中章

西城有栖の叫び

 私は、死にたいと切実に願った。それはなぜか、答えは簡単だった。私の愛していた、たった1人の先輩。柳沢秀先輩が死んでしまったから。いや、正しく言えば死んだと言うよりかは脳死判定を貰ったと言った方が正しいだろう。脳が機能を停止してしまった。脳死というものだった。


 彼は1週間ほど前、私を庇って交通事故に遭い、意識を喪失。医者は死力を尽くして秀先輩を救おうとしたが、その努力も虚しく、秀先輩は脳死判定をもらってしまった。


 彼が意識を失ってからは、段々と自分の心が壊れていくのがわかった。自覚できた。もう何も感じない。何も思わない。何も考えたくなかった。だから私は今日も学校を休んだ。


 先輩が私なんか庇わなかったら、もしかしたら結末は違ったのかも知れない。そう思わずにはいられない。先輩が死ぬくらいなら私が死んだ方が良い。何度も、何度も何度もそう考えた。そうして私は部屋を出て歩き出した。


 そして、私は今マンションの屋上に来ていた。屋上から見る景色は殺風景で、でも今から私がしようとしていることに比べれば眩しくて、だから私はその眩しさから逃れるように手で顔を覆い隠す。辛かった。寂しかった。そして、罪悪感がすごかった。だから私は生きる気力なんて無くしてしまった。


 今すぐにここから飛び降りれば、もう罪悪感や喪失感に苦しまずにすむ。だから私は飛び降りようとして、少しずつ前に進む。一歩。また一歩と歩みを進める。あと少しで空中に身を投げ出す、と言うところで私の声を呼ぶ声が聞こえた。


「やめなさい!有栖!」


 その声は母親のものだった。どうして止めるのだろうかという疑問が頭に渦巻く。だから私は振り返らずに叫んだ。


「やめて何になるの!?私が大好きだった秀先輩はいなくなっちゃったの!私の生きる意味がなくなっちゃったの!!そんな世界で、どうやって生きれば良いの!?」


 私の頬には涙が伝う。想いを叫べば叫ぶほど、ダムが決壊したかの如く、止まることを知らずに流れ出る。だが、泣いても気が休まることや、乗り越える決意をすることができなかった。だから私は死のうとした。


「確かに有栖にとって生きることは酷かもしれない。けどね、死ぬことはもっと愚かなことなのよ!?あなたの好きな秀さんだって、そんなことを望んで庇ったんじゃないのよ!?」


 ひどい。ひどいよ神様。神様っていうのは乗り越えれない試練は与えないんじゃないの?私には乗り越えられないよ。だって、私の命よりも、なによりも私は秀先輩が大好きだったから。


 私は全身の力が抜け、その場に倒れ込む。母さんは慌てて駆け寄ってきて、そんな私を抱き止めてくれた。その抱擁は、本来暖かいものなのだろう。だが、そんな暖かさや、温もりなど、微塵も感じなかった、


 神様。本当に乗り越えれる試練しか与えないというのなら、最後にもう一度、あと一度で良いので、夢でもいいから先輩に、秀先輩に合わせてください。これが最初で最後のお願いです。だからどうか、この願いが、届いてくれますように。


 そう願い続けていると、体は今までの疲労が溜まっていたみたいで、私は意識を失うのであった。


 


 私は目を覚ます。秀先輩と会うことができる夢なんて見ることができなかった。神様はどうやら思っていたよりも残酷らしい。こんな悲劇を経験したのにも関わらず、夢も見させてもらえない。こんな残酷な世界で、私はどうやって生きたら良いのだろうか。そう思うと再び涙が溢れ出る。どうして、生きなきゃいけないの?どうして母さんは私を止めたの?私の気持ちなんてわかるわけがないのに…


 そう思いながらも、呆然としながらその日を過ごし、気づけば夜が開けていた。一睡もすることはできなかった。そうして思い出す。1週間前からほとんど寝ていないことを。寝れるわけがなかった。眠くもならないし、身体的な苦痛は全く感じない。感じるのは心の痛みのみ。


