第12話 いいトコ

 東京に暮らしていた頃は全く意識しなかったけれども、田舎に戻ってきて強烈に感じることがある。


 それは、自家用車を所有しておかないとまともに生活が出来ないということ。


 東京をはじめとした首都圏では電車や地下鉄、バスといった交通網が発達しまくっているので、大体の場所へ自ら乗り物を運転することなくたどり着ける。

 電車なんて数分に1本は当たり前のようにやってきて、逃したところで次の電車が来る。しかも日の出の前から日付が変わったあとまで運行しているという過密っぷりだ。


 それに比べてこの田舎はどうだろうか。


 言うまでもなく、運行ダイヤはスカスカだ。

 通勤通学の時間帯でも1時間に2本来れば多いほうで、日中は1本逃すと2時間待ちなんてザラ。

 おまけに非電化路線なので電車ではなく気動ディーゼル車。線路も単線で、すれ違うために駅で対向列車と待ち合わせたりする。


 ICカードの乗車券なんて使えないし、自動改札もない。そもそも駅員さんがいる駅のほうが珍しいぐらいで、車掌さんなんてものは幻の存在だ。

 同じ鉄道なのに、もはや違う乗り物のようだ。無論、バスもほとんど似たような状況である。


 そういうわけで、この田舎で生活する上ならば車を持つことが必須なのだ。


 先日東京から出戻りしてきたばかりの僕は、どこかに出かけるとなれば母の使っている軽自動車を借りている。

 しかしその軽自動車も僕が高校生ぐらいのときに買ったものなので、12年落ちのボロだ。整備はしているけれど、いつその車輪が動かなくなってもおかしくはない。


 ちなみに葉月とどこかに出かけるときは、彼女の車をお互いに交代で運転している。

 今日も今日とて、甘い香りのする車内で葉月がハンドルを握り、僕は助手席で彼女の横顔を眺めていた。


「ねえ、一太郎は車買ったりしないの? あのお母さんの車じゃあさすがに不便じゃない?」


「まあ確かに不便かなぁ……。好きなタイミングで使えないこともあるし、そろそろガタが来てるし……。買い換えるのもありかも」


「だよねー。私もこっちに帰ってきたとき妹のを借りてたけど、やっぱり自分が自由に使えないと不便でさ」


 今の僕と同じような悩みを数年前の葉月も抱えていたらしい。

 あまり車がほしいなんて思ったことなどなかったけど、いざ必要になるとついついカタログやウェブサイトなんかを覗いてしまう。


 この間刻みつけたFのサイトの履歴をカモフラージュするかのように、僕のブラウザの最近の閲覧履歴は車の販売サイトばかりになっていた。

 こういうのは大きな買い物になるので、どうしても慎重になる。


 そんなこんなで2人きりのドライブは続いていた。

 県立公園でちょっとしたイベントがあるらしく、今日のデートはそこへ向かうことになっている。


 しかし、途中まで来たところで葉月は突然こんなことを言い出す。


「ねえ一太郎、ちょっといいトコ寄ろうよ」


「いいトコ?」


 葉月はそう言うと、僕が肯定も否定もしないうちに、本来向かうはずだった県立公園とは逆の方向へハンドルを切り始めた。


 こういうときの葉月というのは、考えるよりもまず行動する。その行動力の高さというのはときに周りの人間を困惑させることもあるけど、最終的に皆が笑顔になるような結末をもたらすのだ。


 こんな陽の気を纏った行動力など、僕は一生かかっても手に入れられないだろう。それが葉月の不思議な魅力のひとつだ。


「ええっと葉月、いいトコってどこなのさ?」


「そりゃあ、いいトコに決まってるじゃん」


「答えになってないんだけど……」


「とにかく着いたらわかるから! 楽しみにしておいてね」


 なんとなく行き先には想像がつく。おおかた車のディーラーとか販売店だろう。とはいったものの、わざわざ葉月が行き先を隠す意味がわからない。


 まさか本当に「いいトコ」なのだろうか?

 割と僕に対して積極的な葉月が言う「いいトコ」という言葉を深堀りして想像すると、やっぱり思考はピンク色を帯びてくる。


 パッと思いつくのはラブホテル。

 田舎とはいえ、国道沿いの山の中などひっそりしたところには案外建っているのだ。

 小耳に挟んだ話だと、実家暮らしをしている男女は愛を営む空間も時間も限られてしまうので、こういうところを割と積極的に利用するのだとか。


 僕も葉月もお互いに実家暮らし。

 2人きりになれる空間といえば、この車の中かラブホテルだけど言い切ってもいい。

 葉月がそういう時間を渇望しているのであれば、「いいトコ」と表現されるのも何ら違和感ない。


 でもまだ僕は女性恐怖症を克服していない。

 今この車の中に葉月と2人でいるけれども、僕の座る助手席と葉月の座る運転席との数十センチがギリギリ近づける距離だ。これ以上はまだ近づくことにすら恐怖心がある。


 まさか葉月はショック療法的に僕をどうにかしようと言うのだろうか。

 不意に先日視聴した葉月……ではなく新斗米もこの作品を思い出す。


 おどおどするちょっと気の弱そうな男優を誘惑し、意地悪そうな表情で身体を弄り弄られ、最終的にはズブズブと快楽の海へ溺れていくようなそんな作品。

 馬乗りになり腰を振って楽しそうに精を搾り取ろうとする、新斗米もこのちょっとしたSっ気がとてつもなく好きだ。


 それと同じようなことがこれから起こってしまうのかと思うと、僕は女性恐怖症のくせに鼻息が少し荒くなる。

 喉元過ぎれば熱さを忘れるとも言うし、近づけるか近づけないかのところをじれったくやるよりは、一発交わってしまったほうがいいのかもというのが葉月の判断なのだろうか。


 僕の頭は沸騰しそうだった。

 こんなことならもっとまともな下着を履いてくるべきだったなとか、自分の身体から変な匂いがしていないかとか、まるでラブコメ漫画のヒロインみたいなことを考える。


 しかしそんな思考は全くの無駄となった。幸か不幸か、たどり着いた場所はラブホテルではなかったのだ。


「……ここは?」


「見ての通り、車のディーラーだよ。見るだけタダだし、ココなら知り合いもいるから大丈夫かなって」


「そ、そういうことね……。ハハハ……」


 変な期待に胸など他のいろいろな部分を膨らませ過ぎた僕は、葉月の肩透かしでその気持ちの行き場所を失ってしまった。


 今日、帰ったらまた新斗米もこのお世話になろう。僕はそう心に決めた。

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