本編 #終
――先生はやはり、大人な人で。
私はまだ、子供だった。
漫画の書き方は深く知っている。幼い頃から絵を描くのが大好きで、漫画をよく読み、それこそ大量に、今振り返れば恥ずかしいようなものはずっとずっと描き続けた。
それでいいと思っていた。
友達が出来た。親友と呼べる子だ。秘密を打ち明けるという形で、私は漫画を描いていると言って、実際に見せた。もっと仲良くもなれた。その時は、ただひたすらに楽しかった。
だって親友は私と同じように、漫画が大好きで、漫画を描いていたからだ。
だから同じ方を見つめられた。一人じゃ行けないようなところも、一緒に行って、新しいものに触れられた。
いつからか、熱量というものが違うことに気付いた。
彼女は私とは違って、明るいし、美人な女の子だったから。彼氏が出来て、疎遠になった。一緒に漫画を描くことはなくなった。
中学校の三年間、最初の一年は友人と夢を語り合い、それ以降は一人で黙々と描いていた。腹いせ、とでも言えるのか、ここに熱中することで、漫画を捨てた親友に対し私は私を律することが出来ると思い込んでいたのだ。
だからずっと、書いていた。成績は悪くなった。当たり前だ、机に向かい合い、家族が勉強していると思うような姿をしながら、ずっと漫画を研究していたのだから。頭が悪くなってきていることへの発覚は、随分遅れたし、余計こっぴどく叱られた。
漫画なんてくだらないと非難された。
私の心は一度折れたのだ。
それが二年の頃の話。
気持ちが下火になっている頃、それでもまだ現実を知らなかった私は、趣味の領域に落として落書きを続けた。それで終わればまだ救いようがあったかもしれないが、同時期。親友が、彼氏と別れたことを知った。
私の親友が帰ってきたと思った。もう一度再開してやると思っていた。自分が描いたありきたりな漫画を、もう一度見せようとした。
――見てみて、こんなの書いたんだよ。元気出しなよ、一緒にまた、もう一度――。
――ああ、まだ描いてたんだ。
まだ、がなによりもショックだった。
私の灯火が、フッと冷たく吹き消された日だ。
◆
「すごいな……上手だね」
「……はい」
久々に描いてみたものの、案外にも手は衰えておらず、余計ピリつく脳裏があった。
よほどトラウマのようになっているらしい。あの頃と変わらない技術は本来ならば喜べるものなのに、だからこそあの頃の情景が鮮明に引き起こされている。
私の表情が優れないのもあり、先生は感嘆とした表情から、一転してすぐ案じてくれた。
「大丈夫かい? 無理はしないで、君たちはまだ子供なんだし、ほかにやりたい事もあるだろう?」
「子供じゃないです」
不機嫌にその言葉を返した。
その態度こそが認識を加速させるものだが、やはり私は、プライドが高い。もう子供に見られることが、あの時「まだ」と言われた時のことを思い返してイヤなのだ。
先生の言葉に、悪意がないのは知りながら。
「まあでも、特にやりたい事もないので大丈夫です。それより作業をください」
「献身的なのは嬉しいけど……そこまで気にしないでね? 大丈夫? 僕もう元気ですよ」
「本当に?」
「う、うん」
ジロッと見ると目を逸らされた。
やはり嘘かと思ったが、思い返せば自分の目つきが悪かったかと気付いてひとまず保留とする。
先生は私を赦してくれていた。
あれから数日経った今、私は生徒相談室に足を運び、夕立の合間を一緒に過ごしている。
先生は、そうであることを許してくれた。
ガリガリとしたペンの擦る音がする。先生は、先生としての仕事もあるため、私が一人で描くこともある。
それはそれで、先生のイラストを大事にしながら、まるでアシスタントのように空白を埋めていく作業や、台詞の書き写しをしていくのは、なかなか新鮮で面白かった。
そして。
「明日は終業式じゃないですか」
「そうだね。手伝いありがとう」
「夏休み終わっても、ここに来てもいいですか?」
「それはもちろん。夕立じゃなくても来てほしいな」
「……はい。ありがとうございます」
「うん」
「その、実は、なんですけど、私も昔、漫画家になりたいと思ったことがあるんです」
「そっか」
「それで……」
「……なに、感化された?」
「は、はい。そう……そうなんです」
「そうか。良かった」
「はい。先生」
「うん」
「私も目的、見つけました」
「頑張れ。僕も頑張るよ」
「ありがとうございました」
これから先。夢を追うのは難しいかもしれないが。
以前の私とは違うものと言えば、憧れの対象がいることだろう。
私の気難しい性格に、理解を示してくれる大人。
先生には口が裂けても言えないが、裏話として一つ、清算しておきたいものがある。
私は物語に共感できない。これは昔からそうだった。そんな人間が漫画家を目指していたとはお笑い種もはなはだしいが、うがった見方も出来る上に、理論的には感動とは何かを持ち前の客観・俯瞰視で見れていたから、それはまあ、それとして。
共感できない最たる理由は、私が優しくないからだ。私が強くもないからだ。かっこよくもなく可愛くもなく、自分のことが死ぬほど嫌いで、登場人物に投影することすらおこがましいとしてしまうからだ。
だから私は常に孤独に、物語を物語として消費していた。
だけど私は今日を境に、私自身と少しはまともに向き直るようになれた気がする。
私は、先生の作品で、初めて共感を得てしまったのだ。自分のことのように考え、自己投影をした挙句、あんな醜態を晒してしまって。
心を強く揺さぶられて、初めて自分の性格が、世界にあっても良いものなんだと思い直せたような気がして。
たまらないほど、嬉しかった。
こんな気持ちは初めてだ。名前が何かは知っている。
だけれど敢えて外してみるなら、それこそ青春と呼べるもの。
――ライムでシュガーな、恋心だろう。
(終)
【11000文字小説】ライムシュガーイズアンビバレント 環月紅人 @SoLuna0617
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