ep-3 ソウルメイト
「ブッシュさん、起きていますか」
ティラミスの声で目が覚めた。王宮の朝。ティラミスは、俺があてがわれた部屋の外、廊下から聞こえていた。
「あ、ああ……」
「お付きの人が、お茶を持ってきてくれましたよ。マカロンと一緒にどうですか」
「ああ、今行く」
体を起こした。
大きな寝台。俺の左隣のシーツは、誰かが寝ていたかのように凹んでいる。
「もういないのか……。そりゃそうだな」
タルト姫は多分、夜明けにでも自室に戻ったのだろう。まあ当然だ。
寝台には、王女の香りが移っている。いつぞや妖精プティンが自慢していた、タルト姫のいい香りって奴が。
「姫様……」
枕に一本、長い毛が落ちていた。心残りの象徴のように。
「……」
昨日はふたり、この寝台で抱き合って眠った。
いや、最後の一線だけは越えなかった。それが仮にあるとしても、俺が姫を本当に救ってからの話だ。救えないかもしれない。そのときは姫はどこかの貴族か王族と結婚することになる。俺が今手を出して、王国のためになるとは思えない。
「それにしても、夢のような一夜だったな」
信じられないほどかわいい女子と抱き合って眠るなど、前世の底辺社畜時代の俺にはあり得なかった話だ。
ふたり寝台に入ると、王女は俺の腕に頭を乗せた。おずおずと俺の体に腕を回してきて寄り添い、胸に顔を埋めて。
抱き寄せて、背中を撫でてやったよ。優しく。傷つきやすい初夏の桃を扱うように。手の動きに合わせ、姫は俺の名前を口にした。吐息と共に。繰り返し。やがて眠りの国に
「まあ夢だ。そう思おう」
なに、姫は俺に気持ちを伝えたかっただけだ。別に俺としたかったわけではない。
むしろ、男である俺のほうが辛かった。とびきりかわいい女子を胸に抱き、その体温と吐息、柔らかな体を感じながら、手を出さなかったんだからな。俺、悪魔の誘惑にも耐えられる修験者並だな、マジで。
……というか、寝入った姫の夜着に手を差し入れ、胸くらい触ってみればよかったか。我慢したんだ。そのくらいのご褒美があってもいいわな。考えたら俺、女子の胸とか前世含め一度も触ったことないし……。
ほっとひとつ溜息を漏らすと、夜着を脱ぎ、服に着替えた。
「今行くよ、ティラミス」
●
朝食の席に、タルト王女は姿を現さなかった。公務多忙のためということだった。今後の発表の段取りやなんやかやをガトーやじいと詰めて、サバランの宿に戻った。
今回の任務は、王国の機密に関わることだ。王女のクエストを完遂したことだけ、サバランには教えた。サバランのおっさん、我が事のように大喜びだったよ。いや、底辺冒険者だった俺が大役をこなしたからじゃあない。ノエルが解放されると知ったからだ。
そしてなにより、ティラミスとマカロンという「わしの孫」(サバラン談)が、もう危険な目に遭うことなく、「じいじ」(サバラン談)と毎日遊んでくれるからだそうだ。なんというか……俺はどこにでも好きなところに行け――という空気だったわ。
もう目的は達したというのに、妖精プティンはなぜか俺についてきていた。どたばたの一日が終わり風呂を使うと、当然の権利といった顔つきで俺にくっついてきた。
「はあー……。王国を救ってのお風呂は、いつにも増して気持ちいいねーっ、ブッシュ」
潜っての「観察」は、今日はしないようだ。湯船の中、俺の胸に背中を押し付けて、ご機嫌で謎の歌など口ずさんでいる。
「ティラミスとマカロンも、一緒に入ればいいのに。ちょっと狭いけど、四人くっついたら湯船にだって入れるよ」
湯船の湯を手で救うと、口に持っていく。
「うん。鉱泉のお湯はおいしいねー。ブッシュの出汁も利いてるし」
チラと俺を振り返る。
「冗談なんだから、笑うくらいしなよ。なにぼーっとしてるのさ。せっかくこんなかわいい娘が、一緒にお風呂してあげてるのに」
ちっこいなりに、怒ってるわ。
「……まあ仕方ないかな。一国の王女に慕われるなんて、男として最高の栄誉だし。思い出してるんでしょブッシュ、昨日の夜のこと。ぷぷっ」
手を口に当てて喜んでやがる。
「知ってんのか」
「そりゃあね。深夜、居ても立っても……って感じで王女様、部屋を出たからね。ボクも応援したんだよ」
「姫様をけしかけんなよ。かわいそうだろ。タルトはただでさえ窮屈な王宮生活に
「だからこそ、ブッシュに甘えたくなったんじゃん」
「……というか、やっぱりあれ、夢じゃなかったんか」
「夢のわけないよね」くすくす
「だよな……」
俺の胸を押す、柔らかな胸。
「いややっぱ夢だろ。こんないいこと、俺の身に起こるわけない」
底辺社畜だからな、中身。
「それより、これからどうするのさ」
「姫のことか」
「違うよ。ブッシュのことだよ。もう……」
腕を組んだ。
「ブッシュったら、姫様とひと晩過ごして頭の中、ハッピーカラーじゃん」
「エッチなことはしてないし」
言い訳してから考えた。これからのことは、もうざっくりは決めてある。
「姫様やじいの前で提案しただろ。冒険者として、俺は王家の案件をこなすさ。俺とティラミス、マカロンとで。マカロンを立派な勇者にする義務が、俺にはあるからな」
それに王家案件なら、王女に報告できる。辛い立場の王女に、あることないこと面白おかしく語ってやるわ。これも人助けだ。