 私は夜が開け、少しだけ明るくなってきた空を見つめながら、呆然とつぶやいた。


「学校………行かないといけないのかな…」


 行きたくない。切実にそう思う。死ぬことができないのなら、今はせめて1人でいたかった。だが、私はお世辞にも成績が良いとはいえなかったため、そろそろ出席しなければ単位を取れない可能性が出てくるのだ。なんせ、1週間も学校に行っていないのだ。成績が心もとない。


 だから、私は喪失感を全身に浴びながら制服に着替える。


「あら?学校行くのかしら?」


 リビングに着き次第、母さんにそんなことを言われる。鬱陶しかった。だから冷たく言葉を返した。


「私が行きたくないって言ったとしてもそろそろ無理矢理にでも連れていったでしょ…」


「まあ、そうなってたかもしれないわ。」


 大人というのはなぜここまで子の心を考えないのだろうと、そう思ってしまった。


「それじゃあ言ってくるから。」


 私は端的にそう告げ、家を出ようとする。


「あんた、ご飯は?」


 母親の叫ぶ声が聞こえるが…


「いらないから。」


 そう冷たく言い放ち、私は外に出た。季節は冬。先輩の死で私の心は冷え切ってしまった。だが、そんな私の心に追い討ちをかけるかの如く、冷たい空気は、これでもかと言うほどに私の心や体を冷やしてくる。だが、そんな程度の冷たさ、気にならなかった。何も感じなかった。無機質だなと自分でも思った。




 学校の正門に到着すると、1人の男が話しかけてきた。


「お、有栖ちゃんじゃん。」


 話しかけてきたのは、秀先輩の大親友であった森近真夏先輩だった。真夏先輩の姿を見て、罪悪感がさらに立ち込めてきて、少しだけ吐き気を覚えた。


「………どうしたんですか…」


 私は何用かと聞いた。


「別に、用なんてねぇよ。仲が良かった後輩に声をかけることなんて普通だろ?」


「……そうですね。」


 私は思う。私のせいで秀先輩が死んだとは言え、なんでここまで普通に過ごすことができるのか。そう考えると、私が悪いのにも関わらず、怒りという感情が立ち込める。


「まぁ、俺もお前も同じくらいショック受けてるだろうけど、そろそろ立ち直れよ。」


「……先輩には関係ありません。」


 すると真夏先輩の雰囲気が変わった。


「関係ない、ねぇ。まぁ、そういうなら学校無理してこなくていいんじゃねぇの?単位なんて週が『死んだ』ことに比べれば安いもんだろ。」


 真夏先輩はなぜか死んだという言葉を強調してきた。


「そんじゃ、俺はもう行くわぁ。」


 ぶっきらぼうにそう告げ、去ろうとする真夏先輩に、私は聞いてしまった。


「なんでそんなに普通に過ごせるんですか?真夏先輩は何も感じていないんですか!?」


 それは怒号だった。私が発する権利のない怒号だった。ゆえに真夏先輩は振り返ってきた。その顔は歪んでいた。


「お前がそれを言うなっ!」


 ものすごい剣幕で怒鳴られ、私や周りにいる人は萎縮する。


「お前があの日秀と出かけなければ死ななかっだだぞ?お前が庇われないで、お前が死ねば秀は死ななくても済んだんだぞ!?」


 見れば、真夏先輩の目には涙が浮かんでいた。そして、私は自分の犯した過ちを自覚する。


「…す、すみません…言い過ぎました。」


 すると真夏先輩も我に帰ったかのような顔になる。


「わ、悪い…俺も少し言いすぎた。大人気なかった。」


 沈黙が場を支配し、気まずい空気が流れる。


「私、もう行きます…」


 そう告げ、私は教室に入るために昇降口に向かうのだった。その間、真夏先輩は立ち尽くしていた。


 普通のわけがない。今更それに気がついた。大親友が死んでしまい、普通にいられるわけがない。私は愚かだ。秀先輩について語る権利なんて、私は持ち合わせていなかったのだ。


 それに気づき、私は心にポッカリと穴が空いた気分になり、喪失感を引き摺りながら教室のドアを開けるのだった。


 視線が痛かった。ドアを開けた途端に殺到する視線。当たり前のことだろう。ドアが開いた音がしたから、誰が入ってきたのかを確認するために視線を向ける。日常茶飯事の出来事だ。それでも、みんなからの視線が痛かった。


