04

「今日は駄目だ……」


 もう全体的に重くてここから動きたくなかったぐらいなのに体育とか移動教室が重なって弱っていた。

 ただ、教室では近づいてこない五十嵐さんが今日ばかりはありがたい、平気なふりをする余裕もないのだ。


「伊藤、顔色が悪いぞ」

「寒さが得意じゃなくてね」

「そうか、だけど調子が悪いなら無理をしないで保健室に行っておいた方がいいぞ」

「心配してくれてありがとう」


 うん、今日に限って言えば寒いと感じているわけだからいまのは嘘ではなかった。

 それでも体育なり移動教室なりをなんとか乗り越えてきたわけだから苦しい時間がもうあまり残っていないというのがいい。


「伊藤君、もう諦めて」

「先輩が来ることよりも珍しいことが起きたよ、それとも調子が悪いから夢を見ているのかな?」

「夢じゃないよ、保健室に行こう」


 保健室か、利用したことがないから行きたくないとかそういうこともないけどなんとなくここで諦めたくなかった。

 辛くなっても自業自得ということでここはなんとか見なかったふりをしてもらえないだろうか、どうせ明日は土曜日だから諦めて休んでしまうのはもったいない。

 なんにも格好良くないし、周りからすれば迷惑なのだとしても最後まで残れれば達成感を得られるような感じがするのだ。


「あのさ、放課後まで見逃してくれないかな、放課後になればすぐに帰って休むって約束をするからさ」

「まだ大丈夫なの?」

「大丈夫、それにどうせここにいるなら最後までやりきりたいよ」

「分かった、でも、放課後は付いていくからね、まだ家も教えてもらえていないからちょうどよかった」


 家か、まあ、僕が彼女の家を知るのと彼女が僕の家を知るのとでは前者の方があれだからいいけど、近いと説明していたからこその発言だと思うのだ。

 それに弱った状態で送らなければならなくなるわけだからなんとか放課後になったら躱せないだろうかと考え始める、うん、答えは出なかったけどそのおかげで残りの時間を問題なくやれたのはいいことだろう。