「パーティーはどうするのさ。ブッシュファミリーだけだと、バランスが悪いよ」
「それはわかってる。だから案件の内容に応じて、ガトーやエリン、ボーリックに頼むことに決めてある」
全員、快諾してくれたし。元々パーティーにいた、重戦士タルカスからも好意的な申し出を受けている。
「ノエルは誘わないの。どんなパーティーでも、回復魔道士は最重要ポジだよね」
「というか、ノエルは固定メンバーだ」
ノエル自らも、志願してくれたからな。天涯孤独の身の上だから、これからも俺と仲間でいたいと。
「ふーん……」
改めて、俺の胸に背中を押し付けてくる。
「なら五人パーティーは固定だね」
「五人? 四人だけど」
「ボクがいるじゃん」
「えっ……お前、王女のソウルメイトだろ。ずっとついてないと、いけないんじゃないのかよ。王女を守る盾役でもあるわけだし」
「王女様に頼まれたからね。これからもブッシュを助けるようにって」
「へえ……」
正直、妖精がついてくれれば心強い。ダンジョンでの道案内から敵を感知するレーダー役、さらには戦闘中に強力な魔道士としても活躍できるからな。でも……。
「けど……いいんか。王女もそれで」
「いいに決まってるでしょ。そうすれば姫様も慰められるしさ」
「どうしてだよ」
「前言ったじゃん。ボクと姫様は魂が繋がってる。ボクの見聞は姫様、手に取るようにわかるからね。わくわくする冒険を、疑似体験させてあげるんだよ」
「はあ、動画見るみたいな感じか。テレパシーだけじゃないんだな」
「まあね。ボクの力だよ」
プティンは、形のいい胸を張ってみせた。
「姫様が見る気になったときとか、ボクが教えてあげたとき限定だけど」
「いや……ちょっと待て」
嫌な予感がする。
「まさかとは思うがプティンお前、俺と風呂に入ったとき……」
「っへへー。潜って近くから全部、姫様に見せてあげてたー」
「この野郎……」
「ひたいひたいーっ」
俺に頬を摘まれて、手足をばたばたしている。湯がばしゃばしゃと飛び散った。
そういや姫様、最初に王宮で飯食った日、俺の下半身見て顔赤くしてたわ。あれはその前に全部確認してたからかよ。これは恥……。
「なんてことすんだよ」
「怒らない怒らない。これも教育だよ。姫様は箱入りだから、男の人のこと、なーんにも知らないからね。ボクが教えてあげなきゃ」
「いくらソウルメイトでも、そりゃ余計なお世話ってもんだ」
「いいんだよ、姫様も興味津々だったし」
「ますます恥だわ。……てか、性教育に俺を巻き込むな。模型とか絵でいいだろ」
「ボクだって男の人の形、知らないし。ブッシュのおかげで全部記憶できたわけで」
頭が痛くなってきた。
「怒っちゃダメだよ、ブッシュ。だからさ、王宮に囚われの姫様の代わりに、ボク達が冒険して、世界を見てあげるんだよ」
「なるほど」
タルト王女との約束の件がある。そこは賛成だわ。
「男の人の形も、もっと見せてね。特に……大きくなったバージョンは、まだ見せてもらってないし」
「知らんがな」
やっぱり頭が痛い。
「ノエルに姫様かあ……。へへーっ」
「なんだよ、変な顔して」
「ブッシュ、モテるね」
「はあ?」
「だってそうでしょ」
ちゃぽんと湯を出て飛んでくると、俺の耳に囁く。
「ボクわかるよ。ボクは恋の妖精だからね。姫様はブッシュのこと、一生の相手に決めている。ノエルもブッシュに心惹かれてるもん。それに……ティラミスね。神様だけど、人間の体に顕現してるでしょ」
「だからどうした」
「だから徐々にブッシュのこと、好きになってるみたい。人間の体に影響を受けて」
「そうなのか」
「そうそう」
真面目な瞳だ。冗談を言っているようには見えない。
王女が俺に好意を持っているのは、よくわかっている。なんせひと晩抱き合って寝たくらいだし。ノエルはどうかな。ダンジョンではみんなにからかわれて赤くなってたけど、吊り橋効果とかあるだろうし。それにティラミス……だと? いや。いくらなんでも、そりゃ違うだろ。そういうオーラは感じたことがない。
「そんなこと言われても、よくわからんし」
特にティラミスは。
「それにボクも」
意外なことを口にする。
「はあ? お前妖精だろ。人間じゃないじゃん」
「言ったでしょ。ボクと姫様は魂で繋がっている。一心同体だよ。ブッシュを思う姫様の心が、ボクの精神にも影響を及ぼしてるんだ。正直、ボクも昨日の晩、姫様といっしょにブッシュと抱き合いたかったし」
「いや無理だろ。お前、フィギュアサイズじゃんよ」
「前に教えたじゃん。恋人と過ごすときはボク、等身大になれるし」
「あれは冗談だって、自分で言ってただろ」
「冗談だって言ったのが、冗談。あれは本当」
「この野郎……。ちっこいくせに人様を手玉に取りやがって」
「ひたいひたいーっ」バタバタ
ひと通りお仕置きすると、プティンを湯船に戻してやった。体が冷えたらかわいそうだからな。
まあ、なんやらわからんことが多すぎる。もうそれはいいわ。俺がどうにかできる話でもないし。
とにかく俺は、マカロンを育てる。それが、この世界に転生した俺の役割なんだろうからな、多分。もしかしたらそのために俺、この世界に召喚されたのかも。誰か知らん存在によって……。
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