 肌にひりつくような視線を感じながら私は自分の席いついた。それから私は何も考えるような気分じゃなかったため、ホームルームが始まるまでは机に突っ伏して過ごした。


 ガラリとドアが開き、担任の先生が入ってくる。


「起立。」


 号令係の声で全員が立ち上がる。私も遅れて立ち上がる。


「礼。」


 そうしてみんなは先生に礼をして、席に着いた。それからはいつも通りの連絡事項を説明してから終わる、はずだった。


「最後に西城はこの後先生のところにくるように。それじゃ終わります。号令。」


 何か呼ばれるようなことをしただろうか。いや、声劇の話に違いない。そう思った私は号令が終わり次第先生の元へ行った。


「場所を変えよう。」


 そう言われて、私は先生の後ろをついて行った。その間、会話はなかった。


 相談室のような場所につき、私と先生は向かいに座った。


「まず、お前が休んでた理由は把握している。」


 最初に言われた言葉はそれだった。私はその言葉に、返答しなかった。


「柳沢秀。だろ?」


 ビクリと体が少し跳ねる。その名前を聞き、体と心が反応する。


「確かに悲しい事件だ。西城を庇って亡くなるとは、お前の罪悪感も凄まじいだろう。」


 やめてほしい。心の底から思った。それ以上秀先輩の話をしないでほしい。切実に訴えたかった。だが、声が出ない。出なかった。


「だが、お前は成績が良いとは言えないんだ。これ以上休むのはよしておいた方が良い。」


「………ぁ…」


 掠れた声しか出なかった。先生はそれを言うためだけにここに呼んだのだろうか。人間の皮を被った悪魔だと、私はそう思ってしまった。だって、人の心を抉るだけ抉って、学校に来いと催促する。そんなもの悪魔の所業以外あり得ないから。





 先生の呼び出しが終わり、私は授業を受ける気にならず、早退した。先生には止められたが、体調が悪いのは本当のことなので、家に帰ることにした。


 家に着き、鍵のついたドアを開ける。すると、リビングから母さんが悲しそうな顔をして出迎えてくれた。


「……おかえり。」


 両手を広げて私を待つ母さん。そして私は、飛び込んだ。そして泣いた。泣いて泣いて泣き続けて、その間母さんはずっと私の頭を撫で続けてくれた。だが、その手は、その温もりは冷え切っていて、暖かさを感じることはできなかった。その事実が、さらに私を傷つけた。




 それから私は部屋で怠惰に過ごした。そうして夜ご飯も食べずに部屋で呆然としていたら、気が付けば寝てしまっていた。


 ピコン、と、大きな携帯の通知が鳴った。私はその音で起きた。そして、誰からかを確認するために携帯を持ち、画面を開く。瞬間、心臓の鼓動がこれでもかと言うほどにうるさくなった。だって、そのメールの差出人のところに書かれていた名前は


『柳沢秀』


 と書かれていたから。私は何度も何度も操作ミスを繰り返しながら、メールを開いた。そこにはこう書かれていた。


『柳沢秀の父親です。最後に秀を幸せにしてやりませんか?もしこの誘いを受けてくれるのなら、明日の夜に家で待っています。』


 意味を理解できなかった。秀先輩は死んだ。いや、正しくは脳死だが、死んだようなものだ。なのにどうやって幸せにするのだろうか。そこで、一つの可能性を思いついた。


 秀先輩の父親は、よく物を作っていた。そして、それで生計を立てていた。先輩の父親が作るものは革命的なものばかりで、よく売れていた。ゆえに、何かを作ったのだと考えた。


 私は迷っていた。だって、秀先輩を幸せにしたいからから。でも、その言葉が本当かわからない。嘘だったとして、傷つくのは私と秀先輩だ。私は良いかも知らないが、これ以上秀先輩を傷つけたくなかった。私のせいで辛い思いをさせたくなかった。だからこそ迷った。だが、答えはほぼ決まっていた。


 私は明日の夜に、秀先輩の家に行くことにした。

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