕に力を込めた気がした。
「………」
僕は無意識にそれに応える。
ただ、そうしたかったから。
「………」
そうやって、二人は静かに抱き合う。
なにかを伝え合うように。
すべてを忘れて。
そうしている間のことだった。
僕の左頬に雫のようなものが落ちた。
それは僕の頬を濡らして、顔に沿って耳の方に落ちた。
「……優恋……さん?」
彼女の顔を見ようとした時。
「あんたら、何しとんの」
犬を散歩させていた老人が近くに来て、僕たちに不思議そうに声をかけた。
だが、すぐに「ああこりゃ失礼、邪魔したのぅ」と言って、背を向けて去っていく。
僕たちはここで、我に返った感じだった。
「……ごめんね。見づらくて、よくつまずくの」
そう言って、優恋さんが僕から離れて立ち上がろうとする。
それと同時に、僕の首元にポトリと何かが落ちてきた。
彼女のメガネだった。
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