「行こう――もう、なんでこういうときは素直じゃないの」

「ほら、先輩が五十嵐さんといたがっているからさ、僕なら大丈夫だから一緒に過ごしてあげて?」

「今日は健吾ちゃんよりも伊藤君を優先する、ちゃんと言ってあるから大丈夫だよ」


 彼女はスマホを取り出して操作し始めたかと思えば「ほら、嘘じゃないでしょ?」と証拠を見せてきた。

 ……いいや、帰っていたらいつの間にか彼女も付いてきていたということにしてしまおう。

 いまのところは元気だけど後退ばかりする会話をしていたら酷くなりそうだからさっさと帰ってしまった方がいい。


「私の家から近い場所にあるんだよね? ということは行き来するのが楽だってことだよね」

「う、うん、近いんじゃないかなぁ……」

「ん? ふふ、本調子じゃないから今日はいつもと違うね」


 すまない、ゆっくり歩くと三十分ぐらいはかかってしまう場所にあるけど本当にすまない。

 ちなみに少し遠くなった理由は家賃が安かったのと、ある程度距離があれば登下校をしているだけで勝手に運動的な内容になりそうだと期待したからだった。

 まあ、無駄に憧れた電車通学のようにいざ実際にしてみたらすぐにその大変さに気づいたよね、起きる時間が遅くなったりすると朝から精神的にやられるのは確定だ。


「あれ、そういえば全然違う方に向かっているけど……」

「ごめん、実は嘘をついていたんだ」


 隠し続けておくのは物理及び精神的にできなくなって頭を下げた。


「あ、調子は悪くないってこと? それならいいけど」

「いや、調子は微妙だけど家までの距離の話がさ」

「んー……? え、もしかして遠い……とか?」

「と、遠くはないよ、ただ少しぐらい離れているだけで」


 言葉で説明は難しいからとにかく付いてきてもらうことにした、段々と口数が減って申し訳無さというのがすごかった。


「ここだよ」

「……帰りたくない、歩きたくないぃい!」

「ちゃんと送るよ、じゃあ行こうか」


 今日は残ってから出てきているわけではないから酷さにやられることもない、往復は大変だけど一人で帰らせるわけにもいかないから仕方がない。

 土日の時間を全て寝ることに使うことになったとしても構わない、というか寝るに寝られないから送るしかない。


「もう泊まる! 伊藤君なら大丈夫だから帰らない!」

「あ、先生に迎えに来てもらおうか、車も持っているみたいだから大丈夫だよね?」

「泊まる! 中に入ろう!」


 あ、駄目だこれ、彼女ではなくて僕が家の中に入った瞬間に負けてしまった、もう出たくないという気持ちが強くなって床に張り付いていたくなってしまった。


「はいお布団」

「ありがとう、あ、コップはあそこにあるし、冷蔵庫なら自由に開けてくれていいからね。それと十九時になる前に先生に連絡をして来てもらいなよ」

「うん、大丈夫だから伊藤君は寝て」

「うん、じゃあちょっと休ませてもらうよ」


 起きたらご飯を作って食べよう。

 昼休みは寝ることで休んでいたからお弁当を食べられていない、悪くなってしまう前にそうしようと決めて寝ることに集中したのだった。




「ん……」

「着替えを持ってきてくれてありがとう、だけどよく一発で分かったね」

「俺は千波や伊藤の担任だからな」


 おお、ちゃんと迎えに来てもらったか、なんとなくそのまま朝に~なんて展開になるだろうなと思っていたけど流石にそんなことはなかったみたいだ。


「起きたか」

「先生すみません、あと、五十嵐さんのことをよろしくお願いします」

「あ、こいつ帰る気は全くないぞ」


 着替え云々という言葉が聞こえてきた時点で嫌な予感はしていたけどついついなかったことにしようとしてしまった……。


「じゃあ先生も泊まってください、流石に二人きりは不味いと分かりますよね?」

「別にいいぞ。そうだ、それなら飯を作ってやるよ」

「わーい、高下先生ともいられるー」

「はぁ、いつもこんなので心配になるよ」


 ど、どっちも嬉しそうじゃねえか、これもう僕の家だけどお邪魔だろ。

 なんてふざけていないで色々我慢をして耐えているときに汗をかいていたからお風呂に入ることにした、決してこれは二人が仲良くしているところを見たくなかったからとかではないため勘違いをしないでほしい。


「私、ご飯は作れないから伊藤君が倒れないか見ておくね」

「流石に同級生に裸を見られたくはないかな」

「駄目だよ、ちゃんと見ておくから」


 先生に捕まえてもらっている間にささっと入って戻ってきた、すっきりしたことで安心できた。


「ねえ伊藤君、もしかしてここに一人で暮らしているの?」

「うん、去年からずっとそうだね」


 一番最初の頃は毎日ハイテンションだった、だってどんなにぐうたらしようと怒られることもなくできるからだ。

 ただ、そんなものは一ヶ月も経過する前に終わってしまって寂しさや退屈な時間の多さに負けそうになった、が、それぐらいのときに彼女が話しかけてきてくれて少しだけマシになったという形になる。

