ep-4 姫と俺、旅立ちの日
「ブッシュ殿……」
旅姿のじいが、俺を見つめた。
「姫様のこと、くれぐれも頼むわい」
「そっちも気をつけてな」
「おう……」
王宮前庭で自分を待つ馬車を見ながら、にやりと笑う。
「ブッシュ殿の戦略、大当たりじゃのう」
じいの摂政就任があっという間に決まり、今日は公国への出立日。そして俺チームの旅立ちの日でもある。
今日の見送りは、姫の側近チームとわずかな関係者だけ。じいの摂政就任はともかく、姫の出立はあまり大事にしたくなかったからな。忙しそうに中庭を行き交っているのは、馬車荷造りの侍従や侍女だ。宿屋おやじのサバランは見送りに来たがったが、王女バレはヤバいので遠慮してもらった。
「さすがはブッシュ殿。戦略構築させたらピカイチじゃのう……。先方の対応があまりに想定通りなので、思わず笑ってしまったわい」
「まあ俺は底辺社畜だったんで」
「シャチークか……。そのジョブ、わしも体得してみたいものじゃて」
瞳が笑っている。
「ブッシュ殿はこのまま王宮中枢に残ってもらいたかったがのう……」
残念そうに溜息をついた。
「その能力、国のために使ってもらいたかったが……」
俺はふと、過去を思い出した。この世界への転生初日、追い剥ぎに遭った下着姿のまま、スラムで汚水に浸かっていたときのことを。あそこで「将来の主人公」マカロンに出会わなかったら俺、どうなっていたんだろう……。
「じゃが仕方ないのう。ブッシュ殿は世界を見て回りたいということだし」
「申し訳ない。俺はマカロンを立派な勇者に育てたいんです。ティラミスと一緒に」
「あれが将来の勇者か……」
壁を這うトカゲを捕まえて口に入れようとしているマカロンを、じっと見ている。ティラミスが取り上げそっと壁に放してやると、トカゲはひとつお辞儀した。
「そうは思えんのう……。ただの無邪気な田舎の子供じゃて」
「言ったろ」
ガトーがじいの肩を叩いた。
「あの子供がデーモンロードと魔王傀儡と首を落とした。俺は目の前で見ていたからな」「ところで、始祖のダンジョンでブッシュ殿を裏切り、今回娼館潜入に力を貸したクイニーとかいう小悪党はどうしたのじゃ」
「逃げた」
ガトーは苦笑いだ。
「たとえ相手が魔王の使いだったとしても、あいつはブルトン公国トップふたりの失踪に関与したからな」
ふたりの失踪に関与した俺達のうち、娼館の生き残りが知っているのはクイニーだけ。たとえ「クイン」という偽名を使っていたにしても、あの国に残れば殺されるリスクは高い。
「それにもちろん、始祖のダンジョンで俺達、チューリング国王の正式パーティーを裏切った。チューリング王国にも居られるはずはない。あいつには、小賢しい知恵がある。うまいこと口八丁で、貨物船の下働きに潜り込んで海に出たよ」
「そのまま逃しておくのかのう、ガトー」
「あいつの首筋には俺が爆弾を仕掛けてある。なんとなればいつでも殺せる。……で」
ガトーは俺を見た。
「ブッシュ、お前はどうすればいいと思う」
「なんだかんだ言って今回、あいつは俺を助けてくれた。それが悪党なりの仁義の通し方だと言ってな。まあほっておこう」
「そう言うとは思っていた」
瞳を緩めた。
「世界は、あらゆる存在の魂と運命の撚り紐でできています」
ティラミスが俺を見上げてきた。しっかりマカロンの手を握っている。ほっとくと、食べられる雑草とかバッタとか口に入れちゃうからな。ホームレス時代からの習慣で。
「こちらの運命に絡んだ以上、必要がない限り、放置しておきましょう。いずれ……」
もうひとつの手で、俺の手を握ってきた。
「いずれまた、運命が交差するかもしれませんし」
「守護神殿が言うなら、そうなんじゃろうな」
しゃがみ込むと、じいはマカロンの頭を撫でた。
「マカロンちゃん、姫様をよろしく頼むわい」
「まかせておじいちゃん。お姫様は、あたしとパパ、それにママが守るよ」
「ボクだっているからねーっ」
プティンが宙であぐらを組んだ。
「姫様専門の守護妖精だよ。それにもうひとつの任務も……」
言いかけて黙った。
「なんだそれ、プティン」
「そ、それはねブッシュ」
慌てたように、プティンが俺の胸に潜ってきた。
「ブッシュ一家も守るって任務だよ」
「プティンにも困ったもんじゃのう」
じいは溜息をついている。
「しっかりしてもらわんと困るわい」
「ごめんねーっ。でももう大丈夫だから」
「姫を守るのは、ブッシュ殿だけでなくお前の責務であろう。軽々しく口にするでない」
じいは、どうにも心配なようだった。
「ブッシュ様……」
旅人姿のタルト王女が、王宮から出てきた。準備が整ったのだろう。
「お待たせしました」
「わあ、お姫様、きれい……」
マカロンが呟いた。
まあ実際そうだ。地味な魔道士姿。フードを目深に被って髪や顔を半ば隠してはいるが、隠すべくもない美しさが溢れている。魔道士姿にしたのは、パーティーで最安全な位置で守られていても不自然ではないからだ。道中、姫の安全は最優先事項だからな。
「マカロンちゃん、今朝も元気ね」
遠慮会釈なしにべたべた服を触ってくるマカロンの頭を、姫様は優しく撫でている。
遠い縁戚の王国に、タルト姫はしばらく滞在する――。それが、姫様不在に関する公式発表だ。理由は静養と勉学のため。道中の安全管理のため大々的な出立式はなく、実は既に現地に到着済み――。ということになっている。
限られた王宮の面々は知っているが、もちろん身元がしっかりし口の堅いスタッフだけだ。
「ブッシュ、馬車の準備できたわよ」
ノエルが声を掛けてきた。例によって、家族旅行馬車の外見に偽装してある。荷物を積んでいたスタッフは王宮内部に姿を消し、近衛兵が周囲を守っているだけになっている。
「では行きなされ、ブッシュ殿」
じいに促された。
「そちらが出てからしばらく置き、わしが出発する。その際はわざと仰々しい摂政就任の出立儀式をするから、国の注目はこちらに集まる。ブッシュ殿や姫の馬車など、誰も気にしやせんわい」
そのとき、近衛兵がざわついた。王宮出入り口に視線が集まり、数人が慌てたようにそちらに駆けている。
「おう、見事に家族馬車じゃのう……」
近衛兵が向かう先を見ると、五十代も半ばの大男。苦労が多いためか年齢の割に髪は白く変色し、皺も多い。馬車の前に立つタルト姫を見て、相好を崩している。
「お父様……」
タルト姫が駆け寄る。チューリング王国国王。お付きの近衛兵を従え、今まさに中庭に出てきたところだ。
――なぜ……。
俺は少し焦った。国王の登場は予定外。ここに来て急に王の気持ちが変わって出発中止とかだろうか。ここは王国。国王の決断には、誰にも逆らえない……。
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