 彼女はいまよりも手強かったけどね、最初の頃は少し素っ気なかったから一緒に行動しているときもいちいち気になったぐらいだ。


「すごいな、私なんて一人だったらまず起きれなくて駄目だと思う」

「家族といられている方がいいよ、僕の場合は追い出されたようなものだからね」

「え、それって――」

「できたぞー、伊藤、入っていた食材をそれなりに使わせてもらったぞ」

「ありがとうございます」


 美味しい温かいご飯を食べさせてもらって食べ終えたら洗い物をすぐにした。

 これが終わってしまえばやることもないから適当にゆっくりして待っていると結局、先生の方が帰らなければいけないことになって二人になってしまった。

 もう一度お願いしますと頼んでみたものの、彼女の「着替えも持ってきてもらったんだから帰ったら意味がないでしょ」発言に先生が諦めてしまったという……。


「お風呂に入らせてもらうね、冬でも毎日入らないとさすがに嫌だからさ」

「あ、それなら溜めた方がいいよ、五十嵐さんは寒いのが苦手なんだから」

「じゃあ溜めさせてもらうね、それまではごろーんってしてるっ」


 僕も寝転ぼう、もう学校のときみたいに弱っているわけではないけどそうやってのんびりするのが好きだからだ。

 だから彼女がいても途中からは全く関係がなかった、家は最強だと分かった。


「すぴー、すぴー」

「布団を掛けておくよ」


 電気も暗めに設定して目を閉じる、ゆっくりしている内にお湯が溜まったという音が聞こえてきたけど起こすことはしなかった。

 入浴後の状態でいつも通りでいられると困るからね、あっさり意識しかねないからこのまま朝になるのが――でも、そう上手くはいかないか。


「いま夢に高下先生が出てきたんだ」

「先生のことだから夢の中でもご飯を作ってくれたりしていそう」

「うん、作ってくれたうえに『いつも頑張っているな』って頭を撫でてくれたよ」

「はは、簡単に想像できるよ」


 優しいのはいいけど彼女に対してもう少しぐらいは強気に行動してもらいたいものだった。

 親戚なら勢いだけで女の子が野郎の家に泊まろうところを止めてもらいたいものだ、彼女にとってなにか得になることを言ってしまえば簡単に言うことを聞いただろうにそれもせずに帰ってしまった。


「お風呂ー、あ」

「うん?」

「私も見られたくないから覗かないでね」

「覗かないよ……」


 見られたくないと言ってくれてよかった、いまからかってこられたら面倒くさいことになるからそうなる。

 問題だったのはそこから待っても待っても戻ってきてくれなくて寝ようにも寝られなかったことだ。

 とはいえ確認もできない、だから電気を点けることでなんとか寝てしまわないように回避していた。


「た、ただいま」

「遅いよ、不安になっちゃったでしょ」


 好きなタイミングで寝られた方がいいからこういうことは今後ない方がいいな、まあ、こんなところに泊まったところで彼女的にメリットがなにもないから次はないだろうけど。


「ご、ごめん、だけどお風呂に入っているときになんか冷静になっちゃってさ、結構大胆なことをしているなーって思ったら出られなくなっちゃって」

「僕は何回も先生に頼んだけどね、その度に止めてきたのが五十嵐さんだよ」

「う、うん、なんかごめん……」

「いや、僕もごめん、そもそも僕が体調管理をしっかりしていればこんなことにはなってなかったわけだからね」


 布団なんかを渡して休んでもらうことにした。

 二組買ってあったから馬鹿なこととはならないのがよかった。




「あ、起きたんだね、おはよう」

「んー……」

「はいタオル、顔を洗ってきたらすっきりするよ」


 伊藤君の言う通り、顔を洗ったらすっきりしたけど色々な意味でぶるりと震えた。

 なんかこのお家は冷えるし、水がきんきんで気になる。

 お掃除をしているからか奇麗だけどなんだか寂しい感じの場所だった。


「昨日先生と連絡先を交換してもらっておいたからもう呼んでおいたよ、ただ、お昼になっちゃうらしいけどそのときになったら大人しく帰ってね」

「……伊藤君と歩きたい」

「あ、それでもいいよ、休日だって僕らと違って全部休めるというわけじゃないだろうしね」


 彼は微妙そうな顔で笑ってから「きみが起きて話し合ってからにすればよかったよ」と言っていた。


「そうだ、ご飯はもうできているから一緒に食べよう、先生みたいにはできないけど一応やっているから不味くはないよ」

「食べさせてもらうね」

「うん、食べよう」


 美味しい、朝ご飯はゆっくり寝すぎて食べられないことの方が多いから新鮮だった、だからこれからは早く起きることでちゃんとお母さんが作ってくれたご飯を食べようと決める。

 特にこの優しい味のお味噌汁がよかった、冷えた体にはよく効く。


「五十嵐さん、矛盾しているけど来てくれてありがとね」

「うん」

「それだけ、ごちそうさまでした」


 あ、固まっていないで早く食べないと、昨日もすぐに洗い物をしていたからこのままだと迷惑をかけることになってしまう。

 早く食べるのは少し苦手で、ただ、それでもなんとかと意識をして急いでいた結果むせてしまった。

 大丈夫?と聞いてくれたうえに「焦らなくて大丈夫だよ」と言ってくれたけど恥ずかしかった。


「さて、どうする? まだいたいということならゆっくりしてくれればいいけど」

「もうちょっとだけいい? いやほら、お昼になれば暖かくなるから寒がりの私でも大丈夫かなーって」

「いいよ、それじゃあゆっくりしようか」


 と言っていた割には洗濯物を干したりお掃除をしていたりしていて全くゆっくりできていなかった。

 一人暮らしだから彼がやるしかないわけだけど、こういうところを見ると私が一人暮らしはできないなという感想になる。


「五十嵐さんの家に行く前に先輩の家に行ってもいい?」

「いいよ、健吾ちゃんとあの人がどうなったのかを知りたいんだよね?」


 というかこっちが知りたかったものの、スマホを使って聞くのは違う気がしてできていなかったことだ、健吾ちゃんが答えてくれるのかどうかは分からないけど彼も付いてきてくれるということなら心強いから私の方から頼みたいぐらいだった。


「あれ、よく分かったね、この前はなんでいきなりこんな話になったのか~なんて言っていたのに」

「鈍感とか言われることもあるけど分からないことばかりということもないよ、それにあの二人を包む雰囲気を見れば分かりやすいから」

「じゃあそのときはよろしくね、僕が聞いたところで躱されるだろうから仲がいい五十嵐さんが聞いてね」


 いや、こういうときは逆に彼が聞いた方が答えてくれそうだ、でも、実際のところそこはあまり関係なくあっさりと教えてくれた。


「あの人はすごいなぁ、もうすぐ卒業というところでよく告白をしたよね」

「千波ちゃんが仮に誰かを好きになったとしたらこんなに遅いタイミングにならないように気をつけてね」

「あ、その言い方だとあの人をちょっと馬鹿にしているように聞こえちゃうけど?」

「そもそも僕が情けなかったのが悪いんだ、こっちからもっと早く告白をして安心させてあげるべきだった」

「そ、それはまた大胆な発言じゃない? 少なくとも向こうが好きだと分かっていなければ――」


 それでも健吾ちゃんは変えずに「織絵はずっと僕のことが好きだった、だけど情けない僕は気づかないふりを続けてしまったんだよ」と。

 すごい発言だ、横にいる彼も私と同じように驚いていると思う。


「僕がいても普通に教えてくれてありがとうございました、これでやっと気持ち良く寝られます」

「はは、そうか、役に立てたのならよかったよ。だけど僕も聞かせてもらってもいいかな? 土曜日なのに一緒にいるなんて珍しいね、これはどっちから誘ったの?」

「それは私からだよ」


 頼まれてもいないのに無理やり付いて行っただけだけど、この件だって彼が口にしてくれたからなんとか知ることができただけだけど、これまでもこういうことばかりで彼にはお世話になってしまっている。

 自分でやるのが好きだからと係のお仕事を任せてしまっていたのも問題だ、これも昨日あそこでお風呂に入ったときに全部出てきたことだった。


「そっかー、やっぱり満君はいつまでも満君のままだね」

「でも、次からは僕が誘いますよ、五十嵐さんと仲良くしたいですからね」

「おお、卒業するまでに積極的に行動をする君が見られそうだ」

「あ、だけど僕は僕なのでそこまで期待しないでくださいね、ただ、嫌がられない範囲で頑張ります」


 私ももう少しぐらいは頑張ろう、せめて係のお仕事ぐらいはしっかりしなければならない。

 そうすれば高下先生が無駄な体力を使う必要はなくなるし、彼も分かりやすく楽になる、私もちゃんとやれたことで達成感を得られるだろうから得しかない。


「じゃ、五十嵐さんを送らなければならないのでこれで、付き合ってくれてありがとうごじあました」

「何回も言わなくていいよ、それじゃあね」


 こっちに声をかけてくることもなく歩き出してしまったから慌てて追うと「影響を受けやすいんだ」と言ってからこっちを見てきた。


「五十嵐さんはこういうのがなくて一定でいいよね」

「え、なんかそれって褒められている気がしないよ……」

「褒めているから安心して」


 待っていて、こっちは今年が終わってしまう前に違う私を見せてあげられるはずだからね。

 そうすればもっと頼ってくれるようになるかもしれない、今回みたいに体調が悪いときなんかにも信用して言ってくれるかもしれない。

 誰かのために動けた方がいいのはこっちも同じだからね、うん。


「こ、これからは頑張るからもうちょっとぐらいは違う私が見られると期待していいよ?」

「いや、いまのままでも十分頑張っているからそのままがいいかな」


 ぐっ、自分に甘いから大丈夫と言われるとそのまま鵜呑みにして行動してしまう。

 だからもう少しぐらいは厳しい感じでいてほしかった。

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